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禅の道(37)証道歌
今日は以下から始まる証道歌を取り上げます。私が禅の道を歩むきっかけとなった漢詩です。老子の影響が少なからず感じられる少し変わった雰囲気があります。私の名前「正道」と同じ音がするので、とても好きな詩のひとつです笑
君見ずや、絶学無為の閑道人、
妄想を除かず真を求めず。
無明の実性即仏性、幻化の空身即法身。
法身覚了すれば無一物、本源自性天真佛。
五陰(五蘊)の浮雲は空去来、三毒の水泡は虚出没。
実相を証すれば人法なし、
刹那に滅却す阿鼻の業。
若し妄語をもって衆生を誑かさば、
自ずから抜舌を招くこと塵沙劫ならん。
頓に如来禅を覚了すれば、六度万行体中に円なり。
夢裡明明として六趣あり、覚後空空として大千なし。
(以下省略)
証道歌(證道歌)は、247句1814文字より成るは独特の韻を踏んだ偈頌で、禅宗四部録(信心銘、証道歌、十牛図、坐禅儀)の一つ。作者は唐の永嘉玄覚大師(665~713)とされ、禅の要諦を一種の詩の形で端的に表現したものだとされる。
「証道歌」の要約と解説
要約
「証道歌(しょうどうか)」は、中国の唐代に禅僧・永嘉玄覚(ようかげんかく)によって書かれた詩で、悟りの体験とその境地を述べたものです。この歌は、修行を経て悟りを得た者が、真の道を体得した歓びとその要点を詩的に表現しています。以下のような内容が述べられています。
悟りの本質: 悟りは、特別な状態に到達することではなく、本来の自己に目覚めること。仏や菩薩は外に求めるものではなく、自身の中に既に備わっている。
修行の不要性を超えた修行: 修行を通じて「無為自然」の境地に達するが、それは「何もする必要がない」という安易さとは違う。「何もない」ことを真に理解するための努力が必要。
執着を超える: 生死、苦楽、善悪など、あらゆる二元的な対立を超えたところに安らぎがある。執着を手放せば心が自由になる。
悟りの境地: 悟りを得ると、もはや修行そのものにも執着しなくなる。日常の一挙一動が道そのものであり、特別な行動をする必要がない。
独自の解説
証道歌は、悟りの本質が「心の自由」にあることを強調しています。その自由とは、執着や固定観念を捨て、物事の本来の姿をありのままに受け入れることにより得られるものです。以下に、主要なポイントを解説します。
悟りは「得る」ものではない: 悟りとは、私たちがすでに持っている本質に気づくことです。特定の条件を満たしたり、特別な状態を「得る」ことではありません。たとえるならば、曇り空の向こうにある太陽に気づくようなものです。
修行は悟りのための道具: 修行そのものが目的ではなく、あくまで悟りのための手段です。しかし、その修行を通じて、執着や迷いを手放す準備が整います。悟りに至ると修行すらも自然に手放せるのです。
日常が悟りの実践: 悟りの境地に至った後は、特別な修行をしなくても、日々の行動がそのまま「道」の表現となります。例えば、掃除、料理、歩行といった日常の営みが全て仏道そのものになります。
執着を超えるとは?: 執着を超えることは「何も持たない」ことではなく、「必要な時には必要なだけ用い、不要になれば手放せる」自由を持つことです。
無為自然の生き方: 証道歌が教える最終的な悟りの境地は、「無為自然」というあり方です。それは、何かを意図的に操作したり、変えようとせず、自然の流れに身を任せることを意味します。ただし、これは安易な怠惰ではなく、修行の中で自分を超越して初めてたどり着けるものです。
まとめ
証道歌は、禅の悟りとその実践的な側面を詩的に描いた作品であり、そのメッセージは「本来の自己に戻る」というシンプルさに集約されます。その中には、修行、執着の手放し、日常の実践が大切であるという教えが凝縮されています。私たちも、日々の生活の中で自分の心を静かに見つめ、執着を少しずつ手放すことで、証道歌が示す境地に近づくことができます。
なぜこの詩が好きなのかと自分に問いました。その答えは、これって「老子」じゃないか、という感想が返ってきました。もちろん仏教の禅の境地を述べられているのですが、まさしくこれは「歌」ですね。冒頭の「絶学無為の閑道人」が私の理想です。
禅では、良寛さまのような人を指して「閑古錐(かんこすい)」という言葉が使われます。これは、使い古した錐の尖が摺りへって丸くなり、角もなく、無用なものとして捨てられ、忘れ去られた存在を意味します。
ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道
にゃんすいあん日記7日目
ちょうど一週間経ちました。
にゃんたち「ここビリー」は元気良すぎて、ついに90センチの杉板を乗り越えました。文字通り所せましと暴れまくってます。
しかたなく転落防止用のネットを縦に張りました。とほほ笑
もう完全に部屋と一体化しています笑
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