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【ピリカ文庫おまけ】地平の果てにあるものは

 「お母さん、少しお話したいので、お時間作っていただけませんか」
  
交換ノートの中に、園長先生から手紙がはいっていた。読んだとたん、胃のあたりがぎゅっとなり、鼓動が早くなる。

担任のまゆみ先生ではなく、園長からの手紙ということは、それなりの重要事項ということだろう。
私はため息をついた。

発達の遅れは、薄々気になっていた。ひとり遊びばかりするし、同じばら組の男の子たちと比べ、将生はできないことが多すぎた。

「まーくん、ほら、帰るよー」

将生はミニカー遊びが好きだ。熱中しているのか、振り向きもしない。今もプレイルームの片隅で、ひとりぶつぶつ言いながら、ミニカーを並べている。

こういうとき、私は優しくできないのだ。

「将生!早く来て」
私は声を張り上げて将生を呼ぶ。
早くこの場から立ち去りたい。周りには子供を見守りながらゆったりと談笑しているママがたくさんいる。どの親子も楽しそうだ。

入園して一年近くだが、ママ友と呼べる人もおらず、先日の親子遠足でもぽつんと木陰でふたりして体育座り。

みじめだ。

一瞬でも早くいなくなりたいと思うのは、この園で私くらいだろう。

まゆみ先生の「じゃあまーくん、また明日ね」という挨拶にも、将生は無表情でミニカーをいじっている。

いたたまれない。

「すみません、ありがとうございました」

ごまかすように、私は将生の手を引っ張りながら強ばった笑顔を作った。

園長との面談は春休み期間に決まった。

他の保護者に見られないように、との配慮だろうか。
でも却ってそんな時期に園に行くのを、不自然に思われないだろうか。

誰かに見られた時は、「忘れ物を取りにいく」で切り抜けようか。「主人が転勤かもしれなくて、ちょっと」にするか。
どちらにしても、憂鬱さはまったく軽くならなかった。

まーくんちのママ、何か浮いてるよね。
誰かがそう噂してるんじゃないかと気が気でない。
そして、そう見られるのがなによりも耐えられない。

間違っている。

こども用のちいさなハンバーグをボイルしながら、味噌汁を作る。豆腐とわかめの味噌汁だ。イライラしてるからか、豆腐がくずれてしまう。

料理は正直好きではない。
というか、私がいまここで家庭をもっていることこそ、何かの間違いなのだ。

冷蔵庫に貼った写真を眺める。去年の春後輩か 、送ってきたものだ。

抜けるような青い空と、波のような形状に削り取られた巨大な岩石のコントラスト。
そして果てしなく続く、地平線。乾いた空気を感じられる、いい写真だ。
だがそれを額には飾らず、冷蔵庫に100均のマグネットで貼った私が、自分でも嫉妬深いなと思う。

裏には後輩の文字で「ウエーブロックの記事、社長賞もらいました!香織さんのアドバイスのおかげです」と書いてある。

なにが私のおかげか。
みんなにそう言ってるんでしょうに。


あの頃、私はこんなんじゃなかった。
毎日スーツをバシッと着て、華奢なヒールの音を響かせてオフィスへ通っていた。
たくさんの人に囲まれ、認められ、そしてたくさん笑っていた。

そんな、過去の遺物。

それでもその一枚の写真を捨てられなかったのは、曲がりなりにも旅雑誌のライターだった私の、唯一の証のように思えたから。

私の作る記事は、無駄がなくポイントを得ていて読みやすいと評価されていた。
現地取材ではなく、資料だけで書くよう言われることも多かったが、臨場感が出るように書くのは得意だった。

オーストラリアのパースから東に300キロ離れたハイデンにある、ウエーブロック。
創刊10周年の巻頭特集だった。
この写真とともに後輩が送ってくれたけど、私は読まずにゴミ箱に捨てた。

本来なら私が書くはずだった記事。

ふと、スカートの裾を将生がひっぱっているのに気づく。

私はどうやら鬼のような顔をしていたようで、振り向くと将生の目に緊張が走る。
「まーくん、なに?」
自分でもひやりとするほど、冷たい声。
「くるま、おちた」
将生がトミカの駐車場を指差す。

将生は、ミニカーの並べ方にもこだわりがある。グラデーションで並べたいらしく、
黒、濃いパープル、藍色、コバルトブルー、水色…という順番で並べないと機嫌が悪くなり、火のついたように泣き出すこともある。

誰に似たんだか。
将生の行く末を考えると、不安に押し潰されそうになる。

タンスの隙間に落ちたコバルトブルーのミニカーを定位置に並べなおしてやると、将生は満足げに、また1人遊びをはじめた。

私は、そのミニカーに写真の濃い青空を重ね、今日何回目かわからないため息をついた。


夫の洋介は、カメラマンだ。
何度か取材で一緒になるうちに付き合うようになり、ほどなく私は妊娠した。避妊には人一倍、気をつけていたのに、だ。
つわりが重く現場で気分が悪くなることもあり、会社には隠せなかった。

