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2019年の奄美記(1月)
ははのふるさと奄美へ、今年もたくさん帰った。
忘れないうちに、奄美記を残しておこう。
奄美へは、数年前からLCCが就航し、とても帰りやすくなった。
それまでは、JAL一択しかない状態で、強気のJALさんは奄美便を値下げすることなどなかった。だから、奄美へは、そう簡単に帰ることなどできなかった。
2002年、祖父が危篤との連絡があり、慌てて帰省した時は、往復で一人10万円を軽く超えた。早朝に連絡があり、そのまま羽田空港へ向かい、JALカウンターで当日券を買った時の話。事前に旅程が分かっていても、介護帰省などの割引を駆使しても、往復で6万円は超えていた。まだ若くて、収入もない私には、そんなに簡単に買えるチケットではなかった。(奄美に帰るより、国外へ格安ツアーで行く方がよほどお財布に優しかったので、当時は国外ばかり行っていた)
LCCが就航し、いよいよJALさんも良心的なチケットを出してくれるようになった。初めの頃は物珍しくてLCCに登場したこともあったが、今ではJAL一択になってしまった。だって、羽田の方が近いんだもん。それに、登場前から帰宅後までのサービスの良さは、(当たり前だけど)LCCとは比較できない。
奄美空港から、ははのふるさと加計呂麻島までは、さらに陸路と海路を使って進む。奄美空港は奄美大島の北部にあるため、まずは島を南端まで縦断する。公共交通機関はバスのみ!しまバスを、途中の「名瀬」で乗り換えて、約3時間。奄美大島南部の「古仁屋」から、公共交通機関であるフェリー(もしくは定期船)に乗り込み、約30分。ようやく、シマ(奄美では集落のことをシマと呼ぶ)に到着する。
フェリーの場合は、加計呂麻島の「瀬相」で下船し、そこからまたバス!しまバスのほぼ終点に、ははのふるさとのシマがある。ちなみにバスの乗車時間は40分。定期戦の場合は、30分でシマに到着できるのだけど、なんせ便数が少ない。というか、ない。定期船はシマに暮らす人々のものなので、ヤマト(シマでは日本本土をこう呼ぶ)から戻った人のことまで想定して運行をしていない。この辺り、シマは容赦ない。
写真はフェリーで瀬相に到着したところ。これから着岸。右にしまバスが控えている。フェリーの到着時刻に合わせて、運行が行われている。だから、ちょっとモタモタ写真なんて撮っていると、バスに乗り遅れる。このバスを逃すと、シマへ帰る手立てはなくなるので注意。
シマはここ10〜20年くらい前から風景がどんどん変わる。帰るたびに、つまらない景色になっていく。サンゴ道を舗装して、アスファルトの道になった。シマに暮らす人々にとって、それは便利で良いことなのかもしれないけれど、シマの良さが無くなっていく寂しさがある。
2019年1月の帰省の目的は、前年の台風被害に遭った屋根と外壁の修理だった。
シマは高齢化が激しく、何かが壊れても直せる人がいない。
外部に修理を依頼すると、シマ料金がかかり膨大な金額になる。
そこで、前もって資材を送っておいて、修理隊がシマへと乗り込んだ。
1月の修理隊は2名。メンバーは親族から有志で集めることにした。
屋根の壊れた部分と、外壁を補修。日数が少なく、また、素人作業なので、全ての工程が滞在中に終えることができなかった。
シマへ帰省する目的のもう一つは、シマの味を覚えて帰ること。
幼少の頃から慣れ親しんだシマの味は、分かっているようで、実際に作ることができない。ヤマトに住んでいると、わざわざシマの味を作ることもないから。でも、今おぼえておかなければ、シマの味を作れる人たちもみんな高齢化してしまい、教えてもらえなくなる。だから、シマの味を習得するために、これまでやったこともない「台所仕事」も手伝う。
1月はシマのお正月料理を習う。鳥と椎茸出汁のお吸い物風、雑煮。青みがニラなのが、シマっぽくて笑った。
シマでは、気がつくと、縁側に謎の物体が置かれていることがある。
これは「クブシメ/コブシメ」シマのイカ。
近所の漁師さんが、冷凍しておいたクブシメを届けてくれていた。
「フダンソウ」と「ダイコン」も置かれていた。
早速クブシメを解凍して、調理。と、思ったらふつうのイカだった。
漁師さん曰く、冷凍だから間違えたと。笑
冬に帰省すると、シマの柑橘もたくさん楽しめる。
これは「クサラ」
シマへの帰省は、つい空港からシマまでノンストップで移動してしまう。
だから、最近までシマの観光スポットを全く知らなかった。
せっかくなので、大島紬村で、紬の製作工程を学ぶ。
昔はうちのシマでの機織り工場があって、ばあさんたちがせっせこせっせこと紬を作っていた。当時からもっと興味を持っておけば良かったと、ありきたりな後悔をしてみる。
奄美のトイレ。
これじゃあ、ヤマトんちゅう(日本人)にはわからんだろう。。。
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