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秋ピリカグランプリ2024受賞者発表②すまスパ賞

さて、発表記事その2、すまスパ賞6作品を発表いたします!

すまスパ賞とは…各審査員の持ち点による合議制で決められる賞です。

🏅ヱリさん/琥珀色のスケイトリイ

【講評 白鉛筆】
告白する。
この作品の講評は書きたくない。

講評と称すからには、単なる感想であってはならない。作品の魅力を「魅力」の一言で終わらせず、それを構成する要素を見極める。さらにはその要素が如何様に作用しているかを説き、納得を得る代物でなくてはならない。そのためには、作者により紡がれた文章を分解し、その裏にある真意を読み取り、検証する必要がある。

しかし、どうにも気が進まない。

理性で紐解くのではなく、感性で堪能したい。そういう類の作品がある。異質は異質のまま、不可思議は不可思議のまま。咀嚼するでなく、飴玉のように溶かして味わいたい。本作に対し、そのように感じる同志は多いことと思う。

故に、ひとつだけ。ひとつだけ、精巧な紙細工の如きこの作品の一端を、左脳のナイフで切ることとする。

black ♯ 000000。
『琥珀色のスケイトリイ』と題したこの作品のヘッダーを、作者は一面の『黒』とした。

何故、作中を染める琥珀の橙でなく、三原色の全てを閉ざしたこの色を選んだのか。謎多きこの作品において、これもまたひとつの不可解として挙げられる。
本稿ではこの問いについて、僭越ながら私見を述べたい。

物語の中で、語り部は遠い過去より慕い続けた『あなた』との繋がりを失う。移ろい、変わり、朽ちていく世界にありながら、変わらないものの面影を求め続け、しかし失う。その喪失を嘆く言葉は定まらず、ただ感情の奔流が語り部の中で依代を探す。

激情渦巻く中、語り部はひとりの子どもに出会う。小さな耳に顔を近づけ、無意識に口にしたのは、かつて『あなた』と過ごした遠い日々の言葉。すでに朽ち果て、存在しない固有名詞。

繋がりの喪失。朽ちた呼称。それらを『黒』で表現している、と見ることもできる。よって、このあたりでナイフを止めてもよいかもしれない。

だが、さらに切り込む。
最後の一文に触れよう。

夕映えに包まれた、隅田川の水面と同じ、琥珀色にひかる子どもが笑いながら駆けてゆく。

『琥珀色のスケイトリイ』/ヱリ

『夕映えに包まれた、琥珀色にひかる子ども』ではない。『隅田川の水面と同じ』との文句が挟み込まれている。これにより、夕映えの放つ直線的な橙でなく、水面と同じく揺らめき、煌めく琥珀色が、子どもの身体を照らしている様がわかる。

何故、揺らめく。
何故、煌めく。

語り部の視界にもまた、水面が生じているから、とは言えないか。

アルゴリズムで言葉を操り、およそ町が朽ちていくほどの時を超えると見えるこの語り部が、どのような存在であるのかはわからない。だが、人と同じ体を持ち、感情を抱くことは確からしい。涙を浮かべることがあっても、なんら不思議なことではない。

子どもが『スケイトリイ』と聞き取った、在りし日の朽ちた言葉。吐き出すものが見つからぬ中、それを口にしたことが、語り部の感情の発露となった。出口を見つけ、溢れ出るそれはきっとおそらく、語り部の視界に水面を作った。

ただの橙が、琥珀に変わり。
視界は閉ざされ、黒となる。

ヘッダーを占める一面の黒は、この物語の最後のシーンとして、描かれた景色であったのかもしれない。

ここまで書いて、やはり思う。
無粋だ。
浅はかな私見や解釈で、読者諸兄姉の貴重な読書体験を汚してはならない。
ナイフを仕舞い、切り跡の両端をそっと繋ごう。この作品の強度であれば、おそらくすぐに傷は塞がる。

塞がらぬ傷は、おそらく私を含めた読者にある。この作品より受ける衝撃は、そうそう去ってはくれないはずだ。作者の類稀なる個性と筆力に、己が才への自負は揺らぎ、端から崩れて瓦解する。

