秋ピリカグランプリ2024受賞者発表!①審査員個人賞
10月4日から、6日間に渡ってnoteを彩った秋ピリカグランプリの受賞作が決定致しました。
過去最高の応募をいただいた今回の秋ピリカグランプリ。創作をはじめるきっかけにされたとのコメントもたくさんいただき、開催してよかった、と心から思いました!
言い換えますと、それだけ難関であったということです。私たち審査員としても、泣く泣く選べなかった作品が多く、心を鬼にして審査に挑みました。
その中で映えある個人賞に選ばれた10作品をここに発表いたします!
🏆樹立夏賞
葵さん/露霜日記
葵さんの文章には、刻印がある。まるで、指紋や声紋のように、読めば、ああ、葵さんの文章だ、と腑に落ちる。言葉のすべてに力があり、勢いがあり、「生々しいほどに血が通って」いる。
そして、偽りがない。自分自身や他者、社会への偽りがない。文章をよく見せようとする打算もない。
一読して、歓喜し、泣いた。
命を燃やし、全てをさらけ出して疾走する「怪物」に出会えて、全身が震えた。
だから私は、葵さんの「露霜日記」を推したのだ。
審査なんて初めてだから緊張する。
初めに定義するが、これは講評という名の恋文であり、挑戦状である。
冒頭の三段落には、伏線を構成するキャラクターが登場する。
日記に名前を付けて語り掛け、殺された少女。
図書館で会った、上質な紙のような、白いなめらかな肌をした少女。
そして、本の中にいる、場面を再現する演者。
「独創性」の問題について、歴史を紐解きながら考え進めていく過程が、楽しい。「紙」や「神」のオリジンはここではない別の場所にある。盗み盗まれることで、「紙」や「神」は、人を越え、街や国を越え、海や陸を越え、世代を越えて、アメーバのように脈動しながら、世界地図を塗りつぶしていく。
歴史や地理、倫理などの学問が身近にある、学生ならではの発想であろうか。「独創性」を語る上で確かな論拠となっており、ただ唸った。
上記の四文が、私の心を最も強烈に揺さぶった。
誰かを神格化し、人生からの問いを無視して傀儡のように生きることは、対価を伴う。
あなたや私に酷似した人間は、星の数ほどいる、と、鷹揚な眼を上げ、少女は呟く。
「盗まれる」ことで永遠に生き続けるものがある。そして「盗む」過程で生じるこのアドリブこそが、ささやかな「独創性」そのものであり、永遠なるものに一匙の変化をもたらすのではないか。
ここで、この世界を、正規分布に置き換えて想像してみる。
大きな山のような分布図には、頂点(平均)があり、平均からのずれ(偏差)がある。
この小さなアドリブの積み重ねが、やがて分布、即ち世界そのものの形を動かし、変えていくのではないか。分布図にプロットされているのは、星の数ほどある人生だ。夜空の星のように輝くその点は、「あとにも先にも唯一の、あなた」が生きた証なのだ。
きらめく星々が、世界を善なるものへと引っ張っていってくれることを願ってやまない。たとえ、書いた途端、ペンの先で灰になってしまっても、その言葉は桜の木の根から吸収され、次の春、再びこぼれんばかりの花を咲かせるのだから。
最後に、葵さんへの思いをストレートに綴らせてほしい。
次の世界を作るのは、あなたです。
「あとにも先にも唯一の、あなた」なのです。
どうか、ご自分と、ご自分の文章を、これからも大切に守り続けてください。
さあ、今から降り注ぐ賞賛を動力として、筆を執り、物語を紡ぐ準備はよろしいですか?
