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禅の道(88)山河とサンガ
――空(くう)の広がりに生かされて――
琵琶湖の北西に位置する滋賀県高島市マキノ町。四季折々に表情を変える山や湖の景観が、時に優しく、時に厳しく、私の心身を育んできました。ここで余生を静かに過ごすつもりでいますが、ふとした瞬間に、愛する人々のことを想うのです。もうすでにあちらへ旅立った方もいれば、なお元気に活躍されている方もおられます。振り返れば、人生は出会いと別れの連続でした。
しかし、この繰り返される出会いと別れの一つひとつに、自然の大いなる働きを感じてやみません。挫折や失敗、病気やケガといった苦しい出来事も含め、あらゆる経験が私を支え、鼓舞し、導いてくれました。相手に直接お返しすることが叶わなくとも、これまで受けてきた多くの恩に報いるための行動はできるはずだ――今、そう強く思うのです。最後のときを迎えるまで、ほんの少しでも世のためになる道を歩んでいきたい。その思いが、私をこの山里で突き動かします。
そんな私と友人とで、小さなサンガ(僧伽)を立ち上げました。田舎の山小屋に設けた参禅堂が、その拠点です。ときどき訪れてくださる方々と、仏教の話をするのが何よりも楽しみ。都会の喧噪から離れたこの地だからこそ、自然の息遣いに耳を澄ませ、自分自身の内面をじっくりと見つめることができます。変わりゆく季節の風景が教えてくれるのは、すべてが他から切り離されて存在しているわけではないという「空(くう)」の真理。自分だと思っているこの身や心でさえ、数えきれないほどの条件が合わさって“今ここ”にある。山も河も、そして人も、どこまでもつながっています。
そうした仏法のエッセンスを、私自身は自然のなかで肌で感じています。森のざわめき、湖面を渡る風、夕暮れに赤く染まる遠い山並み。そのどれもが私という存在に不可欠な要素であり、互いに影響し合いながら流れているのです。「あなた」と「わたし」が別物であるように思えて、実は根底のところで溶け合っている。不思議ですが、そういうものなのでしょう。
10年ほど前から、小椋佳さんの「山河」という歌をよく口ずさみます。そのメロディと歌詞が、まるで自分の人生を投影したかのように胸に沁み渡るのです。山河に抱かれながら生きる喜びと、それに伴う儚さ、そして感謝を、歌がすべて代弁してくれるかのよう。一人の夜、山間から満天の星を仰ぎながら静かに耳をすますと、心の奥底でこの歌が響き、私を優しく包んでくれます。
人は自然の一部であり、また自分を取り巻く縁に活かされています。時を経て歳を重ね、さまざまな経験をとおして、私はようやくそれを実感しているところです。願わくば、あとどれほどの歳月が残されているかは分かりませんが、この恩を一歩ずつ、世のために返していきたい。私がこうして静かに山里で暮らし、山河に溶け込みながらサンガを守り続けることも、その一つの形だと思います。
いつか、あなたがマキノの山小屋を訪ねてくださったなら、きっとこの風景が心に染み渡るでしょう。そして参禅堂でともに坐し、仏法を語りながら、お互いの人生の糧を分かち合うことができたら――それほど素晴らしいことはありません。山河とサンガの大きな空のもと、縁ある全ての存在に対し、私たちはみな深い感謝を捧げて生きていきたいと思うのです。
山河は「サンガ」そのもの。
ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道