天使のお仕事~下界バカンス編③
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「いやー、昨日はすまなかったなアイリス」
ボスはまたデパート帰りらしく、今日は小さなケーキの箱を持ってボスはロビーにいた。
「いえ、私こそ先に帰って申し訳ありませんでした」
私は頭を下げる。勝手にボスのIDを使ったこと、バレてないみたい。よかった。
「いやいや、あれから女将とマスターと、のれんをしまったあとも皆で飲んだのだ。今日は、そのお礼に、ケーキでもな」
ボスの鼻の下が伸びている。さぞ、毎日楽しいのだろう。
「アイリス、今日はどうする?一緒に行くか?」
ボスがくいくいっ、とおちょこを傾ける仕草をする。ほんと、人の子 みたいになっちゃて。
「いえ、私は、しばらくは大丈夫です。ちょっと、美容のために控えます」
私は、できるだけさらっと言ったが、怪しまれなかっただろうか。
キョウスケと約束したのは、明日の夜だ。そのときまでに、せめて自分を整えておきたい。
「そうかあ、女将が寂しがるなあ」
ボスはどこまでも上機嫌だ。
まあ、今の状況では、ありがたいけれど。
「キョウスケさん・・・」
言葉に出すと、きゅっと胸が切なくなる。恋のはじまり、と女将は言っていた。
見たら話したくなる、話せば触れたくなる。インキュバスの言葉。
今頃、私の胸に重く響いている。
「触れたら・・・自分の物にしたくなる、か・・・」
私はベッドに倒れこむ。何もやる気にならない。美容グッズをたくさん買い込んで、エステ三昧しようと思って下界にやってきたのに。
「アイリスさん、聞こえますか」
インキュバスだ。
「聞こえるわ・・・その、昨日はありがとう。お陰で彼と話せた」
私はできるだけ冷静に言おうとしたが、最後の方は声が震えてしまう。
「・・・で?諦めは・・・ついてないようですね」
インキュバスはため息をつく。
「だから言ったでしょう?一度足を踏み入れたら、もう後には引けないんだ。もう一回会いたい、もう一回だけ・・・がずっと続くんですよ」
「インキュバス、詳しいのね」
私はふと、気になったことを聞いてみた。
「もしかして・・・あなたも?」
天使部に異動してくる前の彼のこと、そういえばなにも知らない。
ただの、甘ちゃん悪魔だと思っていたが、どうも私の思い違いのようだ。
「・・・そうですよ。言いたくなかったんですが」
インキュバスは、深いため息をついた。
「俺が自殺志願者を何人も生かしてしまって、天使部に異動になったのは話しましたよね?・・・そのきっかけとなった一人目の彼女を、俺は愛してしまった。住む世界が違っても、生きててほしかったから。毎日毎日、彼女の夢に入っていくうちに、もう彼女のことしか考えられなくなっていました」
インキュバスの話には、静かな凄みがあった。
「人の子と、天界にいる俺らでは、生きてるリズムが違う。半永久的にに今の姿を保つ俺らは、取り残されるんだ。そして、その後の方が何倍も長くて、つらいんです」
重い沈黙。
「インキュバスは・・・最初は、彼女と一緒に生きようとしたの?」
私は聞いた。いま、いちばん聞きたいこと。
答えてくれるだろうか。
インキュバスの声がぴりっ、と締まる。
今までの彼とは別人のようだ。
「人の子と生きることは、できない。それが俺の最終判断です。アイリスさん、あなたも、次が最後だと思ってください・・・そうじゃないと、これ以上は俺も付き合いきれません」
「わかったわ、インキュバス。辛いことを話させてごめんね。私、あなたと話せてよかった」
「・・・神のご加護を」
プツン。
回線が切れた。
私はその日、一歩もホテルを出なかった。
仕事の効率、スピード。
肌の美しさ、髪のつややかさ、翼の白さ。
そんなことにばかり、気にかけていた私。
私は天使として完璧であると、思っていた。
蓋を開けてみたら、なんのこっちゃない。私のほうがなにもわかってない甘ちゃん天使だ。
キョウスケが私に女性としての視線をもっていないことは、波動でわかる。
私と話すときのキョウスケは、緑色~黄色の波動だ。
コンビニのレジで、見かけたあの女性に対するものとは、全然違う。
わかってたはずなのに、苦しい。
こんなに、相手を想うのが辛いこと。
そして、口に出すのが怖いこと。
こんな思いを人の子はしているのか。
私は300年も天使をやっているのに、表面のきれいごとばかりなぞってきたんだ。
「次が最後」
わかってるわ、インキュバス。
私、あなたの助言を無駄になんかしないからね。
そして、約束の日。
キョウスケがちゃんと、18時にホテルのロビーに来てくれたのを見て、
私は息を大きく吸い込んだ。
ここで、ピリオドだ。
「あ、あやめさん」
キョウスケが笑う。
目尻が下がる、彼の笑顔。
「なんか・・・俺、約束を本気にしちゃって来ちゃったけど、よかったのかな、っていま思ってたよ」
「そんなこと」
ない、と言いたかったがなぜか声がかすれた。
会えたのに、嬉しさよりは苦しさが勝っている。
さっきの決意がすぐ翻りそうで、こわかった。
「じゃあ、行きましょうか」
私は、無理に笑顔を作って、キョウスケの横に並んだ。
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