見出し画像

禅の道(66)七世の父母

七世の父母と仏教

私たちは誰一人として孤立して生まれた存在ではありません。先祖からの命の連なりの中で、今の私たちがあるという事実に目を向けると、そこには驚くべき縁と因果の世界が広がっています。たとえば、血縁上の父母は2名、祖父母は4名、さらに8名、16名、32名、64名、128名と遡ると、七代前には合計で254名もの先祖が存在します。さらに30代前の先祖の数を計算すると、2の30乗、すなわち約10億7千万人にものぼります。

もちろん、この数字は単純計算であり、血統が重なるケースもあるため現実とは異なるかもしれません。しかし、この膨大な命の連なりがなければ、今の自分は存在しないという事実は変わりません。

仏教の視点から見る先祖供養

仏教では、命の連続性や縁起(えんぎ)の考え方を重視します。「縁起」とは、あらゆるものが相互に依存し合い、単独で存在するものはないという教えです。私たちの命もまた、無数の先祖たちとの縁によって支えられ、今ここにあります。

この命の縁に感謝し、その恩を感じる行為が「先祖供養」です。仏教における先祖供養の根本的な意義は、単に亡くなった先祖を慰霊するだけではなく、自分自身の命のあり方を見つめ直し、命を大切にする生き方を学ぶことにあります。

1. 感謝と謙虚さを育む

七世の父母という数字を通じて、私たちは自分がいかに多くの命のつながりの中で生かされているかを実感します。その実感が感謝の心を育み、謙虚な生き方へと導きます。

2. 自分の役割を果たす

膨大な先祖の命の連なりの末端に私たちはいます。これをただの数字として捉えるのではなく、「自分は次世代へ命を伝える役割を担う存在である」という自覚につなげることが大切です。

3. 縁起の教えを学ぶ

「私」という存在は孤立した個ではなく、先祖や周囲の人々、さらには自然環境を含むすべてのものとのつながりによって支えられています。この縁起の教えを理解することで、他者への慈悲や感謝の念を深めることができます。

先祖供養の具体的な実践

仏教では、先祖供養の具体的な方法として、次のような行為が勧められています。

1. 仏前での読経

仏壇やお墓の前で経典を読むことは、先祖を敬い、その魂を供養する行為です。たとえば『般若心経』や『観音経』などがよく読まれます。これは先祖への感謝を示すだけでなく、自分自身の心を清める効果があります。

2. 善行を行う

先祖供養の一環として、他者に善行を施すことも大切です。布施や寄付、困っている人を助けることは、先祖の徳を積む行為とされます。

3. 命を大切にする

仏教では「不殺生」の戒めがあります。命を慈しみ、自分や他者の命を大切にする生き方を実践することが、先祖への供養にもつながります。

先祖供養の現代的な意義

現代社会では、先祖供養の意識が薄れがちです。しかし、自分が膨大な命の連なりの中にあることを理解し、それに感謝することは、人生をより豊かにし、意義深いものにする鍵となります。私たち一人ひとりの存在が無数の縁の上に成り立っていることを自覚すれば、日々の生活や人間関係においても、他者を尊重し、感謝の念を持つことが自然とできるようになるでしょう。

結び

七世しちせ父母ぶも、さらには途方もない数の先祖たちの存在を思い起こすとき、私たちは「自分だけの命ではない」という深い真理に触れることができます。この気づきをもとに、仏教の教えに学び、先祖への感謝を行動に移すことが、真の供養となるのではないでしょうか。

舎利礼文 (しゃりらいもん)             
一心頂礼。万徳円満。釈迦如来。   
真身舎利。本地法身。法界塔婆。   
我等礼敬。為我現身。入我我入。   
仏加持故。我証菩提。以仏神力。   
利益衆生。発菩提心。修菩薩行。   
同入円寂。平等大智。今将頂礼。

ウィキペディア「舎利礼文」より

今ここ自分、いのちがけ。


ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道

にゃんすいあん日記36日目

昨日の雨で雪はすっかり溶けました。
にゃんたちはおかげさまで元気に暮らしています。
来たころにくらべると随分おおきくなりました。
まいにちドタンバタンとかけまわっています。

たなのうえにあるものをおとしてくれます。
それがしごとだとわかっていますが、、、
あちゃ~とおもうこともいっぱいあります。
それでもかわいいからゆるしてしまいます。

へそてんでわたしのひざにのってねむります。
かわいすぎてたべてしまいたいくらいです。

ビリーをだっこしているとここがさいそくしにきます。
ぼくも「なでて」とあまえにきます。

ここカメラ目線

いいなと思ったら応援しよう!