「優しい」は褒め言葉?
男性は「優しいね」と言われても嬉しくない、って言いますよね。そういえば私も子どもの頃言われていましたが、正直微妙でした。嬉しくない訳ではないけれど、「明るい」とか「楽しい」って言われたかったです。さて、今回は「優しいは褒め言葉か」について考えてみます。よろしければお付き合い下さい。
最初に意味を再確認してみましょう。
【優しい】周囲や相手に気を使う。穏やか。
情が細やか。(広辞苑より)
ほう、そういう意味でしたか。
結論から言うと、褒め言葉になるかどうかは
使い方による
これに尽きます。じゃあどんな時にそうならないかという例を挙げてみます。
①他に褒めるところがない
「これ !」といった長所がなく、その人を良く言う時に使います。「怒りっぽい」とか「意地悪」等の負の要素がなければ、適用できますね。
②その人を都合良く使うため
何か頼み事をする時、「○○さんって優しい〜」なんて言ってませんか。要は面倒くさい事を押しつけてしまえ、ってことですね。
③別の意味で言いたい時
言うべきことをはっきりと言えない人を、これまた「優しいから」なんて表現をします。
別に優しい訳じゃないんですけどね。
以上のような不適切な例を除いて、「優しい」は褒め言葉だと思います。良いじゃない、素敵なことですよ。いくら稼ぎのある旦那さんでも、暴力を振るう男なら最低です。ただそれが、生きる上で一番に必要とされていないだけなんです。
昭和の一時期に比べて、社会が不寛容・厳しくなりましたよね。理由は言わずもがな、「余裕がないから」です。弱くて優しい人もいるし強くても優しくない人はいるけど… 基本的に「その人に余裕」がないと、本当の意味で人(もっと言うなら動物や地球も)に優しく出来ない、と私は考えています。
しっくりこないなら別の言葉、例えば「人間力」「器が大きい」なんて表現はどうでしょうか。
でも優しい人が必ずしも幸せとは限らない(むしろ違う場合も多い)のは、皮肉というか報われないよなと、ちょっと複雑な気持ちです。
いずれにしても、「正しい意味の優しさ」のない世界は殺伐としていて、住みたくないです。つまり人間が人間であるために必要なものではないでしょうか。そういえば、こんな言葉を聞いたことがあります。
「強くなければ生きていけない 優しくなければ生きている資格はない」
いや、全くその通りと思います。別に強くなくても生きていくことは出来るし、優しくなくても生きる資格はあるのですが、出来るならばそうありたい。強くも優しくもない私はそう思っています。