そして、現地取材を伴う特集記事の担当は、急遽後輩に変更になった。

堕ろすことも、考えた。
それくらい書きたかった記事だった。あの空の青さは私にしか書けない。そう信じていた。

それなのに、あの子なんか。
あの子なんか役不足だ。

夫は結婚を望んだ。
子供も産んでほしいと。親との縁が薄かった彼は、生活の拠点が欲しいと言った。

付き合っているときから、年の半分は遠征していたのだから予想もつく。拠点というのは、外出ていくためにあるものだ。夫は、自分が帰国する数十日間の安心のために家庭をもったのだ。
それを私は、わかっていても振り切れなかった。今でも、もし時間が巻き戻せるなら。

私はこの子を産まないかもしれない。


「面談が遅くなってすみませんね。行事でなかなか時間がとれなくて」
園長がパイプ椅子に腰掛けながら言った。
その肥えた腰とゆっくりした所作がいかにも所帯染みて見えて、ますます憂鬱になる。

「まーくん、まゆみ先生とバスごっこしようか!」
将生はうん、と頷いてまゆみ先生に連れられていく。

やはり、深刻な話らしい。

誰にもこの場面を見られたくない。
私は将生の様子より、園長の後ろの開け放たれた窓のほうばかり気にしている。

「将生の発達のことは気になっていました。ご迷惑をかけてるんですよね」

私の声は、鎧をつけたように硬い。
園長は一瞬真顔になったが、ふっ、と笑った。

「確かに、将生くんは周囲とはあまり交流を持ちたがりません。発語もゆっくりだし、ひとりの世界が好きです。でもね、それはそれで、個性だと思います。専門的な助けが必要になれば、それを使えばいい。困らなければ使わなくてもいい。ただそれだけのことです」

園長は柔和な笑顔を向けているが、その専門的な、という言葉にまた気分が沈む。

「お母さん、これね」

園長が取り出したのは、クレヨンで書いた将生の絵だった。
家では将生はあまり絵を書かないので、見るのは久しぶりだ。

その絵には、赤茶色の妙な形をした山の前にいる棒人形と、はしっこに青い車が書いてあった。一番お気にいりの、コバルトブルーのミニカーだ。
車は詳細に書いてあるのに、人物には表情さえなかった。
「まま」と書いてある。

「将生くん、お母さんをね、連れていくんですって。その青い車でね」

「え?」

私は聞き直す。そんなこと将生から聞いたこともない。

「お母さんは外国のお山が好きなんだって。そこにぼくが連れていくんだ、って」

あの写真だ。

将生はこの絵にウエーブロックを描いたのだ。

「ただね、私はたくさん子供たちの絵を見てきてますが、この車とお母さんがすごく離れて書いてあるのが気になったんです。あまりこういうことを言うのは、後々クレームになる、って若い先生たちは嫌がるんだけどね」

それを聞いた瞬間、何かが胸の奥で疼いた。

「私は言ったほうがいいと思ったんです。将生くんのお母さんは、きっと受け止めてくださると思って」

将生。

うまくいかないことを全部、将生のせいにしていることは自分でもわかっていた。
でも誰かのせいにせずにはいられなかった。
私は被害者だ、と思いたかった。

そんな私との距離感を、あの子は感じていたのだろう。あんな小さい身体で。
何も考えられなくなり、嗚咽した。久しぶりに、涙があふれ、声をあげて泣いた。

「将生くんは、あまりおしゃべりはしないけど、勘の鋭さがあります。これね、すごい能力ですよ。人の顔色や仕草をよく見ていますからね。私たちも、はっとさせられます。
何も言わないからって、何も感じてないわけじゃないんですよ、お母さん」

園長は私の肩に、肉厚のあったかい手を置いてにっこりと笑った。

「お母さんひとりでの子育ては不安ですよね。暗くて不安で、今が正しい位置かもわからなくて。でも進むしかないし、道を外れたら外れたで、今までとは違う景色が見える。そう、それこそ、旅と一緒よね」

そうだ。

私はかつて、地平線の向こうには希望があると何度も書いたじゃないか。知らない土地、知らない言語、知らない人たち。
知らないから怖いと思うのだ。その場に行けば、不安は経験へと変わる。
大きく成長した自分に会えますよ、と。

悪い情報ばかり拾って、心を閉じているのは誰だ。私の文章は、中身がないうわっつらだけだ。

「ママ、おうち帰る」
私は、いつの間にか側にきていた将生をぎゅっと抱き寄せる。将生は一瞬びくりとしたが、しばらくして私に体重を預けてくる。
園長もまゆみ先生も、「あら、いいねえ!まーくん」と笑っている。

いつの間にか、窓から漏れる声も気にならなくなっていた。

「青い車、いつかママも乗せてね」

窓から射し込む光を眩しそうにしながら、将生は照れくさそうに、うん。と頷いた。



                                       🌅

今回ピリカ文庫「地平線」がお題です。

いや~、我ながら難しいお題を出してしまいましたゴメンナサイ(笑)
あるクリエイターさんのピンチヒッターで、ピリカが急ぎ書き下ろしいたしました。

みなさまの作品の仲間入りをするには力不足ではございますが、よかったらつなぎとして読んでいただけるとうれしいです。





















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