🏆卯月紫乃賞
白鳥玖美さん/こころを漉くもの
山口県の山間部、古くから楮の栽培に適していた地、徳地において、長い歴史を築く「徳地手漉き和紙」(現・無形文化財)がある。
白鳥氏の作品を拝読し、私は、その地へと思いを馳せた。
・・・・・
『こころを漉くもの』、真っ先に目に耳に飛び込んでくる会話、その語尾は独特だ。
「来ちょるの」「知っとる」「じゃろ」、瀬戸内の方言を感じさせる語尾、なかでも、最も独特な「いね」。これによって、瀬戸内地方、なかでも、岡山の地へと私の想像は飛んだ。
この会話を皮切りとする、作品の冒頭部分において、以下をいとも自然に提示する、白鳥氏の手法は見事である。
・舞台は瀬戸内、そして、より具体的な場所情報の提示
・手漉きを生業としているだろう祖父と、孫娘の関係性
・主人公の氏名、看護師という背景、何かしらの不穏を抱えている様
それに続く中盤、
この一文も、非常に効果的。
主人公、倫子の抱える何かが、より重みを増す。
そして、直後、話はまたも聴覚への訴えによって展開してゆく。
倫子の祖父の手漉き和紙の工房のごく近くでの、怪我をした少女と、倫子と同じく看護師をしているであろう、その少女の母親との交流。
その場面で、非常に重要な役割を果たしているのが、今回のテーマ「紙」をしっかりと意識した「和紙」である。
そして、その「和紙」が担っているのは、少女の膝の怪我にあてがうガーゼの代用としての存在。
その発想は、非常に新鮮、且つ、豊かである。
この時点で、読み手の私の心は、がつりと掴まれた。
以降、和紙は、エンディングにて、更に違う存在として倫子に寄り添う。
そしての、末尾の一文。
普段から季節のうつろいには敏感な私の感覚を、しっかりと捉えた締めの言葉。その秋風は、私の鼻先をもくすぐった。
白鳥玖美氏、読後に調べてみると、今回のこの作品が、note での第一作目。
締切間近にさらりと執筆、とのコメントもあるが、散文初心者とは決して思えぬ力量、と驚くばかりである。
・・・・・
最後に、私事で大変恐縮ではあるが、今回の秋ピリカグランプリの応募開始前に、私は、テーマ「紙」を詠み込んだ俳句の連作として、『過ぎゆきぬ』を編んだ。(投稿は、応募締切後)
その中での、タイトルを含んだ句、
連作の、まさに要の一句である。
私は、「紙漉き」という冬の生活季語を主とし、全二十句でひとりの女性の恋を編んだのだ。
この発想は、当然のことながら、『こころを漉くもの』に出会う前のこと。
そして、私は、締切最終日に、白鳥氏のこの作品を知った。
主人公、石塚倫子は、実は、私の連作の主人公なのかもしれない。
そして、私の編んだ連作のように、倫子には、紙漉きに没頭することで過去を乗り越え、希望に満ちた人生を送ってほしい、と願ってやまぬことを、最後に申し添える。
🏆geek賞
カンナさん/海の上の図書館
あらゆる言語のあらゆる智慧が集められている、海の上の図書館にまつわる作品。817字というボリュームでありながら示唆に富む。
図書館にいる司書は蔵書を管理する立場にある。「あらゆる言語のあらゆる智慧」のありかを把握している。新たに収められた書籍に正確な分類番号を付与するくらいに。であれば、司書には知らないことなど無いのではないかと思うけれども。
ある時、その司書でさえ見慣れないものが目に留まる。それは「ただの紙の舟」によって図書館の外側からもたらされた。
自分の理解の外側にあるものを、いたずらともゴミとも思うことなく、あるいは「分類番号のどれにもあてはまらない」という理由でいい加減に扱うのではない。「注意しながら、そっと」扱う。そして「見たことのない」ものに余計な解釈を加えず受け止めた。「まったく新しい智慧」と意味づけを行う行為は、己の知識の範囲を把握しているからこそ可能であり、知を愛する行為そのものとも受け取れる。
「まったく新しい智慧」が役に立つのかどうか、おそらく司書にもわからないだろう。けれども今後誰かがこの新しい智慧に出会うことで価値を発揮する可能性がある。そう考えると見たことのない文字を新しい智慧であるとみなす行為は、未来への信頼と読み替えることもできる。
