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観音菩薩

「カンボジアの子ども達に映画を届けたい」と思った2012年のあの日から、たぶん駆け抜けてきたのだ。

無我夢中で、自分のキャパシティなど度外視で疾走してきたその傍らで、置いてきたものや見失ってしまったものもたくさんある。

忙しいことを理由に、無礼なことや最低なこともたくさんしてきたと思う。

それらはどこかで「心残りなこと」になっていて、時間ができると思い出し、胸がギュッと締めつけられたり、自己嫌悪に苛まれたりするのだ。


ワイ田くんのこともそうだ。


ワイ田くんは、職場の後輩だった。

活動を始めてから一年くらいして、友人が、万年派遣の事務員だった私を契約社員として雇ってくれる会社を紹介してくれた。やがて正社員にまでしてくれて、そこで私はライターの仕事をしていた。

人手が足りなくなって、ふとワイ田くんを思い出した。

友達の友達で、まだ一度しか会ったことがないけれど、まだ18才か19才で、たしかコンビニでバイトをしていて、小説家志望の男の子だった。Facebookの投稿ではなかなかいい文章を書いていた。

彼ならライターができるんじゃないか。コンビニよりも書く仕事の方がワイ田くんの将来のためになるのでは? など、何様かというようなことを勝手に思い声をかけてみると、ワイ田くんはコンビニのバイトをやめてこちらにきてくれた。

ワイ田くんは後輩になった。

ワイ田くんは会社がある沿線の終着駅に引っ越したらしく、家賃は2万4千円だけど、駅から徒歩40分くらいかかるみたいなことを言っていた。

ワイ田くんは一生懸命で真面目で、真面目ゆえに不器用だった。

最初のうちは「ワイ田くんを育てるぞ」と生意気にも意気込んでいたけれど、やがて自分の仕事だけでいっぱいいっぱいになっていった。

そして間もなくして、NPOの活動が忙しくなるターニングポイントが訪れた。

会社が終わったあとにNPOの活動で、たぶん半月で100人くらいの人に会うような生活が続き、数カ月で私は倒れた。渋谷駅の救護室でうつろな目で天井を見ながら、限界がきたことを悟った。

NPOに集中したいというワガママで私は会社をやめた。
(社長には今もお世話になっていて本当にありがたいです)
自分で呼び寄せたくせに、ワイ田くんのケアなど何もせずに「がんばってね」と言ってやめた。

しばらく経って。
なんとなく落ち込むことがあってヒマだったので、自分の名前をネットで検索するエゴサーチをしていた。

随分過去まで遡って見ていたら、ワイ田くんの投稿を見つけた。

うろ覚えなのだけど、こんな感じの投稿だった。

「僕の先輩の教来石さんは凄いんだぜ」

なぜ凄いかも書いてあるツイートを三回ほど読み返しながら、私は本気でむせび泣いた。初めてワイ田くんが、実際何も凄くもない私を先輩として慕ってくれていたことを知った。なのに私は何もせずに、私がワイ田くんを呼び寄せたのに、私は自分勝手に去ったのだ。

ワイ田くんだけじゃない、ビジョンを目指し邁進する中で置いてきた、いろんなものに気づき私は泣いた。

鼻水を拭きながらワイ田くんに「元気?」と連絡してみた。
ワイ田くんは会社をやめて、大手の雑貨屋さんでバイトを始めたようだった。


それから数年くらいして、「そうそう。そういえば、ワイ田くんて知ってる?」と、意外な人からワイ田くんの近況を聞いた。

センジュ出版吉満明子さん。
2016年2月に、著書『ゆめの はいたつにん』を出版してくださった出版社の社長さんだ。吉満さんに会うと、いつも楽しくて幸せな気持ちになる。大好きな人だ。

出版社の経営に、カフェに、編集に、執筆に、イベントに、子育てにと、人間業じゃないくらいの仕事量をこなしながら、いつも笑顔で、人に会えば相手のすべてを包み込んでくださるような慈愛に満ちている。

なんというか、観音菩薩のような人なのだ。


聞くとワイ田くんは、センジュ出版まで吉満さんに会いに行ったらしい。
『ゆめの はいたつにん』を読んで感動したことや、他にもセンジュ出版から出ている本が素晴らしくて、センジュ出版を手伝いたいと、ワイ田くんは立候補したらしい。

「不器用で一生懸命な感じで、なかなかいい文章を書くし、手伝ってもらうかも」というようなことを吉満さんは言っていて、それから間もなくして、ワイ田くんはセンジュ出版でアルバイトを始めた。

センジュ出版のFacebookページからは、時々ワイ田くんの味のある文章の投稿が流れてくるようになった。

今年の夏に、センジュ出版さんに併設されたカフェで行われるブックサロンで『ゆめの はいたつにん』のイベントが行われることになり、私もお邪魔させていただくことにしていたら、前日にワイ田くんからLINEが届いた。

「明日はお会いできることを楽しみに、ドリンクなどを作らせていただきます」

あぁ、ワイ田くん、ドリンクとかも作れるようになったんだ、成長したなぁと思って当日会ったら、ワイ田くんはやっぱり不器用だった。

お客さんに出すビールやワインがあけられなかったり、あたふたとしていて、そしてやっぱり一生懸命だった。

たぶんもしここが普通のカフェだったら、「ワイ田何やってんだ!」と店長あたりに怒られてたかもしれない。

でもセンジュ出版のカフェの空気には、吉満さんの慈愛がそのまま反映されていて、たぶんそこに来ていたお客さん皆が、ワイ田くんをあたたかく見守っていた。

どこかでずっと心残りだったワイ田くんが、吉満さんのそばで働いているのを見るのはとても嬉しくて。

センジュ出版で働くワイ田くんはあたふたしながらも、輝いていた。



すべてを包み込んでくれるような吉満明子さんが、来年1月にご自身の本を刊行されます。

しずけさとユーモアを~下町の小さな出版社 センジュ出版

きっと最後の1ページを読み終わったとき、出会えて良かったと思える本だと思います。届くのが楽しみです。




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教来石小織
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