アムステルダム・パリ旅行記 第10回 観光六日目 最終回 行きたしと思へどもあまりに遠き...
旅行最後の日は、初心に帰ってベタな観光名所を攻めようという事に。友人はロープンツールに乗ったことがなく、やっぱりあれは観光に便利だよね、という事でロープンツールでまずは凱旋門へ。そう言えば、私も何度かパリに来ていますが、凱旋門って外から眺めただけで一度も入った事ないな。という訳で行ってみました。
いいお天気。すっごい寒いけど。靴の中にカイロを忍ばせました。
凱旋門の真ん中までは地下道で行くのでした。今までパリに何回も来てたのに知らなかった。
何の心の準備もせず気軽に入場したのはいいのですが、ちょっと待て。外から見たあの高さ、全部階段で登るんじゃないか。という事に登り始めてから気づきました。メトロのAbbesses駅に勝るとも劣らぬ心臓破りの螺旋階段。
いや、あの、滅茶苦茶大変だよ!途中で「もう登りたくない、さりとて引き返せない」という状態になり後悔しましたが(体力ないのでこういう状況にてきめんすぐへこたれます、鍾乳洞のはしご登りとか、本当に勘弁してほしいです)、後ろからは人が押し寄せてるので登らない事にはどうしようもない。息を切らせてやっと上の階にたどり着きました。
セントマリアンヌ像がお出迎え。猛々しい自由の女神です。この猛々しさがフランスの歴史を物語り、そして近い未来の彼女自身の運命への伏線になるとは...
おしゃれな内装。壁面は草のモチーフですが、どういう意味合いかはわかりませんでした(ちゃんと展示読めば載ってたかもしれないんですが、ぼやっとしてました)
まあ、上の階の感じは、資料やら模型やら少しあって大阪城とかあんな感じに近いですが、そんなに展示物はないです。屋上からパリを一望。本当に放射線状に街が広がってますね。
そして。凱旋門後日談ですが、日本に帰って一週間後ぐらいに、ジレジョーヌの件で凱旋門が戦場(?)と化し、この、見てきたばかりのセントマリアンヌ像もちっちゃな凱旋門の模型も、暴徒化した人に破壊されてしまったのですね。無残な姿をネットのニュースで見てショックでしたが、同時にあのながーい階段登ってわざわざ壊しに行ったのかー、超血気盛んだな、そりゃフランス革命とかやるぐらいだもんな。と妙に歴史上の出来事が急に実感を伴いました。抵抗か、暴力か。永遠のテーマであり何とも言えませんが、暴力革命とか起こったら真っ先に死にますね、私みたいなどんくさいタイプ。権力側に暴力でこられた場合の抵抗暴力はやむなしと思うんですが、やっぱり暴力以外、非暴力不服従で何とかできないものか、世界、ううむー。
(ちなみに、マリアンヌ像はその後どうなったのか、調べてみたら、修復されたようです。よかったですね。でも、肝心のジレ・ジョーヌ、あらたな階級闘争の勝利はどうなったのでしょうか。譲歩は多少得たようですが...。また、今回の背景、環境対策の負担を弱者へしわ寄せしてしまい本来環境問題でも被害を被る当事者側であるはずの弱者、市民に問題取り組みへの反感を植え付けてしまうという間違った対立モデルを作り出す資本優遇ありきの政治のあり方は、気候危機に取り組まなければいけない今後の世界の大きな課題になりそうです)
お次はエッフェル塔を眺めに。いいお天気。
エッフェル塔の周囲は、以前はなかった防弾ガラスの壁で囲まれ、入り口でセキュリティチェックをしていて、これを見た時、何かすごく時代の変化というか、昨今のテロを何回も経験したパリの街、現代の厳しさを感じましたね。街も時代も、変わらないようで確実に変わっていて、世界は気づかぬうちに着実にタイトになってるのかもしれません。
いや、でもこの寒空に恋人たちはピクニックを楽しんでいたり、個人の時間は甘かったり苦かったり、それぞれの時間が流れていますね。
午後は食事をしに左岸に行きましたが、はるばる行ったお目当のベジタリアンのお店が閉まっていて、ロープンツールのルートからも若干外れてしまったので、シテ島から悠々そびえ立つノートルダム寺院の横を抜け、ポンピドーからマレ地区のあたりを徒歩で散策に切り替えました。
ティンゲリーとニキの噴水は健在。
これ誰の像なんだろ?後で調べようと思って分からずじまいでした。
路上の落書き。「夢みるんじゃなくて、飛べ」すてきですが、なぜにパンツ?
