ドルチェファールニエンテ〜暇を味わう〜
ドルチェファールニエンテ、映画「食べて、祈って、恋をして」を観て、出合った言葉だったと思う。意味は"何もしないことの喜び"。
私は20代半ばで「うつ病です」と診断された。(正確にはうつ病ではなかったのだけれど。)
なぜそう診断されたか、きっかけを振り返ると、予定を詰め込みすぎていたことにあると思う。予定がない、暇なことが嫌だった、怖かったのだと思う。
お昼から始まる高校に通っていた私は、午前中にアルバイトをして、時には授業前にダンス部(副部長だった。)に参加して、授業を受けて、夕方からアルバイトに行くか、ボイストレーニングスクールに通っていた。
土日はダンスの習い事かボイストレーニングスクールで練習をして、夕方からはその仲間とご飯を食べに行ったり、他の予定を入れていた。合間には歌や楽器の練習をしていた。様々なイベントや仲間のライブなどにも参加していた。そういう生活スタイルが15歳から10年以上続いていて、ある時にアルバイト仲間から「折原さん最近様子が変ですよ」と言われた。自分でも「最近私やけにイライラしているなぁ」と感じていた。
前置きのようなものが長くなったけれど、私はメンタル不調になったのだった。
いつも目標や目的がないと不安だった。行動していないと落ち着かなかった。
暇な時間が苦手で、いつも何かを吸収しようと、習い事を増やしてみたり、色々なジャンルのイベントに出かけたり、色々なジャンルの本を読んだり、色々なジャンルの友人と毎日のように会っていた。家族との時間も作っていた。
そんな充実しているような生活スタイルに満足していたのかもしれない。でもそれに心は追いついていけなかった。やりすぎていたのだと思う。
一人旅の離島で、ぼーっと海をいつまでも眺めていられた。大好きな時間だった。島の人とおしゃべりをすることや、のんびりと自然を味わいながら歩くことも。
東京生まれの私で、何となく東京の忙しない流れに慣れてしまっていた私だけれど、本当はゆっくりとした場所、時間が好きなのかもしれないと、あらためて気づいた。
不思議なもので、都会にいると「何かしないといけない」と思うのに、国内の離島や、インドネシアのバリ島では「何もしなくて心地よい」「頭が空っぽでぼーっとしていられる」があった。南国の雰囲気や自然、人が、そうさせてくれるのかもしれない。
南国に住めば良いかもしれないけれど、それができない理由もいくつかある。
ならば自分自身が、余暇の時間に南国にいるような気になればいいんだ!(笑)もしくはたまに島へ一人旅をしたり。ヨガもすごく良いです。
つい昨日まで暇が苦手な私だったのに、今日お昼すぎまで寝て、ゆっくりとお昼ごはんを作って、食べていたら、ふと"ドルチェファールニエンテ"を思い出した。何もしないよろこび。
ただ、今を味わう。のんびりしているなぁ、心も身体も落ち着いているなぁ、と感じる。
そういう暇(余白の時間)があるからこそ、「本でも読んでみようかな」「散歩に出かけてみようかな」「今晩はカレーを作ってみようかな」とか、本当の心の声が聴こえてきたり、自然と本当にやりたいことが見えてきたりするのかと思った。
効率性や合理性や成長ばかりを考えていた私をちゃんと脱ぎ捨てるときが来たのかなと思う。
忙しい人がすぐにこういうことを実行するのはちょっと難しいかもしれないけれど、あえて少しずつ、暇な時間を増やしたり、たとえばヨガや瞑想をしたりすると、自然とできるようになってくると思う。
心を空っぽにする。ぼーっとする。心(脳)を休めてあげる。たくさん寝て身体を休めてあげる。
もしかしたら、暇を味わえる人こそ、本当に幸せなのかもしれないなぁ。