誰かが意思を持って何かを紙に書き、それを舟の形に託して海へ流したのは、見知らぬ誰かに届くことを願ってのことだろう。
それは紙の舟を起点とする、ある種の贈与と解釈してもよいのではないか。受け取った司書には誰かから受け取ったものを蔵書へ加える意志があって、それは後にやってくるかもしれない誰かへの贈りものになる。そのまなざしはやはり未来へ向いている。
司書が館長となったのは、見たことのない文字を新しい智慧だと喝破したからではなく、外側から来た未知のものを取扱う能力によってではないかと、わたしは思う。
穏やかでありながら刺激的な作品。たくさんの人に読まれてほしいと思い、選ばせていただいた。
🏆白鉛筆賞
兄弟航路さん/紙に畳んで
『ドラマチック』という言葉がある。
物事の様相が波乱に富み、劇的であることを示す言葉で、しばしば物語の起承転結・演出を評する際に使われる。ドラマチックに物語を描くことはひとつのテクニックであり、一見なんでもない話を劇的に魅せるには、相応の力量が要される。
他にはない視点での描写。
張り巡らせた伏線の回収。
文章の緩急。胸打つ言葉。
武器は多いほど良いが、使いすぎてはいけない。「ドラマチックに仕立てんとしている」。そう勘付かれた時点で、読者の心は醒めて離れる。こちらの作為を気取られぬよう、さりげなく随所に散りばめ、物語に起伏を作る。その塩梅が肝要であり、熟練者ほどこの技術に長けている。
だが、さらなる高みがある。
劇的に魅せようとせず。ドラマチックに描かず。
感動を煽ることなく、なんでもない話をなんでもない話として読ませ、感動を与える。
時にそんな絶技に出会い、打ち震える。
以下、講評。
この作品は、一通の手紙である。往復する書簡の束より、折り畳まれた便箋を引き抜き、開いたもの。承前で進む文面から、読者は差出主と受取人に何があったかを読み取っていく。
人の死という話題に触れてはいるものの、その事実は淡々と明かされ、センセーショナルに扱われることはない。その死に纏わる無念や後悔について、克明に記されることもない。読者に対し開示される情報はごく一部であり、しかし、開示されない部分がミステリアスに匂わされることもない。
我々はただ、作者によって開かれた便箋に目を走らせ、背後に漂う時間や感情に想いを馳せる。あたかも見知らぬ誰かの私信に触れたような格好で、奥側にあるものを想像する。そこに感動のガイドラインは存在せず、読み手は各々、想像の翼が広がりきったタイミングで心を震わす。
ドラマチックに描くことなく、感動を生み出す。
それを可能としているのは、この作品が持つ上質な『リアリティ』であろう。語り口、言葉遣い。本物の手紙と見紛うほど血を通わせ、息づいている文章が、このやりとりの両端に大地の母、そして和志がいることを裏付ける。確固たる存在として輪郭を与えられた彼女らは、読者の中で独立した人格として動き出し、ドラマを紡ぐ。
繰り返す。この作品は一通の手紙である。
一通の手紙として成立しているからこそ、読者は実感と共にそこに存在し得る物語を噛み締め、味わうことができるのだ。
そこから垣間見えるのは、極力書き手の思惑を排除し、物語に身を捧げんとする滅私の精神。作品の光、そこに作者の影を欠片も落とさぬように気を払う、創作者の心。
圧巻である。
グランプリ開催に際し、当方はこのように記した。
『一番心を打ちのめした作品を個人賞に選出する』
『やられっ放しでは終わらない』
『たくさん遊んでもらうつもりだから、覚悟して』
未熟者が生意気を言ってしまった、と反省している。まさに井の中の蛙。大海に帆を張り針路をとる作者、その舟の堂々たる様に並ぶには、まだまだ精進が必要なことだろう。今はただ襟を正し、己が創作に向き合っていく所存である。
以下、私信。
兄弟航路さん、この度は素敵な作品をお届けいただき、ありがとうございました。
僅かながらでも航海の追い風となることを願いつつ、白鉛筆賞をお贈りいたします。
