きのこ森の子町にもいる子
ワーズワースがあたたかな冬のカウチで目を閉じて思いを馳せたのは一面の水仙の野であったが、わたしがコタツの中で思い浮かべるのは、うだる夏の終わり、一雨来た後の湿った腐葉土ににょきにょきと頭を出している奇妙な生き物である。きのこ。
市街地でもちょっと大きめの公園の林などを見てみると、案外すぐにたくさんのきのこを発見できる。(今まできのこなんて見たことないよ。と思われる方も多いかと思うが、春気温が上がってくる頃、梅雨だともっといいのだけど、ちょっと鬱蒼とした林のある公園で木の根元などをよく眺めてみると必ずひとつやふたつ見つかるはずである。あるいは芝生にだってぽこりぽこりといたりするのでぜひお試しあれ。)つまり、割とありふれた存在なはずなのだが、見つけた時のインパクト、未知との遭遇感は大きい。彼らのフォルムや色、存在感はどうにも不思議だ。植物とは違った「ちょっと不気味」な美があって、魑魅魍魎の世界に引き込まれるような妖しさを放っている。怖いもの見たさ、にもちょっと近いのかもしれない。何がどうなってこのような形になろうと思ったのか、見れば見るほど人間には計り知れなくて、なんとも楽しい。
最初にきのこを意識しはじめたのは五年ぐらい前だっただろうか。存在に気づくともう探さずにはいられない。探して写真に撮ったりすると、なんという名前なのかが気になりだす。図鑑をうっかり買ってしまう。図鑑を見ると気づく...きのこというのはなんと同定の難しいものなのか!中にはすぐに分かる親切なきのこもいる。タマゴタケなどはキッチュでかわいらしい外見なのに近場で簡単に見つけることができる、素人きのこ愛好家にはたまらないアイドルだし、テングタケの類も、詳しい分類、これはテングタケ?テングタケモドキ?タマゴテングタケ?テングタケダマシ?イボテングタケ?などを考え始めるとさっぱりだが、とにかく「テングタケ的な何かだな!」という識別まではできる。しかし、公園でよく見みかけるタイプは、ちいちゃくて地味で特徴もそんなにない、ただ「まあ、きのこなんですけど、名乗るほどのものではないですよ」というようなきのこがほとんどで、写りの悪いポケット図鑑の写真を見てもさっぱり身元不明なことが多い。
よって、数種類の図鑑を買い求めたりもするが、最終的には顕微鏡で組織や胞子を観察しないとなんとも、というものが多いらしいということが分かるので、最近は特に身元特定には重きを置かず、一期一会で出会うきのこたちのその瞬間の美を楽しみにしている(でも、自分がもし小学生とかそういう時にこの楽しみに出会っていたら、もしかしたら本気できのこの研究者を目指していたかもしれない。残念ながら運命の出会いにはタイミングというものがあるのだ)。
せっかくなのでわたしが出会ったきのこで特に好きなものをあげておくと、やはりタマゴタケは外せない。トマトのように艶やかで陽気な赤い色の傘を薄暗い木の根元で発見するとうれしくなってしまう。赤いといえば夏が終わる予感を連れてくるベニタケの赤は、タマゴタケとはまた違ったほんの少しマゼンタよりの赤の可憐なかわいらしい色味である。冬以外にはだいたい出会えるドクツルタケの類もいい。ひんやりと非情な死の予感の白をまとった美しいきのこだ。きのこというよりは木の実のような、地上の星のようなツチグリも好きだ。イヌセンボンタケはいつも群生していて、透き通った小さな姿は近寄って見るとまるでSF映画の宇宙未来都市のようにキラキラ繊細な佇まいだ。シロオニタケの「強いんだからね!」と言いたげなユーモラスなとげとげも愛らしい。そのように地上で見られるきのこたちの姿は「子実体」といって、その地下には菌糸が広がっている。地下でネットワークを張り巡らしながら分解者としてなかなかクレバーで頼もしい長い営みを続けている彼らにとって、「子実体」としての晴れの舞台はつかの間のショーなのだ。2、3日前に立派な傘を広げていたかと思えば、今日見るともうほとんど朽ちていたり、跡形もなくなっていたりもする。その潔さもなにかもののあはれと地球の営みの妙を感じさせてくれる。日々の日の出や星の輝きだけでなく、公園のすみっこでも地球規模のスペクタクルがひっそり繰り広げられているなんて、すてきな星に住んでいるなあ、とつくづく思う。
ところで、きのこというと、ひとびとの関心は「食べられるのか」に向くことが多いかと思う。わたしもまあ、気にならなくはないのだが、基本的に「野のものは野に」派であるし、もちろん公園の植生は公共財産だしなにより環境を壊したくないのでそっと写真を撮るにとどめているので、採って食べたことはない。では、山などで採って食べていい機会に恵まれたら食べたいかというと、さにあらず。「毒きのこ今昔」という本でありとあらゆるきのこ中毒の恐怖体験を読んで以来、君子危うきに近寄らず、スーパーで買うもの以外は絶対に食べたくないと固く心に誓ったのであった(正直、道の駅で売ってるものや旅館で出てくるものでも躊躇うと思う)。わたしはマニュアル世代の臆病者、へにゃへにゃの都会っ子なのである。...まあ、タマゴタケぐらいなら、食べてみてもいいかなあ。