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禅の道(124)禅は情熱の元
情熱の本質
一昨日の夜からしっかりと休養をとり、昨日は心身ともに回復を感じたものの、いざ昨日の午前中は意外にもやる気が湧かないという経験をしました。そんな中、ふと心機一転を図るために、普段とは違ったアプローチを試してみることにしました。浴室に足を踏み入れ、熱いシャワーを浴びる――まさに「昼風呂」とも言えるこの行為が、冷え切った身体に温もりを取り戻し、同時に心の奥底に眠っていた情熱を再び呼び覚ましてくれたのです。
シャワーの熱さと湯気に包まれながら、私はタオル一本を手に取り、頭のてっぺんから足の指先に至るまで丹念に拭き取りました。その瞬間、身体だけでなく心までもが磨かれていくような感覚にとらわれました。贅沢な一人風呂のひとときは、まるで新たな自分を再発見する儀式のようで、洗い場や浴槽にまでそのタオルの手触りを伝えるたびに、内側から湧き上がるエネルギーを感じることができました。
その後、除雪や整理などの他の作業を進めながらも、ふと心に浮かんだのは「禅」という生き方の真髄でした。禅とは、特別な秘訣や複雑な儀式があるわけではなく、シンプルなエネルギーそのものに他ならないのです。ヨーガや気功、さらには波動といった他の方法と比べると、決して目立つものではありません。しかし、私が禅に生きるという実感は、まるで「柱の芯」のように、私自身の情熱と熱意を支え続けてくれる確固たるものです。
このシンプルでありながらも熱い禅の道は、私にとって唯一無二の生き方です。何も凝ったことを必要とせず、ただ自分自身を見つめ直し、内側から湧き上がるエネルギーを感じること。それこそが、情熱の本質であり、私がこれからも歩んでいく道であると確信しています。
自らを単に示す禅
ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道
雪は峠を越えた。今日やるべきことを前日までに鉛筆で紙に書く。ほとんどなぐり書きだが、大事なことは一字一字気持ちをこめて書く。鉛筆は不思議な道具で、まるで毛筆のように書ける。ボールペンとは違う。鉛筆をナイフで削るのは木彫りのよう。そういう細かな日常が熱意であり禅だ。