砕けた欠片を拾い集め、いずれ前を向くことを誓いながら。
受賞した作者に対し、作中随一の台詞に準え、心からの賛辞と祝辞を。

ヱリさんへ
「いまこわれていきます おめでとう」。

🏅マー君さん/『折り紙のゾウ』

【講評 Marmalade 】
 秘めた想いを大切に折り紙に込めて、本に挟んでいた拓人と、そんな彼に温かいまなざしを向けていた主人公の私、そして拓人の母、三人の人物が描き出しているこの物語もまた、今回の秋ピリカグランプリで忘れられない物語の一つとなりました。

封を開けると、短い手紙と折り紙のゾウがふたつ。
グレーの紙で折られていたが、かなり色褪せている。
足を広げて、立たせてみた。
大きい方が母親、小さい方が子供だ。
勝手にそう思った。


「悩みましたが、この象の折り紙をやはりあなたにお届けしたいと思います」

「折り紙のゾウ」冒頭より

 引き込まれてしまう、そんなこの作品の冒頭です。たったの六行なのに、ストーリーが集約されて、テーマである「紙」がくっきりと形を描きだしていました。ここから1200文字という限られた文字数の中に広がっていく時間と描かれたものの広さ、そしてそれぞれ違う三人の思いが巧みに絡み合って、シンプルに見えながら複雑で独特な世界を生み出しています。

 ある日、主人公の元に届いた折り紙のゾウ。その折り紙にまつわる物語が、一緒に入っていた拓人の母からの手紙を案内役に進んで行きます。拓人の姿は主人公と拓人の母という二人の目線から伝わってきます。この構造が過不足なく話が進んでいく道筋をしっかりと作り、それはなぜか私にはまるで母性愛に見えました。

 短い作品を作っていく中では「選ぶ」瞬間というのが必ず出てきます。ここは読む人を信じて削ろう、ここはどうしても書いておきたい、そういった取捨択一のうまさは作者が俳句を嗜む人だからであろうとつくづく感じ、とてもさりげなくするりと心に入り込んできました。

 上手になんでも折り上げてしまう拓人と主人公の会話はほんの僅かしかありません。それでも心の糸が繋がったのだと読者は自然と感じていくことができます。たった一度、主人公がリクエストしたのが「ゾウ」です。実は私には冒頭から不思議に思っていたことがありました。

 「このゾウは親子なのに、どうしてお母さんは手元に残さなかったのかしら」

 そんな疑問を抱きながらも、拓人と「私」が織りなす優しいひとときの重なりに心を動かされます。そうしてラスト、親子のゾウがどうして送られてくることになったのかがはっきりして、疑問は回収されることとなりました。強い余韻がくっきりと残っていきます。

 全体を通して、とても背筋の通った作品でありながら、マー君さんの自然な書き口はしっとりとした情感の息吹を生み出しています。それはまるで動き出すような錯覚を覚えるほどで、大変印象に残りました。

 日本に生まれる子供のほとんどが折り紙をしたことがあるでしょう。海外では脳を鍛えるために折り紙を取り入れる学校もあるほどで、特に前頭葉の発達に役立つと言われています。折り紙が上手な子は図形が得意とも聞きます。けれど、私を含め、日本人にとって折り紙はもう少し違う意味を持つような気がします。幼少期に初めて何かを作り出す、創作の喜びの一歩、そんなものの一つであるように思えるのです。

