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Friday´s Essay 『生活は人生だから』

気がつけば季節はもうすっかり夏で、そしてあと半月で8月も終わる。
この暑さがもうすこしでおさまるとは到底思えないけれど、はやく涼しい季節がきてほしいなあと思う。冬生まれだからかもしれないけれど、やっぱりわたしは寒い季節のほうが好きだし、冬のあの切なさをまじえた儚い空気がとてつもなく恋しい。はやく冬のあの空気に会いたい。ごめんね、夏。

そんな世間が太陽の陽気さに包まれているなか(関東は今日は台風が接近していてすごく変な天気だけれど…)、ここ最近のわたしは相変わらず“生活”を上手に大切にできていない日々を送っている。
以前のnoteでおなじようなことを書いたけれど、お仕事があった日は疲れきって気絶するように寝落ちしてしまう毎日だし、「…あれ。わたしってお仕事のために最近生きてない…?」そんな感覚が毎日毎日拭えない。
朝起きて身支度をして、自転車に乗って汗をひーひーかきながら猛暑のなか20分自転車を漕いで、新しいTシャツに着替えて約8時間お仕事をして、お疲れさまですって言い合ってまた20分かけて自転車を漕いで、家に着いたらメイクを落としてシャワーを浴びてごはんを食べて寝る支度をして、さあこれからはわたしの時間だ、と思いながらも気がついたら寝落ちしていて…。はっと目が覚めたらまた新しい一日が始まっていて、眠さと戦いながらまたお仕事に行くために支度をして…。
もちろん普通よりちょこっと多めの休日はあいだあいだにはさむけれど、ほぼほぼ毎日こんなルーティンを繰り返しているから、「お仕事のために毎日を生きている感」がどうしても拭えない。2年前には確実になかった感覚。どうしてだろう。
とはいっても、お仕事がほんっっっとにいやだ、というわけでもない。
もちろんいつもるんるんで出勤してますってわけではないし、人間だもん、ところどころでめんどくさいなあって気持ちになることもしょっちゅうある。でもだからといって絶対に行きたくない、そんな気持ちになることも最近はない。(あ、でもめちゃめちゃに暑い日は熱中症がこわくて行きたくなくなることはあります…)

だからこそ、この本屋さんでのお仕事と、毎日生きていくうえで欠かせない“生活”のふたつをちゃんと両立したいなあと思う。どちらも大事だからこそ。
いまは正直生活を踏み台にしながらお仕事をしている感覚がすごくすごくあって、本来だったら”生活”があってこそのわたしや人生のはずなのに、お仕事に全エネルギーを使いきってしまうから帰ってきたあとに脱け殻のように無気力になってしまう。気持ちにも余裕がなくなってしまう。こんなことじゃ絶対にだめだ、とわかってはいるけれど、身体と心の疲れにはどうしても勝てない。眠気にはやっぱり勝てない。人間だもの。

でも本当は夜ゆったりとした時間のなかで自分自身と向き合いながら日記を書きたいし、就寝する一時間前は好きなことをして満足しながら眠りにつきたい。自分と静かに向き合う時間をできれば毎晩とりたい。でもそれができない。過ごしたい時間を過ごせないもどかしさを抱えるのは、結構ストレスがたまるんだなあとつくづく感じている。

本当は一度いろんなことを見直さなきゃいけないんだろうな。それはわかっている。環境も、生活も、生き方も、日々の心持ちも。そのいろんなことをいい感じにわたしにフィットさせることができたら、生活もすこしずついい感じになっていくんだろう。もうすこし納得しながら日々を生きられる気がする。
でも同時に、わたしが生きてるのはいまであって、たらればで夢を見るのも人生をちゃんと生きてない気がする。だってひとは過去にも未来にも生きられないし、身を置けるのはいまという時間のなかだけだから。だから将来の暮らしに夢を見つつも、同時にいま生きているこの時間をなるべく快適に過ごせるようにがんばっていかなきゃいけない。そうしないといまの自分がすごくかわいそうだから。いまをすこしずつ整えていけば、未来も自然と整っていくはずだから。
思い描く現実はそんなにすぐにやってこないけれど、わたしの人生の上でしか成り立たないわたしの生活を大切にするためにも、すこしずつでも細かいことから整えていきたいと思う。

そう思った金曜日でした。


最後までお読みいただきありがとうございます✽ふと思い出したときにまた立ち寄っていただけるとうれしいです。