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禅の道(91)月を見つめて

月を見つめて
今朝の夜明け前、ふと空を見上げると、下弦の月を少し過ぎた姿のお月さまが浮かんでいました。その月を見ていると、これまでの人生のさまざまな場面が思い起こされます。たとえば、子どものころに親に叱られて涙ぐみながら見上げたにじんだ月。青年のころ、志に燃えて瞬きもせずに見つめ続けたまばゆい月。大人になってからは日々の忙しさに追われ、月に目を向けることが少なくなってしまいましたが、中年を過ぎてからは、親しい友人と語り合いながら月を見上げることが増えました。そして近年では、お天気が良ければ、できるだけ空を見上げて月を確かめるようになりました。

こうして振り返ってみると、月とは不思議なものです。どんなときでもそっと私たちを見守ってくれているようにも感じます。そしてこの「月」という存在は、禅の世界でも深く語られてきました。

禅の言葉に「一輪明月照禅心(いちりんめいげつ しょうぜんしん)」というものがあります。一輪の明月とは、美しく澄み切ったまんまるの満月のこと。そして「禅心」とは、煩悩や邪心が入り込む余地のない、釈尊の教えのように澄み渡った心境を指します。
澄み切った美しい月の光は、暗闇をやわらかく照らしてくれます。道に迷った人にとっては道しるべとなり、心に悩みを抱えている人にとっては癒やしの光にもなるでしょう。まるで、何も言わずとも私たちの苦しみや悲しみをそっと受け止めてくれるかのようです。

さらに、私たちが住む地球と月の関係に思いを馳せると、月が地球にいつも同じ面を向けているという事実に深い洞察を得ることができます。地球は太陽の周りを公転しながら自転を続けており、その地球をまるで親のように見守るかのように、月は常に同じ顔を地球に向けています。たとえ私たちがその存在を忘れていても、月はいつでも変わらずそこにあり、やわらかな光で見守り続けてくれるように感じられるのです。

月を見つめながら人生を振り返るとき、私たちはさまざまな思い出や感情と向き合うことができます。子どものころの泣き顔、青年のころの熱い思い、大人になってからの忙しさ、そして友人と語り合った夜の穏やかな時間。どの時代も、月は同じように光り続けてきました。そんなことを思うと、月の存在が私たちの心を照らし、癒やし、導いてくれる大きな力を持っていることを、改めて感じずにはいられません。

世の中は日々変化し、私たち自身も年齢とともに変わっていきます。しかし、夜空に浮かぶ月の変わらない姿は、いつでも静かに私たちの心と向き合うきっかけを与えてくれます。忙しさや悩みの中でも、ふと夜空を見上げて月を見つめてみる。すると、禅の言葉が教えるように、澄んだ心のありように少し近づけるかもしれません。

ぜひ皆さんも、夜空に月が浮かんでいるときは、ふと立ち止まって眺めてみてはいかがでしょうか。月が照らす穏やかな光の中で、自分の心を見つめ直す時間が、意外にも大きな安らぎと新たな気づきをもたらしてくれるかもしれません。

桂月ひとり蒼天にかがやく


ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道


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