天使のお仕事~下界バカンス編④
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「どこか行きたい店が決まってないなら、ここもいい感じだよ。あやめさん」
キョウスケが指差したのは、ホテルを出てしばらく歩いた先の、洒落たカフェだった。深いマホガニーの色合いと、座り心地のよさそうなソファー席。素敵だ。
「はい、私はよくわからないから、ここで」
私は今回下界用に購入した衣の中で、いちばんお気に入りのものを選んで着てきた。
深い海の色のような、ワンピースというもの。裾がヒラヒラして、なんだか心許ない。
こんな風にお洒落をしたところで、どうもならないことは、わかっている。
店に入ると、スタッフの男性が訳知り顔で頷き、一番奥の席へ通してくれた。他の席からは見えない角度になっていて、ほとんど個室に近い。
「まいったなあ、ここカップル用の席だよ」
キョウスケが申し訳なさそうに、頭を掻いた。
「なんか、ごめんねあやめさん」
「いいえ、そんな」
かえって嬉しい、とは言えない。
「パンケーキが食べたいんだったね。ここの、けっこう旨いんだ。ボリュームもあるし」
メニューの中から、キョウスケはプレーンタイプを選び、私は苺ののったやつにした。
味は、よくわからない。
「ここ、よく来るんですか」
「いやまあ、一人ではなかなか敷居が高いけどね」
女性と来たことがあるということか。
「私と食事なんかしたら、怒られますよね・・その、キョウスケさんの好きな人に」
恐る恐る、聞いてみる。ヨシナガカオリのデータをインキュバスに頼もうかと思ったけれど、やめた。
知ったところで、何にもならないから。
「え?いや、完全俺の一人相撲だから。彼女は俺のこと、ただのコンビニの店員としか思ってないさ。顔も覚えてないだろうし」
キョウスケが、あはは、と笑う。
「お店に来る人、なんですね・・・。どういうところが、その・・・好きなんですか?」
聞くのは苦しいけれど、諦めるためだ。
「どういうとこって・・・あやめさんにこんなこと語るのも恥ずかしいんだけどさ」
話しながら、私から視線をはずす。
恥ずかしいと言いながら、しっかり言葉を選んでいる様子だ。
残念ながら、この人、軽い気持ちではなさそうだ。
きゅっ、とまた胸のあたりが痛んだ。
「なんかね・・・うまく言えないけど・・・いっしょに年を重ねていけたらいいな、って思える人かな。どこが好き、とかそんなんじゃなくてね」
そうね。それ、私がいちばん出来ないやつ。
「キョウスケさん」
「ん?」
彼のコーヒーカップを持つ手が美しくて、見とれそうになる。
指に触れたい、と思う。
でも触れたら、戻れなくなる。インキュバスのいうように、私たちは人の子とは生きれないのだ。
それでも言うか。
言わずに去るか。
どうするのアイリス。
「私・・・キョウスケさんすごく素敵だと思います」
言った。
言ってしまった。
「え?」
キョウスケが、目を丸くする。
「キョウスケさんは優しくて、真面目で、穏やかで・・・素敵な人です」
「あ・・・どうも・・・ありがとう」
あきらかに戸惑っている。そりゃそうだ。まだ私たちが会うのは2回目だもの。
「だから、きっと、大丈夫です」
ああだめ。何言うの私。
「自信持ってください。きっと、その女性とうまくいきますよ。キョウスケさんから動かなくちゃ!せっかく出会えたのに。せっかく、チャンスがあるのに。仕事のことなんか、その後で二人で考えればいいことでしょう?」
・・・ああ、もう。なんてこと。
「みんな・・・可能性を簡単に捨てすぎるんです。一歩踏み出すだけで、人生は変わるのに。何もしなければ、いつまでもゼロです。一つでも動けば」
言いながら、涙があふれそうになる。
「一つでも、動けば・・・それは、十にも百にもなる可能性はあるんです。キョウスケさんは、きっと大丈夫です」
・・・なに言ってんの、私。バカじゃない。
キョウスケは呆気にとられていたが、まあるい笑顔で、うん、と頷いた。
「ありがとう。あやめさんみたいな人に言われると、勇気が出るよ・・・そうだな、俺グチグチ一人で考えすぎてたよ。仕事の安定とか、将来とかつまんねぇことばっか。そんなの付き合えた後の話だもんな。いきなり結婚申し込む訳じゃないんだから」
キョウスケの波動から、暗い色が少しずつ消えてゆく。
これでよかったのよね、インキュバス。
「彼女はいつも、あの店に火曜の夜ににくるんだ。・・・自信はないけど、動いてみるよ。あやめさんのおかげだ。本当に、ありがとう」
・・・主よ、この人の子を護りたまえ。
代金は結局、キョウスケが払った。勇気づけてくれたお礼だという。
「大丈夫?ホテルまで帰れる?」
やさしい人。
「帰れますよ、大丈夫。・・・あの、キョウスケさん」
最後にひとこと、許してね。インキュバス。
「ん?」
私はまっすぐに、キョウスケを見つめる。
「私もあなたから、愛されたかった」
夏の湿った風が、私の長い髪を揺らす。
私、後悔しないから。
あなたを、好きになったこと。
「・・・神があなたと共にありますように」
それだけ言うと、私は振り返らず、ボスがいるはずの居酒屋・しのへと走った。
ゆっくり歩くと、泣きわめきそうだ。とても、ひとりではいられない。
ボスと朝まで騒いで忘れよう。
今日はアルコールを浴びるほど、飲もう。
店の前まで来たとき、慌てた様子のインキュバスから通信がはいった。
「すみません、アイリスさん。・・・天界の縁結びのリストに、マミヤキョウスケとヨシナガカオリの名前が、いま新規で載りました」
「え?」
どういうこと?
「このままだと、アンジェリカさんがマミヤのもとに降臨してしまいます!リストに載った以上、止められません。アイリスさん!」
インキュバスの緊迫した声が聞こえる。
私はその場から、しばらく動けなかった。
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