これからの作品も楽しみにしております。
🏆ナアジマ ヒカル賞
うみのちえさん/メイドモテイク
初めて審査員のまねごとをさせて頂きました。普段は趣味で本を編んでいますが、「審査」という眼で文章を読んだのは今回が初めてでした。
そこで自分なりの基準を作りました。
まず、読んでいる時に自分が審査をしている事を忘れてしまうくらい没頭させられ、心を揺り動かされた作品をピックアップしました。複数ありました。
次に、読後感としてイメージされたものが、テーマである「紙」である作品を残しました。結構絞れました(イメージされたものが雨だったり海だったり、あるいは花だったり犬だったりしたものは除外していきました)。
その次に「紙」がやじろべえの中心のように物語を支えてバランスをとっているものを残しました。二つ残りました。もちろんどちらも大変好みの作品です。
最後に決めてとなった理由……。
それをこれから書いてみたいと思います。
まずこの作品のタイトルですが、作中の人物の台詞にもある通り、「メイド」さんが登場する話かなとも一瞬思いましたが、書き出しの「一周忌法要」の単語を読んですぐに「冥途に持って行く」という事だろうなと予想出来ました。この時点でもう私は作品の世界にズッポリとハマっていたはずです。
また、作中の状況がありありとリアルな感触として、さも自分の記憶と錯覚するかのように浮かんできました。私自身も春に母の一周忌法要を済ませたばかりな事も多分にはあるでしょうが、作者の巧みな筆致があってこそだと思います。
本来であれば、棺に一緒に入れられ、誰にも知られずに燃やされていたであろう遺品の一つを巡って物語が始まります。
違和感なく紙袋、紙の束がカギとなっていき、封書の内容が明らかになります。私は主人公と一緒にその内容を読み、やはり一緒に頭に血がのぼります。
ここも、病気になった妹の離婚時に先方の実家とやりあった時の私自身の記憶が蘇りました。
主人公はその封書を「びりりびりり」と引き裂いていきます。おそらく読者も同じ気持ちで細かくなるまで引き裂くはずです。少なくとも私は心の中でびりりと引き裂きながら怒りを鎮めていきました。
そこですかさず、
「悪いもんは全部、ばあちゃんが持ってってやるからな、て言ってた」
という台詞がきます。
大人ではなく、小学生の(主人公の)甥っ子の台詞です。「ばあちゃんの言葉」の本当の意味、その強さ、優しさを理解し切れていない子供に「独り言」みたいに言わせています。ここに本当に泣かされました。
主人公が「メイドモテイク」のメモをそっと撫でて、空行があります。
私は亡き母も同じような事を言っていた事を思い出し、涙が止まらなくなりました。
そして普通はここで物語を閉じてもいいのではないかと思います。
しかしこの作者は、登場人物達に意外な行動をさせます。
この最後の行動があったがために、私がこの作品を個人賞に選んだ決めてとなった理由があるのです。
「メイドモテイク」というメモを残した故人は、私の母と重なる人物像で、きっとユーモラスな方だったんじゃないかと想像します。
「妹」と「私」の行動は、一見すると不謹慎で場違いとも言える行動かもしれません。
しかし私には亡くなった者も含め、そこにいる全員を包み込むような大きな大きな優しさと温かさを感じました。
このラストは、いくらテクニックがあっても書けるものではないと思えてなりません。作者が大きくて温かい心の持ち主だからこそ書けるものだと思いました。
完全に個人的な事情と心情で選ばせて頂きました。
作者のうみのちえ様、良い物語に出会わせて頂きましてありがとうございました。
🏆ピリカ賞
丸家れいさん/ことのは
丸家れいさんの「ことのは」には、温度がある。それが、選んだいちばんの理由である。
今回、189色の物語が審査員のもとに届けられた。鮮やかな極彩色、力強いアースカラー、クールなモノトーン。
それぞれに魅力的で、私は今回賞が選べるのだろうかと不安になるほどだった。
