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Friday night essay 『未来のわたしはあなたのことを受け入れてくれているから』

気がついたら10月最後のFriday night essay です。ええっ、なんだかはやい…!この間まで真夏日だった気がするのに…!
でも毎週金曜日の夜にnoteを更新するという習慣もすこしずつできてきてなんとなくうれしいです。これからもこんなふうにいい感じのペースでnoteもがんばっていけたらいいなと思います。
読んでくださっている方もほんとうにありがとうございます。

さて、今日は諸々の用事をしに新宿まで行ってきました。
とあるビルまで行ってきたのですが、お目当ての場所がめちゃめちゃ高層階にあるところでして、エレベーターを降りたら目の前にものすごく大きな窓ガラスがあって、そこから新宿を見下ろす感じになっていて内心ひとりでテンションが上がってしまいました。まわりに人がいないことを確認して思わず写真も撮っちゃいました…こっそり。だってあんなに高い場所に行くことなんてなかなかないものね。
なんか思いがけず楽しかったです。

そして用事も無事に終わって、身体を休ませながらnoteを書こうと思ってたまたま近くにあったタリーズに入ったのですが…!
そういえばここ数年くらい前…下手したらもっともっと昔に一回入ったところだ…!と思い出してものすっごく懐かしい気持ちになりました。
一回入っただけなのになんでこんなに懐かしい気持ちになったかというと、じつは当時そこのタリーズに入ったときのわたしの心情をいまでも鮮明に思い出せるから。なんならたまにそのときのことを思い出していたから。
べつになにかショックなことがあったとか、記憶に残るような特別な出来事があったとかそんなことはまったくないんです。
ただそのときそのタリーズにいたときのわたしは、すごく悲しいというかむなしい気持ちになってたんです。
なんでそんなにむなしさを感じていたかというと、前のnoteでも書いたけれど、わたし長い期間ずーーーーーっと将来どうしようっていう気持ちと一緒に生きてきたんですよね。
もちろんいまも当たり前に思うし将来に対する漠然とした不安もあるけれど、いまはやりたいこともなんとなくみつかって、実際に新しい会社への就職も決まってやっとぼんやりと見通しはたってきました。ほんとうにやっと。
でもそれまではほんとうにのらりくらりと毎日を生きてきたし、やりたいことを見つけたくても見つけられないからその不安定さに心が耐えられなくなることもしょっちゅうありました。将来どうしようって思いながら毎日を過ごすのって結構気持ち的にやられるんだなってそのときにものすごく感じたくらい。
だから、このままじゃだめだー!と思って気持ちが不安定になったときや考えを整理したいときはよくカフェにふら~っと入って、ノートやスマホにじぶんの考えを書き出して本心みたいなものをみつけようとある意味必死になっていた時期がずっとあったんです。正直つい最近まで。

わたし自身と向き合ったり考えつづけたらわたしがほんとうにやりたいことがみつかるかもしれない。
ノートにわたしの気持ちをばーっと書きまくったら最後の最後にわたしが望む将来への方向性がはっきりするかもしれない。
願わくばこのカフェにいる2時間で雷に打たれたような天職がみつかるかもしれない。いや、みつかってほしい…。

そんな気持ち、願いを胸にいつもカフェにいました。

でも結局はなにもみつからなくて、いつもどこかで落胆しながらカフェを後にしていて。
また今日もじぶんの将来決まらなかった、って。そんな気持ちをもう何十回も繰り返していました。

だから数年前ふら~っと立ち寄った新宿のタリーズでも、そんな不安定な心を抱えながらアイスティーを飲んでいて。
将来のこと、ううん、それ以前にわたし自身に対して希望なんて抱けなかったから、すごく不安定な気持ちでタリーズにいたなあ、とそのときの心境を鮮明に思い出してある意味懐かしくなりました。たしか時間的にも夜だったから、焦燥感プラスひとりぽっちに対する悲しさも増してたのかもしれません。とにかく当時はいろんなマイナスな気持ちがたくさんあってそれと必死にたたかってる感じだったから、いまとなってはわたしなりによくがんばってたなあって気持ちです。はたからみたらなにも行動してない人間かもしれないけれど、でも当時のわたしはわたしなりに色々と耐えてたんだろうな。


…とか書いていますが、もちろんいまも将来についての不安なんて消えてません。不安で押しつぶされそうになることも当時とおなじくあるし、わたし自身に対しての不安や課題感もたくさんあってどうにかしなきゃっていう気持ちもあります。当時抱いていたこのまま一生ひとりぽっちなのかな、っていう孤独への不安もたくさんたくさんあります。ずっとひとりぽっちなのかなあ、って。

でもなんというか、当時のわたしが抱いていた不安定さとはまたすこしちがう感じがして、いまは比較的穏やかでいられている感じはします。
数年前に今日とはちがう椅子に座っていたわたしから、すこしは気持ち的に成長したのかもしれません。ほんのすこしだけ、ね。
そうだとしたらここまで年月をかけてきた意味もすこしはあるのかな、なんて思います。

それから当時はいま以上にすごく孤独感にさいなまれていたけれど、いまのわたしがこうして温かい気持ちで昔のわたしのことを思い出していて、それがある意味わたしはひとりぽっちじゃないんだよって声をかけてあげてることになるのかな、なんて思いました。
たとえひとりぽっちだとしても、未来のわたしだけは絶対的に温かい目でわたしのことを見てくれている。思い出してくれてる。そんなふうに考えたら孤独感もすこしだけうすまるのかなあ。
いまから10年後のわたしは、いまのわたしを温かく見守ってくれてるのかなあ。まだまだ未熟なわたしを否定せずに温かい気持ちで受け入れてくれてるのかなあ。やれやれ、みたいな感じでそっとしておいてくれてるのかなあ。そうだとしたらすこし気持ち的に楽になるかもしれないな。

そんな感じでふいに懐かしい気持ちになった金曜日でした。

みなさんにもじぶんの心と葛藤した、そういう場所ってありますか?
その場所で感じたのは楽しい気持ちではないかもしれないけれど、でもそういうふうに迷ったり悩んだりした場所もゆくゆくは大切な場所や空間になるんじゃないかなって思いました。
人生いろいろ、ですもんね。長い年月をかけることもときには必要ですもんね。ゆっくり生きていきましょ。


🕊️おわり🕊️


最後までお読みいただきありがとうございます✽ふと思い出したときにまた立ち寄っていただけるとうれしいです。