そうこうしているうちに、あっという間に日が暮れて。ブランジェリーで食べ物を買い、早めにホテルに戻り夜は友人と語らってのんびり過ごしました。劇的なクライマックスには欠けましたが、散歩しててつくづく思ったんですね。ああ、異国の街を歩くのは本当に、特別な事を何もしなくても心躍るなと。歩く速度で眺めるものたちのなんと何気なく美しい事か。美しいのは景色だけじゃなくて、旅行者という「時間」なのかもしれません。
次の朝、もう出発です。あっという間の短い旅、もう少し詰め込みたかったような、まあ、このぐらいで十分楽しかったような。旅行というのはやっぱりいいものです。無目的にぶらぶら出来る事の幸せ、普段がいかにTO DOリストの積み重ねの中にいるのかと感じました。短い人生、もっとこうしたぽっかりした時間を取りたいものです。知らない街、夢のような出来事、一緒に行った友人の頼もしさ、ほんの少し触れ合った人、触れ合わないけど通り過ぎた人々、心細さ、空港や飛行機、リムジンバスさえ、きっと旅行慣れした人からすると取るに足らないすべての非日常が愛おしい。そして、わたしが旅行に行って帰ってきてこの旅行記を書いた、そんな短い間に聖マリアンヌ像も壊されては再び蘇り、ノートルダムは燃えてしまいました。その街のその時にしかない表情を垣間見て、そして帰ってきた日常がまた平凡ながらも愛おしいのであります。ただいま、愛しの猫よ。
こうして一年越し(!)でささやかな旅行記を残す事を通じて振り返るに、わたしは自分が思っていたよりもずっと、旅行という体験を愛しているのかもしれないなあと再確認したのです。
が。
アンビバレンツな事に、最近ずいぶんと気候危機の問題について知り、もう無邪気に自分の「楽しい」ばかりを優先して飛行機で旅行などするのはどうなのかなあ、とも思います。けれどもまた、たまには、心の中に灯る明かりというか生きる糧となるきらめきを求めて旅行に行く事もあるかもしれません。その分、日々生活の中で出来る事、プラスチックゴミを減らす、資源の無駄を減らす、化石燃料消費を抑える、環境政策を推進する政治家を選ぶ、環境負荷の低い食選択を行う(アマゾンの熱帯雨林の火災と破壊の主原因は畜産と畜産飼料の大規模栽培によるものです、それもあってわたしは普段ヴィーガンをしています)、を一層心がけたいものです。しかし、燃えているアマゾン、オーストラリアなどの惨状を見ると、やはり、我慢できるなら我慢したほうがいいなあ...という思いも強くなってきます。私が好きなオランダだって、私が飛行機乗って行ったりしてるせいで、オランダ自体が水没しちまっちゃあ、本末転倒ですからね。わたしが見られなくても、世界中の美しい街、自然、動物たち、これからの世界を生きる子どもたちの暮らしがこの先も長く守られる方がずっといいです。
オランダのアーティスト、spinvisさんの曲、「Kom Terug」(Come back)。
"遠くに旅して ワインを飲んで 考えて
笑い転げて 深く潜って
帰っておいで"※
いい曲です。スキポール空港の光景を思い出しつつ。今度はいつか、この人のライブにも行きたいと思っていますが、叶わぬ夢になるかもしれません。憧れは遠く、切ないものですね。
ところで、去年リムジンバス乗り場から見た折れ曲がった標識は、そう言えば帰りは今回成田だったので見ないままでした。また羽田に行く機会があったなら、あのまま失敗のモニュメントとして存在してるのか確認したいものです。まあ、あれがなくなっても、わたし自身が「生ける失敗のモニュメント」なんですがね。
おしまい。
※(わたしはオランダ語の歌を聴くとき、英語とオランダ語は文法が似ているのでgoogleさんに歌詞を英訳してもらう方が日本語にするより間違いが少なそうなんで、それを読んで日本語にしています。三段回り道なんで若干怪しいですが。そして、実は、この歌は他の方が日本語を訳してくれてるビデオがyoutubeにあります。権利が分からなかったので引っ張ってこれなかったんですが、興味のある方はぜひそちらも探してみて全文歌詞も見てみてください、私よりずっといい感じの訳がついています😅)