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禅の道(64)ありがたき幸せ
有難き幸せ
朝目覚めたとき、健康な体で目を開け、今日もまた一日を迎えられる。これほどの幸せが、ほかにあるでしょうか。日々の暮らしの中で、つい忘れてしまいがちなこの事実に、改めて気づくことが「禅の道」の最初の一歩で最後の一歩かもしれません。
「有難い」とは、文字通り「有ることが難しい」という意味です。この健康な体で、自由に動けることも、今日の食事をいただけることも、寒さを凌ぐ家があることも、当たり前ではない奇跡の連続です。それに気づいたとき、私たちは自然と感謝の念を抱くでしょう。
禅の道に生きる
禅の道は、こうした感謝の心と深くつながっています。今、この瞬間に生きること。一つひとつの行いに集中すること。日常の中にある「当たり前」の中に、幸せの種を見つけること。それらが禅の核心です。
たとえば、禅寺での朝の作務(掃除)や食事の作法も、ただ単に形を守るだけのものではありません。掃除をするときは、ただその作業に集中し、無心で磨きます。食事の際には、目の前の一口に全身全霊で向き合います。これが「今ここに生きる」ということです。
健康と不自由のなさに感謝する
現代の私たちの日々は、便利さと豊かさにあふれています。しかし、それに慣れすぎると感謝の気持ちを忘れ、足りないものばかりを数えるようになりがちです。けれども、一度立ち止まって、自分がどれだけ恵まれているかを見直す時間を持てば、心が満たされることを実感するでしょう。
何かを手に入れることよりも、すでに与えられているものに目を向けること。それが禅の教えでもあります。
ひとつのことに集中する
「一所懸命」という言葉があります。一つの場所で命を懸ける。日々の一つひとつの動作、仕事、会話に全力で向き合う姿勢が、この言葉には込められています。
禅の道では、何か特別な修行をしなくても、普段の生活がそのまま修行の場となります。たとえば、洗濯物を干すとき、スマートフォンを触りながらではなく、風の音を感じ、日差しの暖かさを味わいながら行う。そうするだけで、その瞬間が特別な時間に変わります。
有難き人生を素のままに
私たちの人生は、どんなに複雑に見えても、実はとてもシンプルです。生きているということ。それ自体が最大の贈り物です。この「有難き幸せ」を、毎日少しでも感じながら、素のままに生きる。見栄や欲望から解放され、ただ自分らしく、今ここに生きる。それこそが禅の目指す生き方です。
今日一日を過ごすとき、ふと自分の手を見てみましょう。その手が自由に動くこと、息を吸えること、目の前にあるものが見えること。それだけで、私たちは十分に幸せです。この幸せを当たり前と思わず、日々を丁寧に生きる。それが「禅の道」の生き方であります。
この記事は今朝「東司(トイレ)」でしみじみと感じたことを書きました笑
どうぞ、今日の「有難き幸せ」を心から味わってください。
ありがたや太くて長い黄金色
ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道
にゃんすいあん日記34日目
にゃんすいあんの入口は風除室。
私がトイレをそうじしていると、
ふたりは出してくれとせがむ。
暗い中で、ますます見えにくい。
ここは新天地への出入り口。
ここであそぶのが大すき。