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ショーセツ スナックぎんなんの災難 #1
スナックぎんなんのママ、38歳の虹子には妄想癖がある。
黄昏時の開店直後、彼女は西日の当たるスツールに座って、編み物を片手にニュースを眺めていた。
「アーバンいのしし?ひえ~」
1メートル以上ありそうないのししが駅前を疾走する映像が流れていた。 都市部に住むいのししをアーバンいのしいと言うらしい。
「でも」 と虹子は思う。「もし第三次世界大戦が起きて食糧不足になったら、こんないのししも立ちどころに消えてしまうんだろうな」
オレンジ色の光に包まれた店内で虹子は考える。
もし世界が崩壊して、ザ・ウォーカーみたいな世の中になったら ワタシはありったけの毛糸を世界中からかき集めて編み物婆あになるんだ。
(死ぬことは考えにないらしい)
そして、旅の途中のデンゼル・ワシントンにセーターを編んであげるんだ。彼には無償よ…
「あなた 変わりは ないですか」
調子の外れた歌を口ずさみながらふと気が付くと 扉が開いていて、たまにふらりとやってくる中年男 堂下が立っていた。
レイバンのサングラスをかけ、アウトドア用品らしい上着を着た彼は、一瞬デンゼル・ワシントンに見えなくもない。
「デンゼル…! ちがう! いらっしゃい!」
堂下はサングラスを外し、驚いたような困った様な苦笑いを浮かべていた。
「お久しぶりです。お元気でした?」虹子は愛想笑いでごまかした。
「うん」 堂下はニコニコしているが無口である。彼はこの店に食事が目当てでやってくるらしい。
「ごめんなさいね。今すぐ出来るのはお雑煮くらいなの」
「お雑煮?フライングだね」彼はおしぼりで手をふきながら笑った。
「でしょ~? でもワタシお雑煮大好きなの。1年中食べたいくらい」
「うん、何年振りかなあ。それでいいや」
何年振りって、家庭とか田舎とかどうなってるのかしら…そう思うがそんなことは決して口にしない。
「ワタシのお雑煮はね、あおさのりと普通の海苔と鰹節で作ったふりかけをかけるのよ」
「へえー どこの慣習?」
「たぶん千葉の海の方だと思うわ。母がいつもそうしてたの」
「雑煮ってホントに地域色が出るね」
そんな他愛のないことを話していると、扉が勢いよく開いた。
商工会議所の幹事 比奈まつりと、その娘で秘書のモモコがどしどし入ってきた。
「あー もうヤダ」 まつりは大声でわめきながら、虹子が声をかけるより先に、スツールにどっかり腰をおろした。
モモコはスマホを見ながらひっそりと、しかしちゃんと隣に座る。
「いらっしゃい なんかお忙しそう」
虹子はまつりが駆け付け一杯と好むラムハイボールを用意する。モモコはカシスオレンジだろう。スマホから目を離さないので勝手に作り始める。
「そうなのよー もー まいったわー」
まつりは大きくため息をついて天井を仰いだ。その心を悩ませる訳を聞いてほしいフリだ。
なので尋ねた。 「一体どうしたんです?」
「うちの会頭さー もう歳でしょ? だからね」 まつりは虹子に渡されたラムハイを大きく一口ゴクリと飲み、またふっと一息つく。
「次期会頭候補をいろいろ探しているんだけど、誰も彼ももうどうしようもないワ~」
「どうしようもないことないでしょう? 皆さん大企業ばかりだし」
「それがね~ 筋を通せば角が立つ、あっちを押せばこっちが出っ張る。もう大変なのよ~」
「やっぱり晋藤自動車の社長で手を打つしかないってみんな言ってるよ」 モモコが両方の親指でスマホを激しくタップしながら呟く。
「晋藤さんなら適任なんじゃないですか。 よく存じ上げないけど 見た目悪くないし」 虹子は安請け合いをしてしまう。
「もー ママ、知らないの? あの噂」まつりはラムハイをぐいぐい飲んで、コップを勢いよくカウンターに叩きつけた。
「噂って?」 ワタシの大好物ですが何か?
