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ぐうたらのススメ

最近、とても浮き沈みが激しい。
自分でも同じ人間かと思うくらい、自分自身に振り回されている。

外向きの私はわりと活動的に見えるみたいで、外にいる時は自分も背中に一本長い竹の物差しを入れているように背筋がピンと張れる。決して無理をしているわけでもなく、その時は自然にそれができる。だけど、よく自分を眺めてみると息切れしているときもあって、そういう時は、頑張ればできるかもしれないけど頑張らないことにした。しなければならないことだけをして、それ以外は余白というか、その時の気分で動くようにする。そうすると、ぐうたらすぎる自分に驚く。ToDoリストを作って、済んだら消してテキパキ動いている自分は、我ながら素敵だ。今日という日を有意義に過ごしている自己満足感も高い。でも、ぼけーっとYouTubeばっかり見て4時間くらい経っていると、自己嫌悪に陥る。オンとオフの差が甚だしい。

私は昔から、ゼロか100かの傾向が強い。全力で楽しくなる分、全力で落ち込む。特に意識はしていないが完璧を目指すから、一度失敗するとぽっきり折れる。人から怒られるというよりは、自分で自分が許せない。だから、息切れしてしんどくなるのだ。こんなことなら、のらりくらりとぎりぎり60の平均点くらい取って生き延びた方がいいな、と思う。

実習が始まり、3ヶ月。久しぶりの臨床が嬉しくて、張り切って飛ばしすぎた結果、エネルギー切れが起きた。小さなことがきっかけで、張りつめていた糸がぷちんと切れてしまった。いろんな思いが混在して、心の中がパンクしてしまった。目の前が真っ暗で、何をする気も起きなくなってしまった。

ひとしきり鬱々と過ごしているうちに、ふと気づいた。私の「我」が出すぎていたのだ。

今の私にとって、私の助産師としてのプライドなんてものは、邪魔だなと思った。今私は教員という立場で、一番大切なのは産婦さん(これは、勤務助産師の時も一緒)であり、そして学生だ。こんな中途半端な気持ちで学生を連れてお産に入った私を、にっこりと笑顔で受け入れてくれた産婦さんに頭が下がった。分娩1例目でおどおどしていた学生さんが、6例目になって見違えるほどしっかりしてきた姿が頼もしい。私は、一体何をしているんだ。余計な雑念が消えて、頭がクリアになった。

いじめに遭った神戸の小学校の先生の文章を読んで、涙が出た。「職員室は怖かったけど、教室で生徒といる時間は幸せだった」−−−−私も看護師時代、先輩が怖すぎて過緊張で能面のように笑えなくなってしまった時、患者さんだけはいつも救いだった。怒られるのが怖くて先輩に聞けなくて、インシデントを何度も出した。私のそのちっぽけなプライドによって、迷惑を被るのは患者さんだ。

誰のための仕事?
大切なものはなにか、整理する。そして、時には自分のパワーを60くらいにセーブしてエコ運転もしながら進んでいく。

そのために、もうしばし、ぐうたらを。