 折り紙のゾウを、作ってみたくなりました。二つ並べて窓辺に飾りましょうか。

 マー君さん、素敵な作品を寄せていただきありがとうございました。

🏅さくらゆきさん/その紙の重さ

【講評 樹 立夏】
運命が動く瞬間を、目撃させてくれる小説だ。静かな、透明感のある澄んだ描写の底に、「生」への揺るぎない賛歌が聴こえる。

家の六畳の離れが私のすべてになっていた。遠くから幼い子どもが高らかに歌う軍歌と、障子越しに見える木の影が、ここから得られる外の世界だった。

本文より

冒頭のこの二文を読んで、私は祈った。この小説の終わりが、主人公の瑞穂の命の終わりではないことを。

瑞穂は、死亡率の高い病に罹患している。冒頭の一段落を読み終えた時点で、瑞穂の命の灯は消えそうに揺らいでいることが解った。

具体的な言葉を殆ど使わずとも、厳冬の空気が、瑞穂の病身を凍えさせ、「死」へと追い詰めていくことが、読み手に伝わる。

瑞穂の父親が、了承なく、突然結婚を決める。相手は、幼馴染の栄二だ。

完全なる事後報告であり、瑞穂に選択権はなかった。
ここが運命の分岐点となる。

栄二は、出征を間近に控えていた。
またしても、私は天を仰ぎ、祈った。栄二が無事に帰って来られますようにと。

瑞穂と栄二が最後に会ったのは、まだ栄二があどけない少年だった頃。どうして病身の自分を……と、瑞穂の心が黒く濁る。それでも栄二は、瑞穂のことがずっと好きだったのだと告白する。

栄二は非の打ち所のない好青年だ。出征を控えているというエピソードが、栄二をさらに透明に美しくしていく。

「栄二さん、障子に手を当ててください。少しでもあなたを感じたい」

 栄二さんが障子に手を当てたところに、私も手を重ねた。障子越しに感じるあなたを愛しく思った。

本文より

この描写である。
なんと清らかで美しい愛なのだろう。

パンデミックを経験した今なら、より、この描写の切なさ、哀しさ、愛おしさが分かるのではないだろうか。

生きたいと欲が出た。

本文より

栄二と会える僅かな時間に恋焦がれ、瑞穂は、明るい方へと、「生」へと、一歩を踏み出していく。生きたいことが欲だというこの表現が、とても切ない。瑞穂にとって、「死」は前提であり、「生きたい」と願うことは、贅沢ということか。

瑞穂と栄二の限られた時間が、残酷にも過ぎていく。
お守りを持たせたかったと瑞穂。栄二は、昔、紋切型で遊んだ時、瑞穂がくれた薺の切り紙を「最期」まで 持っていくという。

動揺し、せき込む瑞穂を、障子を開けた栄二が抱きしめる。
尊い描写である。美しい映像が浮かぶようだ。

私も生きるから

本文より

生きることを諦めていた瑞穂の心に、火が灯った。
無事に帰って来た栄二を、生きて迎えたいと切望したからだ。

瑞穂が眠っている間に、栄二は出征してしまう。

時は流れ、戦争が終わる。
特効薬により、瑞穂の病は完治する。

さあ、さあ。
私を含め、読者たちの心拍数は、刻々と上がっていく。

栄二は、無事だろうか……。



「瑞穂さん、ただいま」

 懐かしい声が私の鼓膜を優しく震わせた。薺の切り紙が、その手にあった。

本文より

号泣である。
帰って来た!!
栄二さん、帰って来たーーー!!!

生きて再会できた二人。
薺は、踏まれても凍えても枯れない、強く可憐な野の花だ。

戦争によって一度引き裂かれた、瑞穂と栄二の絆は、苦悩の深さの分だけ薺のように地に強く根を張り、揺るぎないものとなった。

栄二は、健康を取り戻した瑞穂を見て、きっと泣くだろう。瑞穂は、薺を握りしめた栄二の手を、温かな両手で包み、やはり泣くだろう。

二人の泣き笑いが見えるようだ。

この作品で、愛を契機に、瑞穂という女性の運命が動き、彼女が「生」へと走り出したことは、大きな希望に他ならない。

さくらゆきさん、美しく強い物語を、最高のハッピーエンドを、ありがとうございました。

🏅NOCKさん/昔話|「紙女」

【講評 豆島 圭】
「むかしむかし」で始まり「おしまい」で閉じる。
幼少期から幾度となく触れてきた日本の昔話。とても自然に入り込める。

だからといって幼子が安らかに眠りにつける話ばかりとは限らない。この「紙女」もそのひとつ。怪談と言っても良い。

雪深い村に現れた美しい女。男を惑わせ呪い殺すと噂されている彼女は、実は体が紙でできた不老不死の「紙女」。

調べるとたしかに、日本の和紙は通常保管で1000年もつらしい。ただ、良い状態を保つためには空気や水分から遮断し暗所に保管するのがよいと。火気厳禁なのは言うまでもない。

