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誰の罪で盲目に生まれたのでしょうか

いつも読んでいただき
ありがとうございます。
さおりんです。


聖書のストーリーの中のある1つを
ご紹介していきます。


キリストの行く先で、
1人の目の不自由な青年が道端に
座っていました。


弟子たちがキリストに尋ねます。
「この人が生まれつき目が見えないのは
だれが罪を犯したからですか。
本人ですか。それとも両親ですか。」
ヨハネによる福音書9章2節


するとキリストは答えました。
「本人が罪を犯したからでも、
両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現われるためである。」
ヨハネによる福音書9章3節


キリストは地面の泥を取り、
それを青年の見えない目に塗りました。


「この泥をシロアム(遣わされた者)の池
に行って洗いなさい。」
ヨハネによる福音書9章7節


そう言ってキリストは立ち去りました。
青年はシロアムの池に行き
泥を洗い落とします。


すると目が見えるようになり、
いままで見たことのない世界が
自分の前に開けました。


当時、障がいのある人や家族に向かって
先祖が悪いからだ
その人が罪を犯したからだ
と責め裁いたり、
冷たい視線を浴びせる人が多くいました。


キリストは、そうではなく障がいも
神の計らいであることを示すために
こういう奇跡を起こして
人々の目を覚ましました。


障がいのある子が生まれれば、
本人も家族もひとかたならぬ苦労を
強いられます。


一般的には
不幸と考えられるかもしれません。


しかし、キリストは
「神の業がこの人に現われるためである」
と説いています。


様々な障がいのある人は特別な使命
を担っています。


特別に選ばれた人として、
この世に生を享けた
と言えるのではないでしょうか。


ここまで読んでいただき
ありがとうございました。
さおりんでした。


今回ご紹介したのは、
シスターの鈴木秀子さんの著書
「自分を生き抜く聖書のことば」
について、ジェンダーのLGBTQ種族や
ADHD・HSPなどの繊細敏感種族、
いわゆる繊細感覚派が
生きづらい世の中から生きやすくなる
ために感銘を受けた思想を
私の主張も絡めながらご紹介しています。
ぜひ一度、読んでみてくださいね。

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