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天使のお仕事~下界バカンス編②
前回①はこちら
マミヤキョウスケ、34歳。
電力会社の事務と、コンビニエンスストアの仕事のダブルワーク。仕事の将来性に不安を抱えている。想い人はコンビニの客、ヨシナガカオリ。38才。大手保険会社の事務に勤務。
想い人。
そこの箇所まで来て、きゅうっ、と心が音を立てた。
今まで何百人と読んできたデータ。こんなふうになるのははじめてだ。
力の制限により、瞬間移動も長距離はできない。すこしずつ距離をつめながら、私は自分にびっくりしていた。
私の目標は、上級天使への昇進だったはず。
アンジェリカに先を越されたのが悔しくて、はやく役職が欲しかった。
良縁係の仕事も、昇進への点数稼ぎでやっていた部分が大きい。
人の子の気持ち、よりは私の都合を重視していた気がする。
「アイリスさん、聞こえますか」
インキュバスの声が耳元で響く。
「ええ、聞こえるわ」
「マミヤキョウスケは、もう移動を始めました。今日は仕事が早く終わる日のようです。
・・・いまアイリスさんがいる方向へ向かってます。そこから動かなければ、会えると思いますが」
そこで、声のトーンが落ちる。
「これだけ教えてください。アイリスさんはこのマミヤキョウスケに・・・その、惚れたんですか」
直球だな、あいかわらず。
でも、私を咎めるような言い方ではない。
彼は彼なりに、心配してくれているのだ。
「インキュバス、私は人の子にも天界の誰にも、こんな感情を覚えたことはない。でも・・一目見て、気になったの。あの彼と話してみたい、それだけなの」
私は自分の声の弱さにびっくりする。こんなに心細いものなのか。
「僕は悪魔のとき、その感情に振り回された人の子をたくさん見てきました」
インキュバスも、苦しそうに言葉を選んでいる。
こうやって、隠れて私と話していること自体彼を危うくさせてるのだ。
申し訳ないと、思う。
「見たら、話したくなる。話せば触れたくなる。一度触れたら・・・・自分のものにしたくなるんです。欲というのは、そういうもんです」
インキュバスの言葉には、熱があった。
「アイリスさん、あなたは純粋だ。俺には眩しいくらいの白い翼を持っている。・・俺の憧れの、純白の翼です。それを一時の感情のために汚さないでください。堕天使の行く末は、悲惨です。俺はこの目で、たくさん見てきたんだから」
「ありがとう、インキュバス」
ほんとに、この子ってば。
熱い想いが溢れてくる。
「約束してください、アイリスさん。決して、境界線を越えないと。人の子になりたいなどと、願わないと誓ってください」
「大丈夫よ。絶対戻ります。インキュバス、私を信じて」
私は強い声で答える。
ほんとうに、このときはそう思っていたのだ。
後になって、私はいかに自分が無知だったかを知ることになる。
「マミヤキョウスケ、すぐそこまで接近してます。アイリスさん、姿も消せないようですね・・・権限がはずされています。言葉を交わしたいのなら、そのままで会うしかないでしょう。・・・天使アイリスに、主のご加護を」
プツン、と通信が切れた。
私は体が震えた。
そうだ。今の私は誰かの中に入ることも、姿を消す力もない。
このままの姿で、ぶつかるしかない。
一歩、一歩。
闇のなかを、絶望の波動が近づいてくる。
ああ、どうしよう。
何て話しかけたらいいの。
落ち着け。
私は天使部良縁係チーフ、アイリス。
今までいくつの縁を取り持ってきたの?
自信をもちなさい!