和紙ならそれで構わない。
だが、紙女はそれで「生きている」と実感できるのだろうか。

「燃えるように恋し、永遠に愛したい」

『昔語 | 「紙女」』より

紙の体を持つ女の願いが「燃えるような恋」とは切実で泣けてくる。
紙女は知っている。自分を愛した人に呪いが移ってしまうことを。誰かを失った辛い過去がある。だから森でひっそり暮らす。誰にも愛されぬように。
そして自分に好意を持つ太助に「会うのはやめよう」と告げ、罵られてまでも突き放す。自分への恋心が消えてなくなれば、太助はまだ、今なら人間として生きることが可能かもしれない。
私はひとりで生きてゆくから。今までもそうやって、生きてきたのだから。

失礼。
上記の説明、半分は私の妄想である。

だが、展開が自然で説得力があり、人物の背景を深く想像させてくれる話だった。読み手を惹き付ける物語は、行間を読ませ、想像を膨らませてくれるものだ。

また、よそ者に対する村人の風評や群集心理、裏切られた男の心情の変化。不穏な要素がこの話をさらに盛り上げる。

多くの人が知っているように、いつ、どこで、恋に堕ちるかなど分からない。その滾る想いは簡単には抑えられない。
紙女を愛した太助も同様。気づけば彼女を助けに走っている。燃え盛る小屋に駆けこむ前に、井戸の水を被ることすらできない「紙男」になってしまったというのに。

そのままクライマックスを迎えると思われた。
ところが、呪いが解けていない理由が明かされハッとした。かの有名な鈴木光司さんの『リング』が微かによぎった。作者は「呪い」をただ怖がらせるだけのアイテムとして使わない。筋道立てて考えている。

短い制限字数のピリカグランプリの中で、どんでん返しやオチ重視の話は少なくなかった。
この話のラストが「全くの想定外」とまでは言えない。けれど起承転転・・結がきちんと組み立てられ、そこに至るまでの経緯がとても理論的で、さらには映像化できる情景と、ここまで豊かな情緒が織り込まれた作品は、多くはなかった。

そしてラスト。
太助の覚悟の言葉が、私の心を激しく揺さぶる。
「二人で永遠を生きよう」
涙で濡れ、体が溶けてしまったとしても。
炎で燃やされ、体が灰になったとしても。
ふたりは呪いを受け入れ、生きた証をこの物語に刻んだ。

この昔話を語り継ぐことが、紙女や紙男を永遠に生かすことになるのではないか。

紙や雪の"白"、炎や情熱の"赤"。
紙の"軽さともろさ"、愛情や憎悪という感情の"重さとしたたかさ"。
「紙」というテーマを存分に生かし、その対比を鮮やかに描いた NOCK さん。儚くも美しい生と死の昔話を、私たちは大変楽しませてもらいました。ありがとうございました。

※完全に蛇足だが、「色白で顔容美しい人形のような女に惚れる男」。令和では批判されかねない設定ともいえるが、昔話として自然である。また、愛が男女間に発生したことも、何を美しいと捉えるかも多様性のひとつ。太助が容貌だけで愛したのではないことは一目瞭然であることを念のため書き添える。

🏅ikue.mさん/伝える

【講評 めろ】
小説は冒頭が命だ。

大切な話をする時、わたしたちはあえて距離をおく。

恋人?夫婦?大切な話とは?
距離を置く…一時的な別居?
興味を引くだけじゃない。想像力を掻き立てる。
それでいて、若干の緊張感も纏っている。
絶妙な出だしだ。


そして二段落目の冒頭。
それは、糸でんわだ。
いや糸でんわかい!そっちの距離かい!


