ショートストーリー~マンハッタン・キス
「終わったあと、すぐに背中を向ける男と寝ちゃダメだよ」
彼は私の髪を指でまさぐりながら言う。まるで、自分がそうではないかのように。
「知ってるわ。私もハタチのお嬢さんじゃないのよ」
私が口をとがらすと
「俺にとって君はハタチのお嬢さんだよ。いつまでもね」
彼は、おかしそうに笑う。
彼は私に何かを教えるのが好きだ。仕事の交渉術、スマートな会話や考え方。
私はその話を聴くのが好きだった。全世界を相手に戦うヒーローと一緒にいる気分だった。誇らしかった。
だけど私ももう、30になる。
お嬢さんだって知恵もつくし、自分の将来だって考える。彼には家庭があるから、会えるのはこのホテルの箱の中だけだ。
それでも、私から関係を終わらせることはないと思う。
結婚に舵を切るのなら、いつでもそうできたはずだ。なぜなら、彼は私を一度も引き留めたことはないから。
「愛してるよ。でも一緒にはなれない。それでもいいなら」
この言葉の鎖に私はからめとられている。
私が彼に夢中になっていると知って、出た言葉だ。
それでもいい、と私が頷くと彼にはわかっていたのだろう。
ずるい人だ。
シャワーを浴びた彼は、徐々に私に一線を引きはじめる。
言葉にはださないけど、わかる。
とたんに私は、暗い孤独な世界に放り出されるのだ。この時間がとてもいやだ。今までの温かいぬくもりが、急にショーケースのなかのもののように感じる。
白いシャツを着て、ネクタイを直したあとは手も触れさせてくれない。
それがルールだ。このルールを守る限り、俺は君に会えるんだから。わかるね?
ーわからないわ。
「わからないわ」
ふと、そんな口から言葉がでたことにびっくりした。
「ん?どうした」
彼が外向きの笑顔を浮かべて振り返る。
「私が・・」
「ん?」
「私が、あなたくらいの歳になっても、好きでいてくれる?」
どきん。心臓が跳ねている。
好きでいるよ。当たり前だろう?
俺にとって君はハタチのお嬢さんなんだからさ。
彼ならそう言ってくれる。私はじっと、言葉を待つ。
長い、長い一瞬。
彼はベルトを締めながら言った。
振り返りもしなかった。
「さあ、先のことはわからないよ」
ガチャリ。
ひとり残された部屋で、私は彼の連絡先を消した。
明日、髪を切りにいこう。ネイルも。
そして、明るい色の服を買いにいこう。
私は、私を生きるんだ。
いつもホテルの部屋から見ていた夜景が、今日はなんだか煌めいて見えた。