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すべてのひとが神の生き写し

いつも読んでいただき
ありがとうございます。
さおりんです。


今回はすべての人が神の生き写しという
テーマでご紹介していきます。


新約聖書のマタイによる福音書には
次のようなたとえ話があります。
人が亡くなって天国に招き入れられる時
キリストがそこにいる人たちに向かって
話を始めました。


わたしの父(神様)に祝福された人たち、
天地創造の時からお前たちのために用意
されている国を受け継ぎなさい。
お前たちは、わたしが飢えていた時に
食べさせ、のどが渇いていたときに
飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
裸のときに着せ、病気の時に見舞い、
牢にいた時に訪ねてくれたからだ。
マタイによる福音書25章34~36節


それを聞いて不思議に感じた人が
キリストに尋ねました。


いつ私たちは、飢えておられるのを見て
食べ物を差し上げ、のどが渇いている
のを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
いつ、旅をしておられるのを見て
お宿を貸し、裸でおられるのを見て
お着せしたでしょうか。
いつ、病気をなさったり、
牢におられたりするのを見て
お訪ねしたでしょうか。
マタイによる福音書25章37~39節


キリストに直接食べ物を与えたことも
水を飲ませたことも記憶になかったから。
キリストは答えました。


はっきり言っておく。
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の
1人にしたのは、わたしにしてくれたこと
なのである。
マタイによる福音書25章40節


親である神様から見たら私たち人間は皆、
自分の命を分け与えた兄弟姉妹です。
しかし、そうはいってもおかれた環境や
境遇は様々。


肌の色も違えば、ことばも違います。
栄華を極めた生活を楽しんでいる人も
いれば、その日食べるものもなく
飢えによって道端で死にゆく人もいます。


キリストが最も小さい者というのは
たとえば名もなくこの世を去っていく人
たちのことです。


最も小さい者たちを心から敬い、
食事や飲み水を与えたとしたら
それはそのまま神やキリストに与えた
のと同じだと言います。


このことばはマザー・テレサの精神
そのものでした。
いまにも倒れそうな人の背中に
手を当てて支え、水や食糧を与え、
風呂に入れてタオルで拭き、
亡くなっていく人を力づけ
優しく看取りました。


その無償の愛に世界中が涙し、
たくさんの人がマザーのもとを
訪れました。
しかし、だれもがマザーの活動を
称賛したわけではありませんでした。


とくに救済活動を始めたころは
冷ややかな批判を浴びせる人たちも
いました。


インド国内は毎日多数で道端に
亡くなっているのに、
わずか数人を助けたとしても焼石に水
ではないか、無駄ではないかという
批判も多かったのです。


そういう時、キリストのことばに
寄り縋るようにして自らを支え、
目の前で苦しんでいる人のために
精いっぱいの活動を続けていくのです。


わたしたちは宗教の有無にかかわらず
よく神様の名を呼んでお祈りをします。


もし神様が実際に目の前に現れて
水が欲しいと言ったら
王様よりも輝かしい神様を誰もが歓迎し
喜んで水を差しだすでしょう。


しかし、神様はそんなことは
なさらないのです。


傍にいる貧しい恰好をした人、
立派な恰好をした人、それぞれの人間
を通して、その姿を現されるのです。


地位や名誉、財産のある人が
やってきたら手厚くもてなそうとします。
反対に貧しい人、汚らわしい格好をした人
が近寄ってこようとしたら
思わず排斥しようとするのでは
ないでしょうか。


心がそのように動いてしまうのは、
いわば
人間の深い深い業のようなものです。


そういう醜さ、汚さが誰の心にも
巣くっているということです。


聖書はただ神様やキリストのことばを
並べただけの書物ではないのです。


時には人間の心のきたないドロドロした
部分、醜い争い事を隠すことなく表現し
徹底的に洗い出しています。


聖書に目を通された方は、
その清らかな響きとは反対に
人間というものはこんなに業が深く、
弱くて醜い存在なのかと
思い知らされることでしょう。


しかし大切なのは
どんなに醜く欲望にまみれた存在のよう
に見えても、それは決して人間の本質
ではありません。


いくら欠点だらけの人間でも、
神様は魂を授けてどこまでも
愛し抜いていかれます。


私たちはその神様の生き写しであり、
命を分け与えられた尊い存在ということ
を聖書は一貫して説いているのです。


聖書は何千年と読み継がれ、
人々の心を捉えて離さないのです。


業がからまってしまった私たちには、
そういう人間の本質を見抜くことは
容易ではないですが
目の前の1人ひとりに、かけがえのない
神様の魂が宿っていることを信じ、
ささやかでも自分にできる最高の真心を
注いでいきたいものです。


そのことが神様に仕えることに
繋がっていきます。
マザー・テレサはまさに実践者でした。


ここまで読んでいただき
ありがとうございました。
さおりんでした。


今回ご紹介したのは、
シスターの鈴木秀子さんの著書
「自分を生き抜く聖書のことば」
について、ジェンダーのLGBTQ種族や
ADHD・HSPなどの繊細敏感種族、
いわゆる繊細感覚派が
生きづらい世の中から生きやすくなる
ために感銘を受けた思想を
私の主張も絡めながらご紹介しています。
ぜひ一度、読んでみてくださいね。

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