リビングで夫婦が糸電話で話すんだって。
もうこの時点で設定が最高笑


なんで糸でんわなんだよ。いやだよ、俺
(´め∀め`)ワハハ
そりゃそうだよ。分かるよ友則。「有紀子の糸でんわカウンセリング」なんて、友近のコントの題名みたいだもん笑


そしてハマる友則。いやハマるんかい!
読者の一部は、こう思ったかも知れない。

糸電話か。今度やってみようかな


何を隠そう、オイラも思った笑 妙な説得力があるんだよな~。有紀子の糸でんわカウンセリング、恐るべし。

ゲラゲラ笑っていると、衝撃の展開が。

糸でんわって、たしか三人でも話せたわよね。まだペタンコのお腹をなでながら、思う。

うわー!マジか!そういうアレなのか!これはそういうアレなのか!あまりの興奮に語彙力を失う審査員。

ここから先、オイラの頭には一つしかなかった。
頼む主人公。早く友則に言ってくれ(ノシ*`ω´*)ノシ
嗚呼、友則のリアクションが見たくて堪らない。
どんな顔するんだ。どんな声を上げるんだ。



富も名声も権力もいらない。
今はただ、友則のリアクションが欲しい。
All I want right now is Tomonori's Reaction.


1200字で強制終了となるピリカグランプリは冷酷である。
オイラの心の叫びはリビングに届かず、
主人公の「もしもーし」でシャッターは降ろされた。

この1185文字を読み終わった後に残るもの。
それは、物足りなさでも唐突感でもない。
続きを読みたい!
それのみである。作者の完勝。



そして。
友則のリアクションを味わえなかった、全ての同胞たちに告ぐ。


悔しさのあまり、スピンオフ企画で「友則リアクション選手権」の開催を画策する者もいれば、現実逃避のあまり、アメトークに出演し「僕たち、友則リアクション待ち芸人で~す!」と叫ぶ妄想を働く者もいるだろう。


気持ちは理解できる。
だが、嘆く必要はない。



我々には頭脳があり、心がある。
友則は我々の中にいる。


読者の数だけ友則は存在する
我々は、何百通りの友則リアクションを脳内で楽しめばよいのだ。


そして、最も大事なことを伝える。


我々はオールペーパーレス化を何としても阻止しないとならない。
少なくとも、この夫婦のために。



日本がオールペーパーレス化した時の友則のリアクションは見たいけど(もうええわ)


ikue.mさん。色々ふざけてすみません。でも、この作品を思う気持ちは一切ふざけておりません。皆が笑顔になれる小説でした。ありがとうございました。

🏅秋田柴子さん/青き空にとぶものは

【講評 卯月 紫乃】
全国の和紙の産地、こんにゃくの産地、そして同じく、全国の女学生を動員しての、紙貼り作業による『ふ号兵器』は、第二次世界大戦、終戦の約一年前、1944年11月から作戦が始まり、9300発が発射され、およそ1000発が北米大陸に到達、米国オレゴン州では民間人が犠牲になった。

     ・・・・・

「ばっちゃ。ねえ、ばっちゃ! 見てて!」

『青き空にとぶものは』より引用

主人公を「ばっちゃ」と呼ぶ、可愛らしい叫び声からはじまる、秋田氏の作品。その前半は、

・主人公の孫、或いは、曾孫と思われる5歳と11歳の兄弟の、紙飛行機を巡る子供らしい、会話文。
・「ぷくり」「ふらふら」「ぐねり」「つうぅ」「ぶっ」、「う音」が特徴のオノマトペを効果的に挟み展開される、地の文。

この会話文、地の文、の交互の展開は、目に耳に心地よくリズミカルであり、読者は自然と物語に引き込まれてゆく。

また、「はなった」の敢えてのルビも、秋田氏の細かな配慮である。「ほうった」との印象の違いは、歴然だ。
当然のことながら、テーマ「紙」の提示も鮮やか。


そして、前半最後の発言、

「紙の飛行機がアメリカまで飛ぶかよ。アタマわるっ」

『青き空にとぶものは』より引用

「紙飛行機」ではなく、「紙の飛行機」との強調。これによって、主人公の記憶は、自ら鍵をかけていた忌まわしい過去へと呼び戻される。
キーワードは、「紙」「アメリカ」そして、「飛ぶ」だ。


