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禅の道(116)日課というよりやはり日記なのだという「気づき」
日記のシンプルな効用
私は、ほぼ毎日noteに記事を投稿しています。気が付けば、一年以上も続けているこの習慣は、もはや“日課”というより“日記”と呼んだほうがしっくりくるかもしれません。そんなに長く続けていると、ごくたまに過去の投稿に「スキ」を付けてもらうことがあります。最近書いたものならなんとか思い出せますが、ずいぶん前の記事になると「えっ、こんなこと書いたっけ……?」と驚くことさえあります。自分で書いた文章を忘れてしまうとは、自分でも「年を取ったなぁ」などと思ってしまうのですが、じつはこの“忘れること”にも予想外の効用があると気付きました。今日はそのお話をしてみたいと思います。
「昨日」と「今日のイメージ」を書く
私が記事を書く際に決めているルールは二つあります。
1つ目は「昨日あった出来事を書く」こと。
2つ目は「今日やることの抽象的なイメージを描く」こと。
なぜ「今日やること」をわざと抽象的に書いているのかというと、具体的な予定を書いてしまうと、自分を必要以上に縛りつけてしまうからです。実際、予定というものはしばしば変更されるものでもあります。そこで、具体的なスケジュールよりも「今日はこんな気分で過ごしたい」「こんな気持ちを持ち続けたい」といったイメージをふくらませるようにしているのです。そのイメージを自由に広げるために、好きな音楽のリンクを貼ったりもします。音楽を聴いていると、不思議とやりたいことが増えていくような気がするからです。
「昨日のできごと」の効用
昨日は、いつも利用している食堂で昼食を済ませたあと、何も買い物をせずに帰宅しました。本当は浴室の掃除をするつもりでしたが、会社員として提出しなければならない「週間報告書」の作成を優先しました。日曜日だからこそ、時間を気にせずじっくり仕事ができるという天邪鬼な部分が、子どもの頃から変わらないなと感じます。
子どもの頃の私は、日曜日になるとワクワクして、たとえ誰かに起こされなくてもパッと目が覚めていました。大人になった今でも「周りが休んでいるときにこそ集中して作業できる」という感覚は、あの頃の名残りかもしれません。こうして“昨日の出来事”を振り返って書いてみると、何げない日常の中にも、子どもの頃から変わらない自分の性質や、大切にしている価値観が隠れていることに気付かされます。
「命がけの愛」と今日のイメージ
今日の音楽として選んだのは、映画『ボディガード』の主題歌であるホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」です。
この曲は、私にとってとても印象深く、聴いていると当時の情景や想いがよみがえってきます。そして同時に、「私はこれまで、人のために命をかけて守ろうとしたことがあるだろうか?」と考えさせられます。身近な誰かを必死に守ることはあっても、「命がけ」という言葉を意識するほど真剣に向き合ったことがあるだろうかと。
そんな問いを自分に投げかけることで、今日という日が少しだけ特別なものに思えてきます。「誰かのために全力を尽くすこと」「守りたい相手がいること」に思いをはせながら、淡々とやるべきことに集中する。心の片隅にそんな“命がけの愛”をイメージとして置いておくだけで、一日の気持ちが引き締まるように感じます。
継続がもたらす予想外の恩恵
書き続けるうちに、意外なところに効用が出てきました。忘れていた過去の出来事や感じ方を、日記が思い出させてくれるのです。「こんな記事を書いたんだ」「この頃はこう考えていたんだな」と、まるで他人の日記を読むようにハッとする瞬間があります。それは、言い換えれば自分自身の小さな発見でもあり、成長の跡でもあります。
継続すること自体は、正直なところ面倒に感じる日もあります。しかし、少しだけでも書いておくと、後で振り返ったときに「そういえばこんな日もあった」と笑って思い出せたり、「あのときの自分が今を支えているんだ」と気付けたりもするのです。
日々を淡々と、しかし豊かに
今日やることを具体的に書かないのは、一見するとあいまいで生産的ではないように思えます。しかし、「今日こんなふうに過ごしたい」という気持ちをあえて言葉にしておくことは、不思議と行動のベースになってくれます。
例えば「音楽を聴きながら、しっかり集中して作業したい」というイメージを描けば、音楽を流して作業する時間を持とうという気になれます。そして実際に行動しながら「命がけで守る愛」とはどういうものかを胸に問いかけることで、人生の些細な出来事さえも特別な視点で捉えられるようになります。
大切なのは、書くことによって日々の営みを「整理」し、なおかつ「イメージをふくらませる」こと。私にとって日記とは、自分を拘束する「予定表」ではなく、昨日までの自分を振り返りながら今日という日をのびのびと生きるための「助走装置」のような役割を持っています。
さいごに
一年前の私と、今日の私。日記を読み返すと、そのあいだに確かな変化と「気づき」があることに気付かされます。ほんの些細な出来事でも、書きとめておくと後からのちのち「効用」を実感できるものです。
「I Will Always Love You」のフレーズが胸に響くように、日々の書き込みが未来の自分へメッセージを送るかのように。今日もまた、昨日を振り返り、今日はどんな気分で過ごそうかと考えてみる。このシンプルな作業を続けることで、何気ない毎日が少しずつ特別な意味を帯びていく――。
そんな感覚を大切にしたいからこそ、私は今日も日記を書き続けるのです。
淡々と力強く。
ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道
今年の五月五日に、孫(長男の長男)に、ここに鯉のぼりを上げて祝ってあげたいと思った。それまでは死んでも死にきれない。そういう覚悟もあって写真を撮った。ちょうど池の漏水調査に掘ったときの穴がある。これを利用して鋼管を立てて、滑車を使って…。
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