「4月の晋藤自動車主催のお花見に、反社が参加してたのよ」
「ええ~!!」
「それであの会社今もめにもめているのよ。株主総会が開かれるって話よ」
「晋藤社長の進退問題になるかも」モモコがスマホをいじりながら呟いた。
「反社はまずいですね…」
「それだけじゃないのよ。晋藤社長の招待状が、ニホンマウスの社長に届いてたらしいの」
「あの経営破綻した悪徳商法の…うぇ~…」
「社長も他の取締役も、はっきりした説明をしないもんだから、労働組合や子会社の人達がもの凄く怒っているのよ」
「はあ~…」
するとモモコがスマホ画面を見てけたたましく笑い出した。
「これ 面白い。晋藤社長のモットーは、丁寧な(言葉使いで意味のない)説明 だって」
「ちょっとアンタ、あんまり滅多なこと言うもんじゃないわよ」 まつりは慌てて娘を窘めた。
「あたしが言ってるんじゃないよ、ネットの書き込みだもん。それにあの社長 これで三回目だしね」
「そうねえ。最初が鶴共学園で 次が亀学園で つるかめ問題も結局うやむやだしねえ。ネットに何書かれても仕方ないワ」
「じゃあ晋藤さん、辞任なさるんですか?」 虹子は晋藤社長の進退にさしたる興味はなかったが、一応聞いてみた。
「アタシはそうは思わないな」まつりは腕を組みながら唸った。
「社員も株主も怒ってるけど、結局、このご時勢を考えると、晋藤社長で行くしかないと内心思っているわよ」
「彼に辞めるつもりは全然ないしね」モモコは氷の溶けかけたカシスオレンジをようやく一口飲んだ。
「どうして?」虹子はこれにも興味なかったが儀礼的に聞いた。
「晋藤社長は、70年続いてきた社訓を改正するのに執念を燃やしているの」まつりが答えた。「そのためにあの手この手で生き延びてきたんだから」
これにはちょっと興味が沸いた。「なぜそんなに執念を燃やす必要があるんです?」
「さあねえ。ちょっと分かんないなあ。会社の発展と成長のためにとか? まあ、いい方向に変えるんならそれもいいと思うけど。ただ彼は、とにかく自分がやる! って一生懸命なのよねえ」
まつりはしばらく考え込んでいたが、不意に、カウンターの隅っこに座って今はウィスキーをもてあそんでいる堂下に声をかけた。
「ねえ、あんたはどう思う?」
堂下はびっくりした顔で振り向き、俺? と言う風に自分を指さした。二人は店で何度か会ったことがある顔見知り程度だ。
「そうよ、アタシ達の話聞いてたでしょ。狭い店なんだからさ。
(余計なお世話だ、と虹子は独り言ちた)
どう思う? なんで晋藤社長は社訓改正に熱心なんだと思う?」
「うーん…何でって言われてもなあ」 そう言いつつ堂下は言葉を選んでいるらしかった。
「今一通り話を聞いて、ホントにこれは邪推なんだけど…」
三人の視線が一斉に堂下に集中した。
「邪推でも何でも良いわよ。教えて教えて」
「そうだなあ」躊躇いがちに堂下は続けた。「もしかして、日本の歴史上に偉人として名を残したい、と思っているのかな」
いきなり店内に沈黙の爆弾が落ちてきた。
女三人は堂下を見たまま固まってしまった。
「いや、だから邪推だって」 堂下は慌てた。
緊張の沈黙を無理やり破ったのはまつりだった。
「いや~、それはちょっと大袈裟すぎない~?いくら何でもね~」 そう言うとまつりは乾いた笑い声を上げた。「邪推にも程があるわよ~ ホホホ」
他の二人はその笑いに付き合ったが、引きつってぎこちなかった。
堂下も笑った。「や、そうっすよね。ちょ、ちょっと大袈裟だったかな。」そう呟くと彼は、そそくさと勘定を済ませ帰ってしまった。
「ねえ、あの人よく来るの?」 堂下の去ったあとの扉を眺めて、まつりが虹子に聞いた。
「ええ、思い出したようにふらりと」
「何してる人なの?」
「さあー」
「何で聞かないの?」
「何でって言われても…向こうからお話してくだされば聞きますけど」
「もう、ヘンな人ねえ」まつりは空になったグラスのお代わりを頼み、話し疲れたらしくぐったりカウンターに頬杖をついた。
モモコはまたスマホに向き合ってしまった。今の発言をネットに挙げているのだろうか。
冬の陽は跡形もなく消えて、いつの間にか暗闇が辺りを支配している。虹子は店内の灯りを少しだけ強めた。
「そう言えばアタシ、一度聞こう、聞こうと思ってたんだ」出抜けにまつりが背筋を伸ばした。
「何をです?」
「この店の名前って、何で ぎんなん って言うの?変わってない? 銀杏が好きなわけ?」
「それは…」 今度は虹子が躊躇った。
どうやって説明したら一番いいのかしら。議論好きなまつりの第二ラウンドテーマにしては気が乗らない。ラムハイを作りながら虹子は取り留めなく言い淀んでしまった。