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スクリーン

雪の日の思い出

初めてカンボジアで移動映画館を行ったのは2012年の秋で、その時のスクリーンは私のベッドのシーツだった。

初の上映

それがちゃんとしたスクリーンに変わったのは、藤枝さんにお会いしてからだ。

活動開始2年目に恵比寿で行った団体の報告会に藤枝さんは来てくれた。お世話になっていた方が紹介してくださったのだ。

しどろもどろ活動報告をする私を、前から三列目の左側の席からニヒルに笑いながら見ているロマンスグレーのダンディな人がいて、それが藤枝さんだった。

藤枝さんは株式会社オーエスで広報を担当されている方だった。オーエスさんはオーディオビジュアル関連機器の開発、販売と総合音響システムの導入を行う会社で、老舗のスクリーンメーカーでもある。

なんとそのオーエスさんからスクリーンをご提供いただけることになり、綾瀬にあるオフィスまでメンバーと取りに伺った。スクリーンや映像機器が置いてあるオシャレなショールームで藤枝さんのお話を聞いた。

スクリーンやプロジェクターについて語る藤枝さんのお話は面白く、好きな映画は『しあわせのパン』だと知った。

雪が降っている日だったけれど、ホクホクとあたたかい気持ちになりながら、長いダンボールに入ったスクリーンをメンバーと持って帰った。

その長いダンボ―ルなんですか? と空港で怪しまれながらもカンボジアまで運んだ。
ちゃんとしたスクリ―ンで映画を上映すると、画質が何十倍も良くなることを知った。

その後もオーエスさんからは計6本のスクリーンとプロジェクター3台、小型のソーラーパネルまでご提供いただいた。

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そしてスクリーンはカンボジアへ

株式会社オーエスはスクリーンの歴史と共に歩んできた会社だ。

1953年、大きなスクリーンで観る映画に人々が歓喜した映画館の全盛期に、大阪の堺市でスクリーンの製作と設置を行う会社として誕生。

1965年頃から学校でスクリーンを使う授業が普及し始めると、教育現場へ進出。企業も研修や会議室でスクリーンを使うようになり、市場は拡大していった。映像投影に付随する設備も自分たちで試行錯誤を重ねながら製品化するようになった。

1989年に世界初の液晶プロジェクターが誕生すると、家庭ではホームシアターがブームに。けれども薄型ディスプレイの出現と共にスクリーンは衰退。

オーエスは特殊スクリーンやプロジェクター、音響システムの分野へとフィールドを広げ、開発から設置までのワンストップソリューションを展開し、現在に至っている。

現状に固執することなく、時代の変化やニーズに合わせ柔軟に進化を遂げてきたオーエスさんは、今年創業66周年を迎えている。

2014年からはカンボジア農村部の子ども達が移動映画館でオーエスさんのスクリーンとプロジェクターで映画を観るようになった。

カンボジア7万人の子どもたちがスクリーンの端に印字された「OS」のロゴマークを見ている。

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奥村社長


オーエス二代目となる奥村正之社長は、お父様の急逝により32歳の若さで会社を継いだ。威風堂々としている奥村社長だけれど、お父様を失った悲しみにくれる間もなく会社を継がれた当時の苦労ははかり知れない。

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生まれも育ちも大阪の奥村社長の生粋の大阪弁やお人柄が好きだ。
「大阪に来たときは案内するから連絡してや」と言ってくださり、ご多忙な方なのに有言実行で、大阪の街を案内してくださった。奥村社長のおかげで難波や梅田を好きになった。

グルメな奥村社長は東京でも美味しいお店を知っている。
2016年に綾瀬にあるお酒も料理も美味しい和食居酒屋さんでご一緒させていただいたことがある。旨味しい料理にお酒が進み、気づいたら五人で日本酒四升あけていた。そして私は倒れた。

