
禅の道(61)不便は便利?
不便こそが便利である
禅の生活において、「不便こそが便利」という考え方は、物事の表面にとらわれず、その本質を見極める姿勢を示しています。この哲学は、徳川家康の言葉「不自由を常と思えば不足なし」にも通じますが、物事の捉え方や感情の持ち方に留まりません。一見不便に思える状況が、実は人間の身体や精神にとって大きな恩恵をもたらしている、という深い洞察に基づいています。
椅子がない生活の例
現代の生活では椅子は当たり前の存在ですが、もし椅子がなければどうなるでしょうか?床に坐る生活を強いられるかもしれません。その結果、自然に正座やあぐらをすることになります。この姿勢を保つことで、腰や背中の筋肉が鍛えられ、体幹が強化されます。さらに、姿勢を意識せざるを得なくなるため、血流が良くなり、集中力も向上します。椅子がないという一見不便な状況が、身体にとっては非常に良い影響をもたらすのです。
手作業の掃除や草刈りの例
掃除機や草刈り機は便利な道具ですが、それがないと不便だと感じる人も多いでしょう。しかし、手で床を拭いたり、鎌で草を刈ったりする作業は、足腰を鍛え、身体を動かす良い運動となります。禅の教えでは、このような作業そのものが修行であり、心を落ち着け、集中力を高める方法でもあります。また、機械音がない静かな環境で作業することで、自然の音や自分の呼吸に意識を向ける時間が生まれ、心の平穏を得ることができます。
不便を便利とする禅の哲学
禅の生活における「便利」とは、身体や精神を豊かにする環境や行動を指します。現代社会では、利便性の追求が生活の快適さを高める一方で、身体や精神への負担を見落としがちです。しかし、不便な状況に身を置くことで、自分自身を鍛え、より自然で健康的な生き方を実現できるのです。
この考え方は、単に不便を受け入れるだけでなく、それを積極的に活用する姿勢を促します。不便さの中に潜む利点を見つけ、それを便利さへと転換することが禅の知恵です。
実践のすすめ
禅生活の哲学を日常に取り入れるために、以下のような実践を試してみてはいかがでしょうか。
椅子を使わない時間を増やす
座布団や床に坐り、正座やあぐらで過ごす時間を意識的に作る。手作業で掃除をする
拭き掃除を取り入れ、手や体を動かす喜びを感じる。自然の中で作業をする
草刈りや畑作業など、身体全体を使う活動を楽しむ。
これらを実践することで、不便な状況が実は自分を支えてくれる大きな力になることに気づくでしょう。
結論
「不便こそが便利」という禅の哲学は、一見不便に見える状況を、身体や精神の成長の機会として捉えることを教えています。不便な中にある本質的な価値を見出し、それを日々の生活に取り入れることで、より健やかで充実した人生を歩むことができるのです。
腰を落とす、これを「落ち着き」という。
ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道
にゃんすいあん日記31日目
おいかけっこのつぎは「かくれんぼ」
ビリーをみうしなったここがおにさん。
はこからでてきたところを、
み~つけた。。。
私が出張の時に長女が週に2日見てくれることになりました。
助かります。
今日は長女の誕生日。
おめでとう!