ピリカ目線~創作の明かりを灯そうagain
2021年7月、こんな企画をやったことがある。
いま思うと、けっこうすごい人たちが書いてくれているから覗いてみてほしい。
もともと音楽からの2次創作というものは好きで、自分に合っていると感じていた。
ポツポツとやっていたら、乗っかって書いてくれる方がいらっしゃって、そこから企画にした。
応募が1週間くらいだったのにもかかわらず200近くの参加があり、音楽からなにかを膨らませる、というのはみんなやりやすいのかもしれないな、と感じた。
この頃は1日3作書いた日もある。
当時休職していたこともあるけれど、アイデアが湧いて湧いて、ワクワクしていた。
時はいま、創作大賞真っ只中である。
交流させていただいているお友だちが、真摯なまなざしで作品を書き上げている。まだ全部読みにいけていないが、待っててほしい。
私は一気読み派なので、週末時間を充てようと思う。
そんななかで、私はその真摯さに追い付けないでいる。読むことしかできない。
私自身が、舞台を作るほうに興味があるからだ。だから、ピリカグランプリは私の分身といってもいい。
前世でルネッサンス期のヨーロッパに生まれていたら、画家のパトロンなんかを喜んでやっていたクチではなかろうか。
でも舞台を作るということは、書いてくれる人たちとエネルギーの方向を共にしないと、何かがずれていくと私は感じている。
創作に対して距離を詰められない自分に、ここ何年か焦っていた。
賞を狙う真剣さと戦略、作品を読んでほしいという欲のまっすぐさは文学フリマ東京に参加して、なおさらビリビリと感じた。
もういちど、創作をやってみよう。
書いて書いて、書きまくって力を放出してから秋ピリカグランプリを迎えよう。
主催にそぐわないレベル、といわれようがかまわない。これが私だ。
オール5をとらないと生徒会長になれないわけではないではないか。
創作は自己表現だ。
思うように言語化できない、語彙の少なさにうんざりする、他の作家が眩しく見える。
私にはこんなの書けない、とマウンドから降りたくなる。
きっとそんなネガティブな感情も出てくるだろう。
だが自ら生ぬるい安全地帯にいて、挑戦する人をどうやって迎え入れることができようか。
そんなぬるま湯からは、出てしまえ。
ぬるま湯に長く浸かっていると、知らず知らずに茹であがったカエルになってしまう。
挑め、もういちどことばの世界へ。