同席していたメンバーの証言によると、「あぶりしめサバおいしー!天ぷらおいしー!」と楽し気に食べ続けながらバタリと倒れたらしい。

次の記憶は藤枝さんとタクシーに乗っていて、「止めて!」と叫び、道路に両膝と両手をつきながら嘔吐する地獄絵図な自分だった。

嘔吐物まみれの物体と化した私は藤枝さんのご自宅に運び込まれた。酔っていても覚えている、改築されたばかりの、決して嘔吐物まみれの人間が入ることが許されるはずもない、それはそれは綺麗なご自宅だった。

なのに藤枝さんの美しい奥様は「あら大変」とお風呂に案内してくださり、朝目覚めると嘔吐物まみれの洋服を洗濯して干してくださっている奥様の姿があった。奥様の女神さと、奥様への申し訳なさを忘れない。

大抵の人は大学1年生の新歓コンパ的な20代前半に体験するであろう泥酔による醜態を、35歳でご支援企業様の前で披露した。今思い出しても死にたい。あんなに酔ったのは後にも先にもあれきりだ。

奥村社長が「教来石にあんなに飲ませるなと藤枝さんから怒られた(笑)」とおっしゃっていて、以来日本酒を勧められることはなくなったけれど、奥村社長や藤枝さん、社員の方との飲み会は今でも楽しみだ。

まるでプロジェクトXのようで

オーエスの社員の皆さまが集う忘年会に恐縮ながら参加させていただいたことがある。2016年の冬だった。

お膳がズラリと並んだ和室の大広間が会場で、皆様が和気藹々と楽しまれていた。お世話になってばかりの私にも、社員の方お一人おひとりが親切にしてくださった。

会も終わりに近づき、部長クラスの方たちがひと言お話される時には、一丸となって会社を盛り上げていこうという熱気で盛り上がっていた。

ものづくりに携わる方たちはカッコいいなと心底思った。プロジェクトXを見ているみたいだった。

オーエスさんは、社員の皆様が会社を自分ごとと捉えている会社だ。一度退職して他社で働いてもやっぱりオーエスが良いと戻ってくる社員さんもいる。

お話の中で、オーエスさんは今から2年前は経営が苦しくて、でもそこからみんなで頑張ってここまでこれたということを聞いた。

2年前といえば、オーエスさんが弊団体にスクリーンやプロジェクターの支援を始めてくださった時ではないか。経営が大変な時でも、ご支援くださっていたのだと知り泣きそうになった。


時代

2018年には、ドリンクを買うと弊団体に寄付が入るキリンさんの寄付型自販機を東京と大阪、そして兵庫の工場に2台、計4台も導入してくださった。

「これまでは主に僕や社長が支援してる感じだったけど、これからは社員みんなで応援できるから嬉しい」と藤枝さんはおっしゃった。こちらの方が嬉しいです。

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藤枝さんは先日開催した団体の7周年イベントにもご参加くださって、「これ社長のアイディアで開発したんだ。早く渡したくて」と、持ち運びやすいスクリーンをその場でご提供くださった。

軽くて折りたためて、水洗いもできる。キャンプ場なんかでも使えるし、もちろん途上国での移動映画館にも使えてしまう。グローバルフェスタ出展の時も使わせていただいた。

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その藤枝さんが、今年の11月で務めを果たし退職されると聞いた。寂しかった。ついにこの時が。

でも後任の社員の方たちもとても良い方だし、藤枝さんのあの綺麗なご自宅に、今度は酔っていない状態でお邪魔しようと目論んでいる。

2019年にはオーエスさんに入社された奥村社長のご子息にもお会いした。謙虚で優秀な方だった。

初めて藤枝さんにお会いしてから6年。奥村社長や社員の皆様ともご縁をいただいて。長い長いオーエスさんの歴史にしたらほんの一部だけれど、素敵な会社の歴史に近くで触れさせていただけていることに感謝。

ご支援いただいていることを除いても、私はオーエスさんのファンだなと思います。







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教来石小織
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