「あ、あの、すみません」
キョウスケが顔を上げた。
疲れきった表情。瞳も曇っている。
どきん。
「すみません、道に・・迷ってしまって。帰り道がわからないんです」
どきん、どきん。
心臓が、爆音を出している。
なにこれ、私昇天しちゃうのかしら。
キョウスケの波動が、ふと、穏やかになる。
「ああ・・それは大変ですね。どちらへ?」
キョウスケの声は、想像よりもずっとやさしかった。低く、深く響く声。
「この・・ホテルなんですけど」
私はホテルのカードを差し出す。
「ああ、ここ。そこからタクシー拾えば5分でついちゃいますけど・・もしかして、お金でも盗られた?」
うん、と私は頷く。
一秒でも、この会話を長引かせたい。
「ああ・・最近、多いみたいですよ、観光客を狙った悪い奴ら。参ったなあ。警察には?」
「あっ、もうそちらはちゃんと済みました」
慌てて答える。
身元確認で、天界のIDカードなんか見せたらめんどくさいことになる。
キョウスケが、すこし躊躇しながら言う。
「そうか。それならよかったけど・・・俺の家、このホテルの前を通るから。嫌じゃなければ・・・いっしょにいきますか?」
「いいんですか!?」
私はうれしくて、ついつい声が高くなる。
「べつに、俺もどうせ歩きだから。けっこう蒸し暑いけど。・・・ちょっと待ってて」
キョウスケが自販機で、スポーツドリンクを二つ買ってくれた。
「はい。喉、乾くでしょ」
「いえ、でもそんな・・・」
私がもぞもぞとしてると、
「ホラ、もう買っちゃったから」と言われ、受けとる。
お揃いのドリンクを、そっと手で包む。
嬉しい。
「俺、マミヤキョウスケっていいます。あなたは?」
「アイリ・・・じゃない、あ、あやめ、です」
こんなことも考えてなかった自分が情けない。
「あやめさん、か。いい名前ですね。ここには、仕事で?」
あやめさん、と呼ばれた瞬間、また心臓がどきん、とする。
名前を呼ばれて、こんな気持ちになるなんて、思わなかった。名前なんて、ただの記号だと思ってた。
キョウスケは、とても優しい。
そして、笑うと目尻がきゅっ、と下がる。
「あ、はい。ボスと出張中で。その・・・はぐれてしまって」
「ああ、それは不安だったでしょう。あやめさんみたいな若い子が独りで歩くには、ちょっと危険だ」
若いって。
私はもう人の子の数えでいうと300才以上なんだけどな。
肉体的にはすごく疲れているようだが、彼の波動は落ち着いている。もともと、他人に親切な人なんだろう。
「どんな仕事なんですか?」
「あ、えーと、婚活支援です。今日はその研修で」
うん、間違ってはいない。
「それはまた大変な仕事ですね。ここらへんには俺みたいに、いいトシして独身の男がうじゃうじゃいるからな」
あのデータには、将来が不安とあった。同時に「想い人」の、項目がチクリと私の胸を指す。
そう、この人には、好きな人がいる。データが間違ってることなど、今までに一つもなかった。
「キョウスケさんは、好きな人は・・・」
「え?」
キョウスケが意外そうに聞き返す。ヤバイ、変に思われたかしら。
「あ、ごめんなさい、いきなり。・・・その、仕事上、気になっちゃって」
「あはは、あやめさん、真面目なんだね」
「あ、そうなんです、あはははは」
笑ってごまかすしかなかった。
「まあ、気になる人はいるけどこんな身分だし。仕事が安定しない状況で、女の人に付き合おうなんて、言えませんよ」
そうキョウスケが話した瞬間、あの赤黒い波動に変わる。
世の中に対する怒り、不安。
そして何よりも落胆と自分を卑下する気持ち。
私が見たのは、これだったのか。
「あ、ホラ、あそこでしょう」
キョウスケが指差す。見たことのある、看板がそこにあった。
「ありがとうございました」
私がお礼を言うと、キョウスケが笑う。
「いやいや、悪いやつにあやめさんが捕まらなくてよかった。じゃ、俺はこの先なんで」
「待って!」
自分でもびっくりするくらい、大きな声が出てしまう。
「あの、お礼したいし、私こっち知り合いいなくて。パンケーキ、いっしょに食べてもらえませんか?」
アンジェリカがくれた、「るるぶ」に載っていたような。
「パンケーキ?」
キョウスケが目を丸くする。
「こんなオヤジと食べても面白くないでしょ。あやめさんならもっと別にいい相手がいますよ。そんなに、気を遣わないでください」
違う。私はあなたと。
あなたと一緒にいたいの。一日でいいから。
「その・・・若い人は、怖いし」
声がだんだん、小さくなる。
私らしくもない。
キョウスケが、ふっ、と笑った。
「うーん、そこまで言われたら断れないなあ。明後日の夜なら、コンビニの仕事はいってないけど・・・」
「じゃあ、その日に」
「18時ごろ、ここに寄りますよ。じゃ、また。おやすみなさい」
「・・・おやすみなさい」
部屋に戻った私は、そのままベッドに倒れこむ。
キョウスケにもらったペットボトルだけは、ずっと、朝まで離さなかった。
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