私の仕事は外回りのため、商談の空き時間で作品たちと向き合う日々。タブレット、PC、スマホを駆使して読ませていただいた。読む側の心象で印象が変わらないように何度も、何度も。
朝も昼も、夜眠るまで189の作品と過ごした。
その中で本作は、作品のほうから私に歩み寄ってくれた唯一の作品だったと思う。本当に、精霊がそこにはいたのかもしれない。決して派手な作品ではないのに、何故か心が離れない。知らず知らず惹かれてしまう。
何度も何度も、「また味わいたい」と思ってしまうのである。
街の喧騒の中スマホで読んでも、自宅のPCで読んでも、丸家さんの「ことのは」は、紙の温度と質感を感じさせてくれた。
ちょっとクリーム色がかっていて、ページをめくる指にすっと寄り添ってくれる。触れる者のぬくもりを我が身に宿して、ほんのり上気していくような、そんな「紙」。
本作は、何者かがじっと「彼」がことのはをしたためるのを見つめている様子が語られる。
やさしく、
あたたかく
愛情をもって。
ときには側に寄り添い、ときにはそっと背中を押す。
そこに見える「彼」がとても魅力的だ。
その柔らかで温かいまなざしを向ける語り部は誰なのか。それは文末にいくにつれ明らかとなっていく。
その正体は決して意外ではない。読み始めるときからぼんやりと想像はついていた。
最後に「そうきたか!」と唸るような結末、スッキリとした読後感は本作には用意されていないが、それだけが短編小説の醍醐味ではないだろう、と私は考える。
本来なら、この講評もガラスペンでしたためた本物の紙でお届けしたいくらいだ。
丸家さん、豊かな時間をありがとうございました。ピリカ賞講評としてのことのはを綴る、私のインクは、いまどんな色になっているでしょう。
この作品に似合う、やさしくて深い色であったならいいな、と切に願います。
🏆豆島圭賞
尻野べロ彦さん/リベンジワールド
点滅するネオン管、街の喧騒を遮る雨の音、心地よいとは言い難いざら紙の手触り。
冒頭からハードボイルド調の世界に放り込まれる。
面白い設定だ。そしてロボコップならぬ「紙コップ」、死に体ならぬ「死に紙」という呼び名。読み手をニヤリとさせることも忘れない。言葉遊びも盛り込んだ、これはシュールなファンタジー。
いや待て。「肉体を失い、紙として再生」とは、どういう状況か。「再生紙」とはよく言うが――
作者が選んだ単語や表現に、僅かな引っ掛かりを覚えて先に進めなくなることが時折ある。
だが、この作品は違った。考えるより感じろと思わせる力がある。
急いで紙をめくる。否、画面をスクロールする。
そして薄暗いバーで繰り広げられる、キレの良いアクションに目を奪われる。
非現実的な映像を、読者の脳内に再生させることに作者は成功している。元刑事の服装も、対象者の容姿も、細かい描写は何もない。作者の思い描く世界を我々読者が正確に捉えているのかは分からない。だが少なくとも私の中では世界が再生されている。
目の前ではなく、脳内で。
それは、正確な日本語や分かりやすい表現といった文章技術だけでは成立しないだろう。
独りよがりなイメージは読者に届かない。だが、読者を信頼しなければ無駄な描写を重ねてしまう。
謎めいた物語だが、その塩梅が非常にうまいと感じた。
分からない。真実が知りたい。
急いで紙をめくる。否、画面をスクロールする。
予想外の展開だった。目の前に正確な絵を描けなくて当然だ。ここは形のない世界。
そして no+e の住民である我々も「兄弟」の一人なのか。自由に物語を創作しているつもりが、これも誰かのシナリオ通りなのか。元刑事の姿を纏った作者が叫んでいるようだ。
たった1200文字の世界に抗え。復讐しろ、と。
「紙」というテーマの賞レースで、この皮肉を描く。そして文字を切り刻む表現方法、搔き集めて読解させようとする企み。
この作品は最初から最後まで見事なエンターテイメント。
1200文字で別世界に浮遊させ大いに楽しませてくれた 尻野ベロ彦 氏に、個人賞を差し上げたい。
「分かったか」
じゃなくて……(汗)
