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うちの卵焼きは甘いから#私も家事が好きになる

家事。

正直好きか?と言われると好きではない。

私の仕事は外回りの営業である。
一日の大半を車で過ごす。

長男と次男も成人し、主人もうるさくないのをいいことに、最近は冷凍弁当を大量にストックし、ごはんだけ炊いて仕事に出る、というスタイルに変えたのだが、この仕事をはじめたころは長男は中学生、次男はまだ小学校低学年であった。

お弁当づくりには泣かされた。

深夜に帰宅し、24時間スーパーに走ったこともたくさんあった。息子たちは、学校からもらったプリントをその日に親に出す、ということはまれだったため、なにか行事があるとわかるのはいつもギリギリ。

ADHDの息子たちの子育てに挫折し、仕事に逃げていた私は、仲良くしているママ友もおらず、わざと距離を置いていたように思う。

担任にもなかなか心を開けなかった。
ゆえに、情報もちゃんと入ってこない。

周りの子供たちが遠足のリュックを背負ってるのを通勤時に目撃し、普通にランドセルを背負って学校へ行った長男を追いかけ、必死に車に回収したこともある。

何もかも、私たちはずれていた。

息子たちが学校から帰ってくる時間、家にいるのが辛かった。
玄関のドアを開ける彼らの表情で、「ああ、今日もなにかあったな」とわかってしまう。

わかってしまうから、聞かずにはいられない。

それはまるで尋問だった。優しく包み込む母の表情ではなかっただろう。

だから、パートから正社員になり、正社員から営業職になった。

家にいたくなかったから。

お弁当づくりなどはひどいもの。
ほとんどのおかずが茶色で、唯一手作りしたのは卵焼きくらい。

それもまた、愛情なんか籠っていない。
ほとんど帳面消しのような、そんな気持ちの料理だった。
我ながらひどい母親だと思う。

それくらい、私にとっては暗黒時代だった。

息子たちは成人したが、まだ実家にいる。
気になることは山ほどあるが、地域という枠に入っていないだけ楽になった。

息子たちはそれぞれ、中学生のときがいちばんキツかった、軍隊みたいで。と時々当時を振り返っている。

「お母さん、昔あんまり優しくできんやったね。ごめんね。お弁当も雑やったもんね」

と先日長男に言ってみた。
長男は思いがけず、まっすぐに私を見て言った。

「いんや、遠足のときは弁当が楽しみやったよ」

「そうなん?」

「うん。うちの卵焼きは甘いから、最後に食べよった。デザートで。」

「デザートか。それはよかった」

私は、お米を炊くふりをして台所へと隠れる。涙が出そうだったから。

ちょっと、あのときの自分を許してあげられそうな気がした。

黒くて、どろどろした思い。

まるで心臓がギシギシと音をならすように張りつめてお弁当を作っていた自分を、初めて褒めてあげられる気がした。

ありがとう、甘い卵焼き。





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