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第十一戒

また、ミラン・クンデラの「不滅」より。

モーセの十戒に 「汝 嘘をつくなかれ」と書いていなかったのは、その前に、「答えよ」 と言わなければならないからだそうです。

「嘘をつくな」「真実を言え」は、ある人間が他の人間を対等とみなす限り、他の人間には向けてはならない命令である、とクンデラ氏は言っています。そして神様だけは、この言葉を言っていいかもしれないけど、神様はすべてお見通しだから、われわれの答えなどいささかも必要としてはいないだろうと。

答えを強要する権利は、事件を審理する裁判官などに、全く例外的に認められるだけで、裁かれる方は別に黙秘してもいい。しかし、共産主義国家とファシズム国家は、例外的でなく永続的なものとしてこの権利をわが物としてきた。クンデラ氏はプラハを追放されて、2019年頃まで市民権を再取得できなかったらしい…

第十一戒とは、そういった体制で聖化された至上命令 「嘘をつくな! 真実を言え!」である、と定義しています。

ところが、民主主義国家においても、第十一戒の至上権が行使されているそうです。

十戒が忘れ去られた現代のモラルの構造は第十一戒に立脚していて、その管理運営を確実に行わなければならないのはジャーナリストの役割…?

なぜそういうことになったかというと、1970年代に、アメリカのジャーナリスト、カール・バーンスタインとボブ・ウッドワードが、一目瞭然とさせたのだそうです。

ワシントン・ポストの二人の記者が、その質問によって、ニクソン大統領の咎めるべき不正行為を暴露し、地球上の最も権力のある人間にまず公然と嘘をつかせ、ついでその嘘を公然と認めさせ、ついに悄然と立ち去らせた、あの事件以来、人々は新しい力を見出しました。武器や陰謀ではなく、質問と証拠で、権力を廃位させうる新しい力。

世界は、正義が行われたと拍手喝采しました。なのでそれ以降ジャーナリストは、彼らにあやかり、「真実を言え!」と要求する…。でも今は、ちょっと様子が変わってきたように思います。


第十一戒の真実とはどういうものなのか。信仰にも思想にも関係はなく、様々な事柄について純粋に実証主義的な真実だそうです。すなわち、Cが昨日やったこと、彼は心の奥底で何を考えているのか。Aと会う時話すこと。Bと関係があるかどうか。それは現代の真実であり、ことと次第によっては爆発力を秘めている。

こうして、第十一戒のモラルは政治家だけでなく、芸能人や一般の人にも向けられるようになり、だんだん過熱してきた…管理者であるいわゆるマスコミの姿勢を疑問視する声も聞こえていた矢先、ジャーナリストに真っ向から対立するあの大統領が現れた。

何を言われても、自分なりの真実以外は全てフェイクだ、という、強弁の破壊力は計り知れない。

そして我が国でも、曖昧で、あまりに上滑りする答弁が冷たくまかり通って、時にはそれが残酷に思えることすらある。ことによると、かの大統領をお手本にしているみたいなきらいがある。

権力者の皆さんに、真実の爆発力に対する抗体が出来てしまい、昨今全然へこたれてくれないので、ジャーナリストの方は、麻雀に付き合ったりして懐に飛び込むしかないのかなあ。


そこで思い出すのが、ヴァーツラフ・ハヴェル「真実の生」という言葉です。

この方の本をまだ1冊も読んだことがなくて、NHK「100分de名著」のテキストでしか知らないのですが、ハヴェルさんもクンデラさんと同じチェコの方で、同時代を生きてきた人です。(ハヴェル氏は1936年生まれ、クンデラ氏より7つ年下)

クンデラさんはフランスに亡命して執筆活動を続け、ハヴェルさんは劇作家で、パージを受けつつ、末は大統領になるという劇的な生涯を送られた方。

ハヴェル大統領が最初にしたことは、「嘘をつかないこと」だったそうです。政治家が嘘をつかないで活動することは、残念ながら不可能に近いのではないでしょうか。

真実は人を自由にする」というヨハネの福音書の言葉が、CIAの玄関に飾ってあるそうですけど、それはまことに真実であるように思います。

ハヴェル氏が大統領になる前、旧西ドイツの国際書籍見本市で「平和賞」を受賞した時、原稿でこのように述べています。

「あらゆるものの初めに言葉があります。それは奇蹟で、われわれが人間であるのはそのおかげです。しかしそれは、同時に、わな、試練、まやかし、そして試金石でもあります。」(「言葉についての言葉」飯島周訳、『反政治のすすめ』恒文社 1991年)

言葉とは、神秘的な、多義性をもつ、両面的価値のある、いつわり多き現象である」と、言葉の二面性について警告を発しています。

勿体ぶった表現が羅列され、その内実はほとんどない、空虚な言葉…ハヴェル大統領はそのような言葉を使うのを辞めました。そして、解放後の演説で、人々にとって目を背けたくなるような国の厳しい状況を訴えたのです。

「真実の生」とは、自らに第十一戒を課し、その責任を負う、ということのようです。

それを聞いたワタシ達はどうすればいいのか。

それは個々の自由です。無視してもいいし、一緒に考えてもよい。「どのように生きたいか?」という答えも、多種多様なものになるはずです。

でも、大統領をはじめとする政治家自身に「愛」とか「倫理」とかを感じることが出来れば、人々はついて行くのではないでしょうか。ハヴェル大統領はそのように、「政治的でないことこそが政治の本質である」と捉えていたそうです。


ワタシ達は、第十一戒を自らにどのように反映させればよいのでしょう。それも、個々の自由です。そして、他の人にも自由にさせてあげなければならない。多様なものを自分なりに判断していくのが、生きることです。そして自分の考えや行為に責任を持たなくてはならない…

「大統領には試す権利がある」として、抗マラリヤ薬を飲んだり、マスクをしなかったりするのも、自由っちゃ自由ですよね(;´・ω・)

麻雀したかったら、すればいいのさ。その行為に対する応答が、責任ということなんだろうな…

あとは、任命責任と閣議決定の後始末をどうつけるのか…相変わらず空虚な言葉で、このままなし崩し的に終わってしまうのか。政治家の言動を見て判断するのはわれわれの自己責任でということになります。ジャーナリストの方々の第十一戒も、これからも社会で炸裂し続けることでしょう。

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