天使のお仕事~合コン編⑦
なぜ、この男性の手を取ってしまったんだろう。考えてもよくわからない。
ただ、この冷たく美しい目で見られると、なんだか私は心臓がどくん、と音を立てるのだ。
「さっきはすまなかったね」
テラスまで出てくると、男性はシルクハットを取り、頭を下げた。
よく見ると、目の上やこめかみ、耳の後ろに傷がある。気取った奴と思っていたが、どうやらシルクハットは傷を隠すためらしい。
「あ・・いえ。言われても仕方ないです。私、生誕したときから天使部だったから・・ずっと300年良縁部の仕事をしてきたんですけど、逆に言うと・・他の世界を知らないんです。このパーティーに来るまで、魔族の方たちも正直、間近で見たことなかったの。私こそ、ごめんなさい」
男性は意外そうに私を見て、ワイングラスを揺らした。
「良縁部か、懐かしいな。サムエルは元気なのかな?」
「サムエルって・・」
ついつい声が大きくなる。サムエルは、ボスの名だ。
ボスを名前で呼ぶ現役の天使は、ほとんどいない。それくらい、ボスの階級は高いのだ。それなのに、この男性・・。何者なのかしら。
男性は、楽しそうにアハハ、と笑った。
「そんな目で見るなよ。君は天使のくせに、考えてることがもろに顔に出るんだなあ。まあ、あのラファエルみたいにいつも薄笑いだと、辛いのか楽しいのかよくわからん。・・いやいや、君はわかりやすくていい。気に入ったよ」
「はあ・・どうも・・」
あのラファエルって。
「癒しの大天使ラファエル」のこと?仮にも大天使を呼び捨てにするなんて。
「あの、あなたほんとに誰なんですか?」
ますます疑問になる。男性はシルクハットを胸に抱き、私に向き直った。
「ああ、ごめんよ。まだ名乗ってなかったね。失礼した。僕は」
「お話し中ごめんなさいね」
艶のある、色っぽい声がした。ふと声の方を見ると、美しい魔族の女性が立っていた。
ぴっちりとした黒いドレス。ふわふわの黒髪。ゴージャスな宝石と豊かな胸元が目立ち、私は急に自分の細いだけの身体が恥ずかしくなり、胸元を隠してしまう。
「ん?なんだ?呼び出しか」
「ええ、バルスが呼んでらっしゃるわ」
「やれやれ。悪魔暇なしだな」
男性はシルクハットをかぶり、私に微笑んだ。
「すまないが、少しだけ失礼するよ。できれば僕が帰ってくるまでここにいてほしいんだけど・・どうかな?」
「あ・・はい・・わかりました」
考える先に、頷いてしまう。この男性といると、いつもこうだ。
「ありがとう」
男性はワイングラスをドレスの女性に預け、颯爽と会場へ戻っていく。
ついつい目で追ってしまい、女性の何か言いたげな視線とぶつかる。
「ごめんなさいね、お邪魔だったわよね」
微塵にもごめんなさいとは思ってなさそうで、私もムッとしてしまう。
「いえ、別にお話ししてただけですから」
「彼とつきあうのは大変よ」
女性は私に見せつけるように、彼の残したワイングラスを指でなぞる。腹が立つが、その仕草がまた美しくもある。
「そんなこと言われなくても結構です」
「あら、忠告してあげてるのに。素直じゃないのね、天使さんは・・彼の身体には無数の傷があるのよ。この世の誰も癒せない傷がたくさん」
「傷・・」
さっきの、目の上にあったものか。
「悪魔は人を惑わすものだし、それは間違ってないけど、私たちは誘惑をしかけるだけよ。それも大切な役割なの。闇に落ちなかった人の子は、あなたたち天使から祝福をうけるわよね。だけど、闇があるから光がある。そうじゃない?」
冷静な女性の声が、だんだん熱を帯びてくる。
「人の子って、不運も間違いも、何もかも、私たちのせいにするのよね。いくら私たちが罠を張ったところで、善を行う人の子だってたくさんいるのに。・・そしてね、悪を払う儀式をされるたび、彼が一手にその痛みを引き受けるの」
「えっ・・そんなこと」
それは、想像もつかないほど過酷なのではないだろうか。
人の子の世界では、いろんな国で魔を払う儀式があると聞く。
人の子の道理で考えると、仕方ないのかもしれない。季節の行事のようなものだ。だけどその痛みを誰かが一人で引き受けるなんて・・
「あら、天使さんは、こんな舞台裏の話は知らないのね。光の世界だけにいると、そうなっちゃうのかしら」
女性の声が勝ち誇ったように高くなる。
悔しい。
でも、現に私は知らなかった。
300年もこの仕事をしてきたのに。
「彼の身体の傷は、人の子からの嫌悪の印。私たちが仕掛けていないものさえ、こちらのせいにされるのはたまらないわ」
「あの」
私は、女性をまっすぐに見つめる。
「教えてください。あなたたちのこと、よく知らないでごめんなさい。・・あの男性は、誰なんですか」
「え、あなたそれも知らないで彼と話してたわけ?何よそれ」
女性が侮蔑の表情を浮かべる。
すこし迷ったようだったが、あきれたようにため息をつき、口を開いた。
「ルシファーよ、明けの明星ルシファー。ああ、あなたの部署の言葉では、元天使長ね」
ルシファー。
私はその名前を心で繰り返す。
もと大天使の長であり、堕天して魔王に一番近い悪魔。
堕天した天使はみな、彼のもとに跪くという。
あの、美しくて冷たい彼がルシファー・・。
女性が何か私に言葉を投げたが、もう何も聞こえなかった。
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