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やさしく猛々しい姫姉様と、悩む才能をもって生まれたわたし
「姫姉様」と聞いて、誰のことだか分かる人はいるだろうか。
わたしの中で「姫姉様」とは、宮崎駿のジブリ映画「風の谷のナウシカ」に出てくる主人公ナウシカのことだ。
辺境自治国である風の谷、その王の子ナウシカは、民たちから「姫様」と、こども達からは「姫姉様」と慕われる存在である。
わたしはこどもの頃から、この作品の中で生きる、実在しない姫姉様を慕い、憧れ続けている。
絶対的存在「姫姉様」
ナウシカ以外を「姫姉様」と呼ぶことを、わたしは認めない。
わたしは普通に大学を卒業し、普通に(就職氷河期、不器用なわたしは苦労して)一般企業に就職した。
週5日事務職として働き、これといってスゴイところのない一般ピーポーのわたしが、認めない!!!!と言ったところで、ではある。分かっている。
さらに言えば、別に誰かがナウシカ以外を姫姉様と呼んだわけでもない。
ただ、わたしの中で、それほど絶対的な存在であるということをお伝えしたい。
それはさながら、出川哲朗が河北麻友子を「お嬢」と呼ぶことに対して、「お嬢とは美空ひばりのこと」と激怒するデヴィ夫人のようだ。
熱量のことを言っている。熱い思いである。パッションである。愛なのだ。
わたしにとって絶対的で、憧れで、いつも支えてくれる存在だ。
それがナウシカである。
一人暮らしを始めて、今回の自粛期間に遂にDVDプレーヤーを購入した。
こんなに愛していながら今まで持っていなかった、ジブリのDVDを購入するにあたり、やっぱ最初はこれでしょう、といって風の谷のナウシカを購入した。
それぐらい絶対的な存在。それが姫姉様である。
天から与えられし、我が「悩む才能」
人生において、悩むことは多々ある。悩むことこそ人生だと思っている。
思っているけれども、別に積極的に悩みたいわけではない。
どんな小さなことであれ、悩むのは当然に苦しい。
わたしは昔から、すぐにくよくよ思い悩んでしまう。
算数の小テストで、引き算なのに足し算だと勘違いして0点を取った時も。
「a」とか「the」とかを100個書くという、めんどくさい宿題が出た時も。
友達とうまくいかない時も。
就職先が決まらない時も。
仕事で失敗した時も。
行かなくちゃ、やらなくちゃ、頑張らなくちゃ…
いや、行きたくないよう〜
やりたくないよう〜
できないよう〜
どないしたらええの〜〜〜〜〜〜!
悩むほどではないことにも
くよくよ、ぐずぐず、ごろごろ、ふにゃふにゃする。
周りに「どうしよう〜〜〜」と弱音を吐く。
アドバイスを求め、正論をぶつけられると
「そんなん聞きたいんちゃうねん」と理不尽に文句をつける。
挙句「くよくよするん、趣味やもんな」と身内に言われる始末。
ですよね〜!と自分でも思う。
でも迷ってるときは、そうしてしまうんだよなあ。
弱っちくて、ちっぽけで、滑稽。
ていうかこれもうルーティンなんよなあ。
まじでちっとも強くない。
小さなことで、すぐに自分に自信がなくなる。
めちゃくちゃ良いように言えば繊細で。
周りの人がどう思うかが心配で。
小さな失敗をいつまでも思い悩んで。
変なところ完璧主義で。
それゆえ、できない所ばかり見てしまって。
「悩む才能あるわ」と母によく言われた。
自分でもそう思う。
そんな才能、ちっとも欲しくないんやけれども。
悩んだ時に思い出す人
悩んだ時に、どうすれば良いのか。
それは全人類が考えてきたことだろうと思う。
わたしは悩んだ時、「くよくよルーティン」をひと通りこなしてから、自分の尊敬する人ならどうするかを考えてみる。
これはみんな一度は聞いたことがあるのではないだろうか。
悩んだ時、尊敬する人だったらどうするのか。
例えば、身近な誰か。
例えば、芸能人。
例えば、歴史上の偉人。
例えば、姫姉様。
