誰かの頑張りが力にならない時
どんどん日が短くなって、日に日に寒さが増してくる。東北の冬は、いつも思ったより足が速い。いつのまにか襟元に忍び寄り、徐々に身体を冷やしている。そして、そういえば去年もそんな風に思ったのだった、と毎年のように考える。
日照時間が少ない季節が、私はあまり得意ではない。自分の意思とは関係なく、気持ちが落ち込みがちになる。
そういう時には決まって、誰かの頑張りに打ちのめされてしまう日が、週に1度くらいやってくる。自分よりも頑張っている人や、結果を出している人の様子は、普段なら力になるのに、そういう時にはただただ、敗北感や劣等感を感じる要因にしかならない。
そしてそんな時はどうしても、自分を責めてしまいがちになる。
「なんで頑張れないんだろう?」
「なんでこんな気持ちを抱いてしまうんだろう?」
理想にする自分とのあまりのギャップに、ついついそんな風に考えてしまっては、更に落ち込んでいく。負のループだ。
時には全部投げ出してしまいたくなる事もある。
散歩をしたり、本を読んだりして気分転換しながら、どうにか気分を持ち直すことが多いのだけれど、それでも無理な時には「自分にはいま養生が必要なのだ」と思うようにしている。
中医学の考え方に「養生」というものがある。言葉だけなら、耳にしたことがある人も多いと思う。養生には、季節に応じた指針がある。いろいろな解釈があるとは思うが、私は冬の養生は、春に向けて力を貯めるために「無理をしない」ことと「身体を温める」ことを勧めているように思う。
自然界では冬になると、木は葉を落とし、動物や虫などが冬ごもりをはじめる。活動を停滞させながら力を貯めて、春を待つ準備をするのだ。人間だって自然の一部。冬には少し活力が落ちたり、思うように動けなかったりしても、なんの不思議もない。
必要なのは、あったかい食べ物と寝床。冬眠に入る前のクマみたいな気分でお腹を満たし、ゆっくりと眠る。それから、それだけで十分だと自分を許せる心の余裕を持つこと。
こんな風に言うと、自分を甘やかしていると思われがちだけど、人に迷惑をかけない範囲であれば、自分を甘やかしたっていいじゃないかと私は思ってる。
自堕落になる、ということではなく、それはありのままの自分を認めることに近いような気がする。そうじゃないと、あまりに生きづらい。
いろんな人がいて、いろんなペースがある。
常に全力であることも大切だけど、波がありながらも細く長く続けていくことも、同じくらい大切なのではないかと思う。
自分のペースを見つけて、自分に優しくなれること。
そしてそれは、他の誰かに優しくなれるということでもある。
いつかのあの日のように、心が折れてしまわないように。私は私のペースで、歩んでいきたいと思う。