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禅の道(123)政治と禅

政治と禅という、一見するとかけ離れた二つの世界。しかし、私にとって禅とは、単なる宗教ではなく「生き方」であり、日々の実践そのものです。私が政治に関心を持つのは、どんな人も自分の信じる正義のために行動しているという現実があるからです。けれども、ここで「政治と金」の問題に触れる余地はありません。なぜなら、それは既に「仕組みの問題」として、私自身が議論に加わるべきではないと感じているからです。

政治という舞台では、各々が自らの主義主張を抱き、党派を超えて、また無党派としても、己の正しさを信じながら活動しています。その結果、考えがまとまる時もあれば、衝突する時もあるでしょう。これこそが民主主義の証であり、国民一人ひとりの思いが集約された結果だと思います。私自身は、ただ遠くからその様子を見守るのみで、禅の道としては、政治に口出しすることは控えています。悪政があれば、必ず時が来ればそれは滅びるという、自然の摂理のようなものだからです。

もちろん、私も個人としては一票という小さな力を持ち、その一票を大切にしています。今、田舎の寺が投票所であるその光景は、私にとって禅と政治がいかに遠いものに見えても、決して無関心であってはならないという、現実の示唆でもあります。禅の道は、世俗の喧騒に巻き込まれることなく、ただ静かに、自分自身の内面を見つめることを促します。そして、その生き方の責任は、やはり自分自身に帰していきます。

このように、政治と禅は互いに別個の領域として存在しながらも、私たちが生きる社会の中で共に歩んでいると感じます。政治は多くの人々の意志が結集して作り出される結果であり、禅はその一人一人の生き方の根源として存在しています。私の立場はただ、遠くからその動きを見守りながらも、自分自身の生き方を静かに、しかし確固たる意志で歩むというものです。

自分自身の政治責任


ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道

昨日の日中はお天気に恵まれ朝から除雪に精を出した。ユンボを動かし、ゆっくりと排土板で雪をかきわけていく。これはもはや快感である。陽ざしのおかげで雪をさわった部分は静かにとけていく。車のまわりや敷地内はスコップで雪のけ。寒さを忘れた。今朝はさらに20センチ降り積もっている。今日からは寒波が去るようだ。もう一日の辛抱。春がたしかに近づいている。

春よ、来い。


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