リベンジ成功でしょうか。それとも、これすら糞みたいなシナリオの一部でしょうか。これからも奇想天外な発想で私たちを楽しませてください。とても面白い作品をありがとうございました。
🏆豆千賞
パッパルデッレさん/紙ひこうき、飛ばない
ひとり初めて入った飲み屋。
まずは中瓶で喉を湿らせ、さてさてどんなお店かしらと壁に貼られた短冊を見回した時、こんなお通しが出てきたら、きっともういいお店に違いありません。
今回、パッパルデッレさんの「紙ひこうき、飛ばない」を読んだときの第一印象です。
お店もお客も「初めまして」ですから、お互い相手の様子が気になります。
通されたカウンター、まだ少しばかり緊張感のある中で出されたお通し。
その盛り付け(タイトル)を見て、どんな料理(お話)なんだろうと興味を惹かれるところから、パッパルデッレさんの作る素敵な時間が始まります。
箸をつけると口あたりが良く、程よい塩っ気に自然とビール(スクロール)が進みます。
最初は定番の食材で作られた一品(紙ひこうき)だと思うのですが、実は今の時季ならでは食材を使った逸品(大学生のレポートを使った紙ひこうき)だったと気付くのです。
それも教授がせっせと自ら折っているのですから、まるで農園に併設されたレストランで頂く、穫れたて野菜の様な味わいです。
そして食べ進めていくうちに、様々な仕事がされていることに気付きます。そこには生産者の苦労から、先達が重ねてきた工夫、職人としてのこだわりまでもが垣間見え、一皿にドキュメンタリーを感じることでしょう。
普段、何気なくひと口、ふた口で終わってしまうお通しに、これだけの手間暇(推敲)が掛けられていたことを知り、感動を覚えました。
やがて残り少なくなって、紙ひこうきが飛ばない理由が分かった時に、この料理の全体像(オチ)が見えてきます。盛り付けも様々な仕事も、ここを狙って組み立てられていたんだなと、お客(読者)は気付かされるのです。
そして空になった皿を前にして、口の中に残る余韻(読後感)がまた秀逸です。
スッキリとして後をひかず、それでいてまた食べたい(読みたい)と思わせる後味は、パッパルデッレさんのセンスと研鑽の賜物なのだと思います。
お通しだけれどコース料理を思わせる、ぜひとも常連になって通いたいお店(クリエイターさん)に出会えたことを嬉しく思います。
以上、僭越ではございますが、酒呑みの審査員として個人賞に選出致しました「紙ひこうき、飛ばない」の講評でございました。
ご笑納くださいませ。
🏆めろ賞
亜麻布みゆさん/言葉の港
この作品に、主人公の老人の直接的な感情はほぼ書かれてない。一ヶ所「驚いた」とあるのみ。「嬉しい」も「悲しい」も、「笑顔」も「涙」もない。しかし、一たびこの物語の海に出ると、そこには色鮮やかな感情の数々が輝いている。
老人が海を眺める静かな導入から、鉄の船に引用符を付けて引っかかりを持たせ、作者は読者を物語の海に出航させる。五文目。「文字は、他の文字と惹かれあって、言葉になった。」ここで一気に物語に引き込まれる。
言葉は文字同士の関係性により、物語・詩・情報の3種に分かれる。言葉を紙の船に乗せるのが老人の仕事で、言葉の種類によって船の色が変わる、と説明が続く。
どういう仕事?それでどう稼ぐ?どういう仕組み?現実という陸側から読むと、疑問が湧いてくるかも知れない。しかし序盤から引き込まれた読者は、既に物語の海上にいる。そこに疑問などない。寧ろ自然。
前述の通り、本作に直接的な感情表現は殆ど使われていないにもかかわらず、こんなにも老人の喜怒哀楽が伝わってくるものか。紙の船に乗る言葉がいなくなった時のやるせなさ。自室で海を眺めながら、当時を思い出している際の寂寥感。船着き場に無数の紙の船を見た時の感激。「きっと、一生かかっても、終わらないだろう。」この時の老人の表情。鮮やかに浮かんでくる。作者が物語に乗せた言葉たちに、感情が動かされていく。読者の心が、様々な色に染まっていく。主人公の老人は、作者そのものだ。
