「自由に書く」って難しい
ある日noteに投稿する記事のネタ切れだったため、母に提供を求めてみた。困った母。その時ローズマリーティーを飲んでいたため、「例えばローズマリーとか」と私が言うと、「じゃあそれで(←超安易)」との返答が。…いや、却って難しいね(^_^;) 特に思い入れもないのに、どう書こうか悩む。
小学校の夏休みの宿題で、「自由研究」なるものがあった。何をするか悩んだ人、結構多いんじゃないかと思う。それは
①範囲が広すぎる
②程度が分からない
このような理由ではなかろうか。「自由」と言っても世の中にはあらゆるものがある。広すぎて絞れない、または相応しいものか分からない。そしてどの程度「研究」すれば良いか分からない。だから「自由研究の本」に例が載っていたりする。
読書感想文だってそうだ。あれはついつい、本の要約になりがちだ。何を書けばOKなのか分からないからこうなる。そして評価を気にするから無難にまとめようとする。これにも例があって、「その本の中で心に残ったエピソードを元に、自分の経験も踏まえて感想を書く」というものだ。幼稚園くらいの子どもなら別だが、ある程度の年齢になると「自由に」といっても色々考えてしまうのである。
今回は「自由」について書いてみたが、発端はローズマリーティーであったことを最後に記す。本当に全く触れずに終わってしまったし、これは「取っ掛かりから話を広げる」パターンだ。やはり自由は難しい。
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