再生
まずは心配かけないように、私はとても幸せだ。
「やだもん」が口癖になった息子は口癖さえも愛おしいし、
夫は夫婦の映画鑑賞のために寒い夜でも
コンビニにポップコーンを買いに行ってくれるし、
両親は手術しても入院しても、その後の努力で超人的に回復するし、
親族は仲が良いし、友人たちは皆優しくて面白い。
30代の始めは六畳一間でカビ臭く
テレビも洗濯機もない部屋で、
明日をも知れぬ生活をしていたけれど、
今は夫のおかげで明日食べるものに困ることはなく、
テレビはもちろんのこと、ドラム式洗濯機もあるし、
ルンバやらブラーバやらヘルシオやらホットクックまでもある。
幸せなのだ、間違いなく。
なのにこんな私でも、
世界との距離感がわからなくなる時があって、
去年は多分、ほとんどの時間そうだった。
去年私は、いわゆるボタンの掛け違い、
あるいは運命みたいなもので、
大切な居場所をいくつか失った。
わかっている。
失ったと思っているのは私だけで、
居場所の方は私ごときを追放するほど暇じゃない。
そもそも居場所は寛大だ。
要は自分の気の持ちようだ。
自分の気の持ちよう一つで
いつだって飛び込んでいけるし、
飛び込んだ先では
あたたかく迎え入れられることもわかっている。
でも一方でもう、心のどこかで、
二度と戻れるはずもないことを知っている。
自分の存在や言動が
誰かを傷つけたり苦しめていたこと。
やってきたこときっとすべて間違っていたこと。
自分のエゴばかりで結局誰も幸せにしていなかったこと。
そんな暗い感情ばかりがずっと渦巻いて、
悲しみと後悔とどうしようもなさで
どこへも進めなくて、
家で笑顔でいることが仕事なのに、
そんな簡単な仕事さえ全うできずにいた。
そんな時、コロナ禍ぶりにモモちゃんと再会した。
むかし職業訓練学校で友達になったモモちゃんは、
久々に会った感じがしなくて、
相変わらず色白で飄々としていて、ニコニコと毒舌を吐く。
マリア様のような笑顔で、
こちらが何故か気持ち良くなる
愛のこもった毒舌を吐ける特殊能力の持ち主を、私は他に知らない。
前に会った時のモモちゃんは、
福祉施設で事務の仕事をしていた。
そしてしばらく会わない間にモモちゃんはなんと、
その福祉施設のトップにまで出世していた。
「いろいろ辛いことがあった人たちだから、
楽しい時間を過ごしてもらいたいんだよね」
と飄々と語るモモちゃんはかっこよかった。
「講演とか来てよ」
と言ってもらえたので、
私は電車でガタゴトと、
障がいのある方が一日過ごす、福祉施設へ赴いた。
施設の利用者の方たちが、
職員の方と軽作業したり談笑したり、自由にお昼寝したり、
そんな風にあたたかく過ごす施設の休憩時間に、
講演をさせてもらった。
20名くらいの方の前で、いつものスライドを映しだす。
障がいのある方たちの前で話すのは初めてだった。
果たして聞いてもらえるのか否か。
まあ聞いてもらえなくても話すまで。
カンボジアの写真を貼り付けたパワーポイントは
私の怠慢でちっとも更新されておらず、
自分では聞き飽きた、古びた話を話し出す。
あれ。皆さん思ったより真剣に聞いてくださっている?
大人たちが子どものように、純真な目でこちらを見てくれている。
と、ページごとに質問が飛んできては話を止められる。
無邪気に話を止められるたび、私は素に戻って話す。
素で話すたび思い出す。
10年前、夢に溢れていた日々を。
楽しい。
講演は余裕で時間オーバー。
でもモモちゃん始め職員の方のはからいで
最後まで話をさせてもらえた。
講演の最後に
「皆さんの夢は何ですか?」
という自己啓発セミナーのような質問をする。
同じみの質問だけれど、
その場ではなんだか宙に浮いた質問のような気がして
すぐに質問したことを後悔した。
でも一人の男性が手を挙げてくれた。
「俺はとにかく、生きるってことかな」
人生いろいろあってここに流れ着いた彼の
その答えが妙に刺さった。
そうだまずは、生きることから始めよう。
あれから月に1度ではあるけれど、
モモちゃんの権力のもと、
福祉施設で働かせてもらっている。
モモちゃんと皆さんに会えるのを楽しみに、
そしてあの日救ってもらった感謝を込めて。
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