そして「鉄の船」と「紙の船」の対比。加速する現代のペーパーレス化の隠喩であることは説明不要だろう。見事な手腕である。
もう一つ、これは作者の意図するところではないかも知れないが、特筆すべき要素がある。そのまま引用する。
なぜか既視感があるこの描写。
次の瞬間、ハッとする。
秋ピリカグランプリそのものではないか。
応募期間中にnoteのTLを開いた瞬間。秋ピリカ作品マガジンを開いた瞬間。この老人と同様の光景を観たのは、私だけではないはずだ。「みんな、あなたに読まれたがっているのですよ。」胸が熱くなる。いくらでも読みますとも。今度は自分が老人になっていることに気づく。
この世界観、理解してもらえるだろうか。言葉が足りてないのでは。作者には不安があっただろうし、提出まで何度も逡巡しただろう。それでも、状況説明や感情表現を最小限に留め、ひたむきに「物語」として作者は届けようとした。その真摯な姿勢が、名作を生み出した。この世界を伝えるための最適解である1193文字が、船着き場で鮮やかな森色に輝いている。ずっと見ていたい、美しい森色。
亜麻布みゆさんへ。同じクリエイターとして、最大級のリスペクトと共に、めろ賞をお贈りします。
🏆Marmalade 賞
勿忘草さん/全ては私に託された。
まず最初に、今回の秋ピリカグランプリにご参加いただいたすべての方に。あなたのあなただけの「紙」ストーリーをどうもありがとうございました。皆さんの個性に何度も何度も心を動かされました。
一生忘れられない物語、を選びます。
始まる前にそうお伝えしました。多くの一生忘れられないだろう物語の中から、この作品に個人賞をと思ったのにはいくつかの理由がありますが、ひとめぼれだったかもしれません。
「綺麗だよ、便箋さん、あなたこそ」
「これから、便箋を使うたびに間違いなくこの物語を思うだろう」
読んだ直後に心に浮かぶように沸いてきました。十枚姉妹の便箋は薄っぺらいはずなのに、なぜかそれぞれの横顔が美しく見えるようでした。
この話にはしっかりとした芯がすっと一本通り、書かれた方の凛とした後ろ姿が見えるようでした。過不足のない構成と言葉選び、情感の描写、リズム、そして強弱、と限られた文字数の中での安定感は見事だったと感じています。
特に、間、がとても上手に利用されていました。これはもう書き手の呼吸のようなものですから、得ようとして得られるものでもないかもしれません。一行、一つの段落から滲みでる情感が、読者をどきっとさせたり、うっとりさせたり、ほんの一瞬息をのむような柔らかな緊張感を生み出していくのですが、そこに絶妙な間があり、読者をちゃんと待っていてくれます。だから、置いていかれないし、先走ったりもしない、ただストーリーを楽しみながら、心地よくアンダンテで一緒に歩いていけばいい、そんな気持ちになりました。
冒頭の擬音は、幼い頃、初めて買ってもらった便箋の封を開ける時の音を彷彿とさせます。そして、十枚の便箋姉妹たちが一枚づつ役割を果たしていく様子は、その紙の手触りや温度、嬉しくて嬉しくって仕方なかったときめき、さらに初恋の切なさ、それはまるで紙風船でポーンポンと遊ぶように幾つものノスタルジーを形作ります。そして、極め付けが、雨、です。7番目の姉さんの上に降った雨に鈴虫が呼応して、さらにライトがその小さな雨粒を輝かせます。私にはなんだか、7番目の姉さんの上に落ちた微かなぽとん、ぽとん、という音が聞こえるように思えました。五感の全てが震えるような気がしました。
ラストの軽快さと見事さは書くまでもありませんが、最初から最後まで、紙と少女と景色、全てが互いを引き立てあって折目正しい作品でした。
最後に、作者のペンネーム勿忘草の英名はForget-me-not. 「私を忘れないで」という花言葉が有名ですが、「真実の友情」という花言葉もあります。この物語は、便箋と少女の友情だったのかななんて思った私でありました。素敵な作品をどうもありがとうございました。
以上、審査員個人賞10作品!!
受賞された皆様、おめでとうございます!