6がつ帽じつ、十
さいきんラジオから流れてきていいなとおもったのは、odolの未来。
聞きながら絵を描いた。
このすけとおいっこが、ターザンロープで遊んでいる。
ひとりがターザンロープをし、もうひとりが丘を垂直方向から駆けおりて、どちらがさきに通過するか。公園にある丘とはいえどけっこう急だ。長い滑り台がついている。
せいのでスタートし、足がもつれることもなく斜面での勢いを我がものとし、ターザンロープのまえを駆けぬけていく。全身をのぞむがままに動かせる、その躍動、その喜び、生命のちからが満ち満ちている。
なんてすばらしい時期。わたしは見惚れた。成長していくなかで、そのときの、その時期の輝きがある。本能、心と体の声に正直、あるいは一体となっているのかもしれない。
わたしはもう、彼らのようになめらかには丘を駆けおりられないかもしれない。まえにこことはちがう丘を走っておりたあと首が痛くなった。でもまた駆けおりてみたい。いまのわたしはどんなふうに丘を駆けおりるのだろう。