天使のお仕事~合コン編④
そして、私は予定表に書かれたメニューをすべてやりつくした。
翼エステでホワイトニング美容液を注入。美容室で枝毛カットとヘッドスパ、トリートメント。ひじ、ひざ、爪のメンテナンス。フェイシャルマッサージで顔のラインもきゅっと引き締まった。
姿だけであれば、きっと近年で一番のビジュアルだろうと思う。
だけど。
下界に降りた夜、女将のしのさんから「きれいね」と誉めてもらったとき。
悩みに悩んで、宿泊先のホテルで深い海の色のワンピースを着たとき。
その時の私のほうが、今の私より何倍も美しかっただろうと思う。瞳は潤み、頬はバラの花のように上気していた。
たぶん恋愛って、そういうものなんだろう。あのインキュバスだって、過去の苦しい恋を語るときは、ちょっとカッコよかったもの。
私は、あの高揚感を味わえるだろうか。
誰かを好きになって、そしてまた、相手の幸せを願えるような。
私は意を決して、カニちゃんのサロンへと足を踏み入れた。
「アイリスちゃん、さすがやね!これがほんとのアイリスちゃんやわ」
カニちゃんは、ぱん、と手を叩いて笑った。この笑顔を見るとほっとするし、安心する。天界No.1の起業家だけあると思う。
「アイリスちゃんはブルーベースやから、こんな色はどう?」
カニちゃんが色とりどりの布のなかから、一枚の光沢のある布を私の胸に当てた。
「こんな色、着たことないけど・・」
あまりの布の鮮やかさに、目がパチパチしてしまう。
「ワインレッド、っていうんよ。この色、ようアイリスちゃんには似合うわ」
ワイン。キョウスケと行ったお店にあった、あの美しい芳醇な飲み物。グラスを持つ彼の指先が、また私の脳裏に甦る。
「あら、この色きらい?」
カニちゃんが不思議そうに首をかしげる。だめだめ、すべてのものが彼へと繋がってしまう。乗り越えなきゃだめ。
「ううん、すごく素敵な色」
私が笑ってそう言うと、カニちゃんはニコッ、と2倍くらい笑った。
「オッケー、じゃあこの色と黒をメインで衣装を用意するわ」
「黒!?」
びっくりして大きな声を立ててしまった。
「黒は魔族の色でしょう?」
天使部に来たばっかりのインキュバスの翼を思い出して、私は言った。
「そうやね。まあ、アイリスちゃんの仕事的にはそういうイメージやろなあ。でもな、黒には着る人の威厳や格調を高うする効果もあるんやわ。すべての色を包み込む、吸収する色や」
「包み込む・・」
カニちゃんの語り口は優しいが、なにかを諭すような厳しさもにじむ。
「アイリスちゃん。あんた、下界で悲しい思いをしたそうやな。リリーちゃんが心配しよった」
やはり。カニちゃんは知っていたのだ。
「天使の無垢な白は、そりゃあ完璧や。でもな、人の子でも天界人でも、自分が弱いと知ってるもんがいちばん強いんとちゃうん?」
カニちゃんが、じっと私の目を見る。
「自分は完璧やと思ってるもんは、よその世界を知らんだけ。黒はな、単純な一色だけではできてない。赤も、青も、黄色も。全部の色を包んで自分の中に取り込んだのが黒なんや。・・アイリスちゃん、あんた下界で人の子に惚れてしもたんやな?」
なぜか素直にこくん、と頷いてしまう。
「あんたらの仕事では、そりゃ誉められたことじゃないやろ。ペナルティもあるやろな。だけどな、それは決して、アイリスちゃんが汚れたわけじゃないんやで」
「えっ・・」
私はカニちゃんの顔を見たまま、言葉がでなかった。リリーお姉ちゃんにも言えなかった、私の本心をなぜカニちゃんは見抜いたんだろう。
「アイリスちゃん、あんたは無垢な白を失ったわけじゃない。他の色を手に入れたんよ。それこそ、体張って、傷つきながら。・・恋する情熱の赤も、聖母のように相手を慈しむ青も。いろんな、いろんな感情を手にいれた。誰にも、できるもんじゃないと私は思う」
「カニちゃん・・」
涙がひと粒、ぽろりと落ちた。
居酒屋しので、みんなの優しさにもう涙はでないと思うほど泣いたのに。
「傷ついた経験のあるあんたは、怖いもんなしや。もう黒だって着こなせる。魔になんて取り込まれへんよ。黒も白もアイリスちゃんの色や!・・ほら見てみい、証拠にあんたの翼、前より白さが増しとるやないの」
カニちゃんに撫でられ、私はふと自分の翼を見つめた。
天使としての自信を失った私の翼は、私の気持ちを代弁するかのように、しなびて灰色に近かった。
しかし、メンテナンスをきちんとした今、たしかに以前より輝いているように見える。
「一度地獄を見た者は強いからな」
以前ボスが言っていた言葉が、今やっと理解できた。ずっとずっと、ボスは私を勇気づけてくれていたのだ。
それなのに、私は。
「カニちゃん、なんか私わかった!」
私が急に立ち上がったので、カニちゃんはびっくりしてのけぞったが、すぐにあはは、と笑った。
「ようし。それでこそ良縁部のエースのアイリスちゃんや。もうパーティーはあさって。気合いいれていきましょ!」
私の翼がぶるん、と風に揺れて、カニちゃんと私は目を合わせて笑い転げた。
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