続く中盤、主人公が女生徒の頃の記憶。淡々とした事実のみの展開。
その中での、気になる一文。

誰の手もひどく荒れ、中には指の骨が見えている子もいたけれど

『青き空にとぶものは』より引用

少し調べてみると、「こんにゃく糊でふやけた女生徒の手には水虫ができ、悪化して手の骨まで見える」という実録がでて来た。
リアルである。

     ・・・・・

さて、講評が少し横道にそれることをお許し願いたい。

すでに他界している私の実母は、1923年(大正12年)生まれ。第二次世界大戦開始の1939年時は、16歳。秋田県女子師範学校の女生徒。正に大戦を目の当たりに経験した一人であったが、母は生涯、その多くを語らなかった。
私の記憶にある、母の大戦の話は以下のふたつのみ。

・家に米兵がやって来て、チョコレートと引き換えに、彼らの衣服の洗濯を願いでたこと。
・女学校の授業に、「竹槍をもって天をつく練習」があったこと。

「男子は兵としてお国のために戦っている。君たちも、空からの攻撃があった際に、少しでも役に立てるよう、竹槍で天をつくのだ」と。

そして、吐き捨てるように母の口から出た言葉、
「いったい何のための練習だったのか、馬鹿馬鹿しい」

今回、私は、久しぶりに母の口調と真顔とを思い出した。


そんな ”極秘決戦兵器” を作るのに国力を注いでいた時、彼かの国で開発されていたのは……

『青き空にとぶものは』より引用

省略符(……)に続く事実と、主人公の想いは、私の母の想いと、間違いなく重なる。

     ・・・・・

「……ばっちゃ?」

『青き空にとぶものは』より引用

主人公と、私を、苦い記憶の沼から救い出すのが、このひと言だ。

我に返った主人公は、再び、兄弟とやさしく心を通わせてゆく。中盤の重さを引きずることのない、やわらかな終盤である。

そしての、

白い紙飛行機がふたつ、青い空へと放たれる。

『青き空にとぶものは』より引用

タイトル『青き空にとぶものは』の答えは、この一文にあった。


これでいい。これでいいのだ。
夢をのせて光をのせて、どこまでも高く遠く翔んでゆけ。

『青き空にとぶものは』より引用

思わず浮かんだ一句。

子の未来祈る卆寿や天高し  卯月紫乃

     ・・・・・

一見、何気ない作りのように見えつつも、しっかりとした起承転結。(承はごく短いが役割は大きい)
テーマ「紙」を「紙飛行機」、そして、『ふ号兵器』にはかかせない「和紙」、二重に反映させる手法。

散文も、俳句も「いかにもな企て」には、未熟さが匂う。何気なさの中に見え隠れする巧みさ、こそ、実力である。
秋田氏の今後のご活躍が、ますます楽しみだ。


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以上6作品!
受賞された6名のみなさま、おめでとうございます!

と、例年ならここまでなのですが、今年の秋ピリカグランプリは、まだまだ終わらない!
すまスパ賞候補に残り、惜しくも受賞を逃した作品の中から、読者投票により3作を選びます!

読者賞候補については、別記事にあげますので、ぜひご覧ください!!

そしてそして、SPECIALTHANKS!!

今回の秋ピリカグランプリ開催にあたり、皆様からたくさんのサポートをいただきました。

koedananafusiさん、BlueJamさん、KaoRu IsjDhaさん、穂音さん、geekさん、すーこさん、あやしもさん、バクゼンさん、猫田雲丹さん、コノエミズさん(順不同)

その他、ピリカの個性学鑑定を受けていただいた方、豆島さんの有料記事をお買い上げくださった方、本当にありがとう!

皆さんのおかげで、無事にグランプリを終えることができました。

参加してくださった方はもちろん、審査員の皆さん、運営のみなさん。応援や宣伝をしてくださったみなさん、ほんとにほんとにありがとう!

次の読者賞選抜にも、ぜひご参加くださいね!

 

審査員個人賞はこちら↓

読者賞候補はこちら↓


ピリカグランプリの賞金に充てさせていただきます。 お気持ち、ありがとうございます!