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レールを外れる勇気

厚生労働省がまとめたデータによると、2022年の子ども(小学生〜高校生)の自殺数が、過去最多になったようです。「少子化」が叫ばれながら、子ども達は幸せではないの…?

自殺の理由は意外と分からない場合も多いようです。なぜなら①本人に聞くことが出来ない②子どもは説明能力が不十分③様々な要因が絡んでいる からです。
子どもの頃、

「学校に行きたくないな」

と思ったことないですか?少なからずの人が1回はあるかと思います。「面倒くさいから」とかそんな理由だったらいいのだけど、

いじめ問題

これだったら危険です。昔からあったものの、「近年は陰湿」と言われてから随分経ちますね。子どもは「選択肢が他にもある」と考えにくいし、何より大人のように「自分で選択して新たな道を進む」ことが1人では実現が非常に難しい。家庭環境の悪さで「家を出たい」と思っても、その術がないのです。要は逃げ場がない(と思ってしまう)。結果、痛ましいことに若い命を自ら絶ってしまう。

もちろん、前提として学校は行った方が良いです。社会の縮図とも言いますし、人は基本与えられた環境の中で生きていかなければならないから。(家庭もそう) そこで人間関係を学んだり相対的な自分を知ったり、勉強だけでないものを学ぶのです。勿論「行かない」より「行く」方が、選択肢も広がります。

社会はそれを構成するために、様々な制度や所属団体があります。ところがいつの時代でも…

どうしてもその「枠」に納まらない人がいる

これは事実なんですね。
(仕事だったら、雇われるのが向かない人もいるし人と接するのが苦手な人もいる。家だったら親自身が子どもに暴力を振るっているなど、家庭を築くのに向いてない人もいる。)
じゃあどうしたらいいかというと、

レールから外れる選択肢を持つ

ことじゃないかな、と思います。
辛い思いをして我慢して、自ら死を選ぶ必要はない。家庭環境が悪い場合は、ある程度の年齢の子なら早く自立するという方法があります。まだ小学生の場合は、相談出来る人に相談してみる。(声を上げていいんだよ←これが結構出来ない) そして行政のサポートが必要です。

「人が本当に死ぬのは他人に忘れられた時」と聞いたことがあります。でも、生きていても死んでいるような状態もある。例えば心が死んでしまって戻れなくなった場合。例えば何にも興味を持てず、空虚なまま生き続けている場合。そうなったら「本当に生きている」とは言い難いのではないでしょうか。
もちろん「人としての道は外さない」のを大前提として、極論

学校は行かなくていい
仕事もしなくていい 

と思ってます(それで成り立つなら)。実際私も学校も仕事も行ってなかった時期があるけど、なんとかなってます。案外そういうものです。どこかに居場所はあります。道は1つではないはず。

例えば電車に乗っていて死にたくなる程辛い時は、別の電車に乗り換えてもいいんです。途中下車して、草原を散歩するのもいいですね。寝転がって空を見上げると、気持ちよさそうです。(雨が降ってきたら雨宿りして下さいね)

本当に大切なものは何なのか

人によって違うと思うけど、それを見失うことの方が問題だと私は思います。人生100年時代、まだまだ先は長い。現在(いま)は大切だけど、長い人生で見るとほんの一部だったりする。私自身今一度振り返って、これからの生き方を考えていきたいです。子どもも大人も、より良い人生が送れますように (^_^)
          心を込めて 2023.3.23



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