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わたしの天沢璃人はここから

この記事を書いているのは前日ですが、
5月10日はりとくんと初めまして記念日です🤸‍♂️あとAqua Timezの太志さんの誕生日だよ



出会った場所は秋葉原ディアステージ。
この日の出勤のメンツ、有志の方が残してくださってたので分かったのですが、

D1 いと、かなめ(~21時)
D2 うい、まよ、あこ(19時~)、ゆい、りと
D3 大和、しいな(20時~)、ゆうか(18:30~)、りあ、らむ

今となっては過半数が推しのフロアだった(´つヮ⊂)ウオォォwwww 

りとくんは研修明けてツイッターのアカウント作ってすぐの頃だったかな、当時数年ぶりの男装(ディアボ)が入ったとのことで、お客さんはみんな興味津々でした

ディアボさんたちのことは好きだったけど、趣味?嗜好?ではなかったし、本人にも言ったことあるけど最初はピアスバチバチでメイクもキリッとしてて「話合わなさそうだな…どんな子なのかな…」が第一印象でした。

話してみると、受け答えハキハキとしているし、お給仕も先輩たちに囲まれながらも自分で仕事探したりしてて、とりあえずすごく真面目な子なんだなと思った。

ディアボは元黒服ポジで、しごできが当たり前 みたいな感じだったようで。その時代にいなかったので分からんのですが。
そんなの古くせえ!ってゴーイングマイウェイでもよかったと思うんですけど、伝統を重んじて保守的(お給仕が仕事!という意識)なんだけど個性は出してく!な姿勢がキャストさんとしていいなぁと思ったりした。


仕事がとても出来てえらい(総括)というリプを送ったら、

お返事まできっちりしてて、ええ子やなぁ~になった(チョロい)

そして周りがどんどんりと推しになっていってるのを見て、いいなぁ。と思い始めた。


この頃は色々あって店舗での推し迷子になってて、もうとりあえずお金がある限り店舗に行っていた。
復職したてで時短勤務だったので暇で仕方なくて、虹コン現場と店舗を往復してました。

そんな矢先にmemeの発表があり、正直なところSNSはいい反応ばかりではなかった。

でもそんな中で、店舗出勤も頑張る!と発信したりとくんを見て、めちゃくちゃ応援したくなった。

今の私が推し増ししていいの?歴代の推しは?そもそもすごい年下だし育ちも地方の子とか共通点なさすぎるけど、どうやって仲良くなればいいの? 

結局考えれば考えるほど、りとくんのことが好きになっていて、「共通点ないなら作るぞ」となり、すみっコぐらしと踊ってみたの開拓を始めた。
そして行ける日はなるべくりとくんの出勤に行ってみて、チェキは買えそうだったら買ってみた。
すると某推しに「りとガールズ(りと推しの総称)」と呼ばれるようになったりもして。
(そこで遠慮せず、自分のチェキは私の卓の上に置いていくかわいい某推しでした)


りとくんのこといいなぁって思ってる、ってなんかダメ男の口説きみたいなことも伝えてみたりして(赤面蒸発)

2019年9月28日 めいどるらんどの日に「りと推し」として、青いサイリウムを折りました🟦

店舗は当時18時から23時前までやってて、りとくんは最低週3以上出勤してて、つまりその気になれば週10時間以上同じ空間に居られるわけですよ(ずっと話せる日はずっと話せちゃうし)。
だから、店舗の推しはすごく慎重に決めたかった。


そしてmemeの現場も居心地良くなければ、りとくんを推し続けられなかったと思う。
一瞬わたしが覇者()みたいな時期があったけど、それでも他のオタクとは多分うまくやれてたし(今と違ってね)、色々な要因があって、わたしはりとくんを推し続けて現在4年半を迎えております。   

ちなみにでんぱに入った時は詳しく話を聞きたかったけど、自動的に出勤がなくなったので、インタビューやマルシェを通して「でんぱのりとくん」の解像度をあげていった感じです。
話せるのが当たり前だったから、特典会でまとめて話すのが苦手だなって気付いた。だからわたしはマルシェと手紙のオタクになったわけだ。


会ってから5年、推して4年半。
生まれも育ちも違う、年の離れた(りとくんは年齢非公表)、背格好も全く正反対の私たちは、ファンと演者という平行線 けど同じ世界に生きている。
なんかFire◎Flowerの歌詞みたいだね。

でも違うのは、

好きにならなきゃよかった、
じゃなくて
好きになってよかった!


ちなみに私がでんぱにハマった理由は昔の恋人にヤれないからってフラれたからです!若いね!

最悪の〆をしておわるよ。

たぶん9月28日はでんぱ関連が騒がしそうなので、出会った記念日にnote書いてみた✍️


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