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朗読という海に漕ぎ出せ
私の音声配信「すまいるスパイス」にて、企画マガジン「ピリカ文庫」に寄稿いただいた作品を朗読させていただいている。
今回は「声で作品を届ける」ということに焦点を当てて書いていきたいと思う。
悔しかった朗読コンテスト
私が「朗読」というものを意識したのは、小学生のとき。いわゆる「朗読コンテスト」というものが、校内で行われていたのだ。
私はひそかに、闘志を燃やしていた。
「優勝したい」。
一人っ子だったし、小学校からいちばん離れた場所に家があったため、友人と遊ぶよりは家で本を読むことが多かった。
黙読でひととおり読んでしまうと、 もう読むものがなくなるので、つぎに口に出して読むことにした。
いろんなセリフによって、声色を変えることもテレビを見て俳優さんを真似しながらやった。これは遊び相手がいないときの、私の遊びであった。
ただ、朗読大会ではついに優勝はできず、クラス代表までが最高位であった。そのときに読んだ本は、いまだに覚えている。
ミヒャエル・エンデ「モモ」の一部だ。今でも表紙を見ると、卒業式にしか登ることない壇上で心臓をばくばくしながら朗読する小6の2学期を思い出す。
演劇にハマる
中学校は課外クラブで吹奏楽、正課クラブでは演劇部に入る。
文化祭で演劇をやるのだが、私は脚本係だった。先生が書いた大まかなセリフに、細かいセリフと動きをいれていく。
あとのストーリーや、登場人物の動線を考えながら違和感のないように組み立てるのが楽しかった。
私もいくつか創作作品を投稿させてもらっている。
感想コメントで「ドラマみたい」「情景が目に浮かぶ」と有難いお言葉をいただくことがあるのだが、それはおそらく、このときの経験が役にたっていると思われる。
脇道にそれたので話を戻す。
このとき私は、正課クラブというダラダラしていても全くかまわない時間を、わりと熱意を持って過ごした。
高校生の演劇コンクールなんかも、時々見にいった。
演劇の表現方法には詳しくないが、キャストが本を持って、朗読しているような形で語る箇所があり、私はそういう場面が好きだった。
手元の本を読んでいるが、演技もしている。これだ、この表現法がカッコいい。
当時の私は、声でなにかを伝える人になりたい、とぼんやりと憧れた。
それから、高校生になり、ある程度自分の可能性は見えてくる。吹奏楽部が忙しかったこともあるが、声の活動からは離れてしまった。
それから結婚、子育て、パート勤務のなかで、声が役立つのはデパ地下のタイムセールの呼び声くらい。
私がコールするときはよく売れて助かる、と店長に誉められたくらいだ。
そしてそして話は20年後に飛ぶ。
祝賀会の司会をやることに
保険営業マンになり3年目。ある先輩がエグゼクティブ・プランナーに昇格され、そのパーティーを有志で仕切ることになった。
「ピリカさん、司会してよ。声が通るから」
メンバーのひとりに言われ、やらせていただいた。
司会進行、来賓の紹介、そして、サプライズの「奥さまからの手紙」を読ませていただいた。
バック音楽には、「16小節のラブソング」。静まり返る会場で、私の朗読に涙してくれるかたもいた。
このとき、体に電流が走った。
これじゃん。私が昔やりたかったことって。
それに気づいてからしばらく時間は要したが、noteという海にたどり着き、今のすまいるスパイスの形に落ち着いた。
音声配信はじめる
「個人の朗読なんて、聞く人いないかも」
ラジオ立ち上げのときは、そういう考えももちろんあった。
最初のうちは、視聴数もそんなにない上に、フリートークより朗読回は数字が少なかった。ゼロに近い日もあった。
でも。
物語を書く人は、声で読むことで新たな解釈が吹き込まれることを、きっとわかってくれるはず。
そう信じて、ピリカ文庫とすまいるスパイスの広告を兼ねて、私も創作をするようになった。
一生懸命、魂を込めて、書いた。
自分が胸のうちを出しきれば、きっといい引き寄せがあると思ったから。
そうすると、創作をしているフォロワーさんが増え始めた。ピリカ文庫に、書いてくださる作家さんの幅も広がった。
ほんとに、ありがたいことである。
いまもまだまだ、発展途上だけれど、朗読回のときも、再生回数はそんなに落ち込まなくなった。
自然と、「すまスパは朗読」というのが浸透し始めてきたような感覚である。
クリエイターに寄り添う役割でありたい
昨日、「ひまわり」を朗読させていただいた作家さんのバジルさんが記事を上げてくれた。
バジルさんが、私の朗読の感想と、創作秘話を書いてくれている。私が朗読で苦労した、声の使い分けも気づいていただいたようで、うれしかった。
バジルさんが文中に、「時々、なんのために小説を書いているのかわからなくなる」と、正直な思いを語られている。
とても気持ちがわかる。時間を割いて作品を作っても、それはただのつらい作業と思うこともある。
この作品を朗読したとき、相方のこーたさんが感慨深そうに、「自分も昔同じようなことがあった。母の立場や思いを当時はわかってやれなかった」と当時を思い出されていた。
このひとつの事象だけでも、この作品が世に出て、声を吹き込んだことの意味は十分にある。そして、バジルさんには、この後もぜひ創作を続けてほしいと思った。
今は私のマガジン「ピリカ文庫」からの朗読しかしていないけれど、このように、
「あー、もうなんか作品書くのしんどくなっちゃった」というとき、ぜひ私を使ってほしい。
行き詰まったとき、「私の作品読んでみてほしい」「声に出して読んだ感想ほしい」でもかまわない。すまスパ以外の場所で配信してもいい。
まだまだ、つたない力量。下手の横好きでしかないけれど。
まだ見ぬ、あなたの作品を読んでみたいと強く思うのだ。
ひまわり朗読回はこちらから↑
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