みんな、必ず助ける。わたしを信じて荷を捨てなさい。
空中でロープが切れてしまった、エンジンを積んでいない船に乗るジイたち。
腐海に不時着して蟲に喰われるくらいなら一思いに死ぬ、と助けに来たナウシカに言うシーン。
マスクを外せば5分で肺が腐ってしまう腐海の空中、ナウシカはマスクを外してこう言い切り、そして静かに笑いかけた。
わたしはこのシーンが好きだ。
まずこの無駄のないセリフが好きだ。
宮崎駿作品は、いつもセリフが素晴らしい。
それはまた別の機会に語るとして…
ナウシカはさらっとすごいことをして、たったこれだけの言葉で混乱を収めてしまう。
かっこいいこと、この上ない。
だって肺が腐るんだぜ。わたしにはできない。
そもそもそんな緊急時に的確で無駄のない言葉をかけるスキルがない。
あわあわして、むっちゃ噛んで、「なんて!?」と言われている間に、むちゃくちゃ瘴気を吸ってしまうだろう。
いや、わたしのポンコツ話は置いといて。
姫姉様のすごさは、こう言い切ったこと、笑いかけたこと、さらには言葉通りみんなを助けたことだけじゃない。
この少ない言葉と微笑みだけで、ジイたちを安心させ、納得させ、積荷を捨てさせる。
それだけの信頼が、普段のナウシカの言動にあったということなのだ。
すごくない?普段からすごいのよ、この姫様は。
わたしは、こんな人になりたい。
あら、わたしが嘘ついたことあった?
谷から出発する船へ乗り込む際、こども達がナウシカに駆け寄るシーン。
すぐ帰ってくるというナウシカに、本当に?と問いかけるこども達に対してナウシカが応えた言葉だ。
こんなセリフを言える人が、彼女以外にいるだろうか(いや、いない)。
少なくとも、わたしには言えない。
言ったところで「いや、嘘ついたことめっちゃあるやろ」「絶対嘘やん」という、こども達の疑いの眼差しが突き刺さった状態で、へらへら苦笑いを浮かべながら出発することになるだろう。
嘘をつくというか、話を盛りがちという、大阪人の習性なので許して欲しいところだが…
それを差し引いても、このセリフを言えるほど、自分は誠実な人間だろうか…と一旦、自問の時間が必要だと思う。
大体、その一言でこどもが納得するだなんて。
こどもに対しても一人の人間として向き合っていないとだめだ。
すごくないですか?うちの姫様。
もう城オジとしてナウシカに仕えている、ミトくらいの身内感満載で自慢するけど。
話を盛るというのは、もうDNA的に、ラテンの血も騒ぐし、今更無理なんやけど…
でも「姫姉様のように誠実であろう」と努力したい。
やさしく猛々しい風
ナウシカのことをそう表現するシーンが、原作漫画にある。
やさしさと猛々しさ。
一見相反するようなこの二つが、彼女の中には共生している。
「ああ、こんな人になりたいな」と、このシーンを読むたびに思う。
悩む才能をもって生まれたわたしは、悩まない強さが欲しいと思っていた。
悩んでいる時間、無駄なんじゃないか。
悩むくらいなら、何か行動したほうがいいんじゃないか。
強ければ、悩まなくて済むんじゃないか。
でも、それじゃあ「やさしく猛々しい風」にはなれないんだよなあ。
彼女は決して、悩まないわけではない。
わたしなんかとは比べものにならないくらい、たくさん悩んで、たくさん乗り越えたからこそ、他人にやさしさを向けられるんだと思う。
悩むことは、やさしさに繋がる。
実在しない彼女に、わたしはそれを教えられたように思う。
たかが映画、たかが漫画、と笑う人はいるだろう。
別に笑われても構わない。
わたしにとって価値のあるものが、すべての人にとって価値があるわけではないのだから。
でも、わたしにとっては、実在しない彼女こそが理想で、憧れの人だ。
悩む才能をもって生まれたわたしにも
「やさしく猛々しい風」に近づくことはできる。
そうなりたいと思う気持ちがあれば、可能性はきっと、無限にあるのだ。
そう信じて、わたしは今日も、悩みながら生きていく。