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旦那とか主人とか配偶者とか
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最初の結婚をしたのは24になってすぐのことだった。相手は大学入学時から付き合っていた2学年上の先輩だ。
結婚に至るまでの経緯はまた別で書こうと思う。が、いずれにしても、それまで相手を他人に紹介するときは「うちのカレシ」「うちのカノジョ」で済んでいたものが、唐突にそうはいかなくなってしまったのだ。
今なら、友人たちが自身の配偶者を何と紹介するのかを参考にすればよい。しかし、この年齢での結婚は私の仲間内ではダントツに早く、参考にできる同年代の夫婦がいなかった。にも拘わらず、当時の私は、突如降って湧いたその事柄について、あまり深くは考えなかったのだ。
その結果、配偶者のことを、少しかしこまった場においては「うちの主人」、気さくな仲間内においては「うちのダンナ」と呼ぶことになった。大変一般的な呼称だと思う。ゆえに、大変無難な呼称でもあると思う。
私が何の疑いも持たずその一般的な呼称を選んだのは、おそらく周りの同年代たちが「カレシが〜」とか言っている中で、自分だけが「ダンナがさぁ〜」なんて言えるのが少し誇らしかったのだと思う。あの頃は若かった。当時はドヤ顔なんて言葉はなかったが、パートナーをダンナと呼ぶ私は、きっと鼻を膨らませてがっつりドヤ顔をキメていたに違いない。
彼の方も、私のことを普段は「うちの奥さん」と言っていたようだ。かしこまった場では「うちの家内」。もしかすると仲の良い友人たちには「うちの嫁」と言っていたかも知れない。何にしても世間一般においては珍しくも何ともない呼称である。
そんな「ダンナ」と、一子を設けたにも拘わらず、スイートテンを目前に私は離婚する。離婚理由はいろいろあるが、私の中で一番大きかったのは、ことあるごとに見下されているように感じる、ということだった。
ダンナは大学を優秀な成績で卒業し、民間企業に就職、そこが合わずに1年も経たず退職したものの、しっかりと勉強し公務員試験に合格、とある市役所に勤めていた。忙しい部署だったので、25、6で年収は500万近くあり、いわゆる「勝ち組」の部類に入っていたと思う。住宅ローンの審査も難なく通り、20代半ばで夢だった庭付き一戸建てに住むこともできた。片や私といえば、浪人までして入った大学を3回生まで行ったのに芝居に傾倒し自主退学。フリーターをしながら芝居を続け、一度もお勤めをすることなく結婚し、妊娠してから長男が生後3ヶ月になるまでは完全な専業主婦だった。特に専業主婦になってからは、収入面でダンナに頼りきりになっていることに後ろめたさを感じていた。
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