私はある人に、「あなたのことを何とも思っていない。無関心だ」と言われたことがある。 その人は、クリスチャンだった。 信頼していた人だったからこそ、裏切られた悲しみは大きかった。 「鶏が鳴く前に三度、私を知らないと言う」とペトロに語った時のイエス様の気持ちを、少しだけれど理解できた瞬間だった。 「愛の反対は、無関心である」と言う。 では、無関心とは何なのか? 相手を理解しようとしないこと。 相手を知ろうともしないこと。 相手が何を大切にし、どのように生きようとしているのか関
あなたにとって、イエス・キリストはどんな存在か?と問われたらなんと答えるだろう。 困難の中にいるとき、いつもそばにいてくれる方。 代わりに罪を償ってくれる方。 私欲のない方。 親友、と答える人もいるかもしれない。 私にとってイエス様は、自ら自分を捨てることができたお方であったように思う。 世界には自分の得意分野や能力で、のちの世に名を残している人物がたくさんいる。 けれども、イエス様のように、2000年以上経っても、人々の心に残る人物は他にいるのだろうか? イエス様は私
思い通りにいかない人生で良かった。 高校生のとき、病気になって、大学受験にも挑戦できなくて、それで良かった。 何もかもうまく進んでいたら、傲慢で優しさの知らない人間になっていた。 イエス様に出会えていなかった。 今は、挫折を与えてくれた神様に感謝している。 38歳になった私は、今さまざまなことを頑張れるようになった。 20代のときには想像もできなかったことができるようになった。 母の代わりに買い出しをして料理をしたり、家のことも少しずつ覚えることができている。 一昨年、Wo
先月1月30日の、昼過ぎだった。母の叫び声が、私の部屋まで聞こえてきた。 「どうしたの?」 母に尋ねると、 「姉が・・・姉が、交通事故で死んだ!」 と言うではないか。何が起こったのか理解出来なかった。 夕方のニュースにもなった。伯母は、姑の代理で病院へ、車で向かうところだった。朝早い時間だったため、路面が凍結していた。対向車の大型トラックに衝突し、後ろから来た車にも追突されたらしい。伯母は、出血性ショックで病院に運ばれたが、5時間後に亡くなった。 火葬、葬式が淡々と過ぎてい
TVの画面には、瓦礫の街や涙を流す人々が映る。 困難な年を迎えてしまった。 人生はいつどうなるか分からない。 昨日まで当たり前にあった日常が、跡形もなく消え去ってしまう。 そんな困難に出逢った時、私たちはどう生きていったらいいのだろう。 そして、私たちに出来ることは、一体何であるのだろう。 私の人生を振り返ってみても、決して良いものではなかった。 高校でのいじめや留年を体験し、精神疾患をわずらった。 20代には、発達障害とも診断される。 大学受験の夢は叶わず、アルバイトを転