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社会不適合者

社会不適合者という言葉が使われて久しい今日この頃、何気なくYouTubeを観ていたら『社不』という言葉と出会った。

社会不適合者の略称のようなのだが、今はそれほど当たり前に使われる言葉になっているんだなと実感した。

僕の感覚で言うと、世の中には社会不適合者のふりをしてる人と、実際に社会不適合者の人間がいる。

だがそもそも社会不適合者というのは、日本の資本主義社会に合わないだけの可能性が高いと思っていて、例えば海外へ行けば自分に合う社会が見つかるかもしれない。

つまり、僕は社会不適合者という言葉が嫌いだ。

しかしここで言っておきたいのは、一般的に社会不適合者を嫌ってる人が個人の努力不足や甘えだと捉えてるのに対して、僕はそういう言葉で弱者面して徒党を組んでるところが嫌いということだ。

僕は小学5年生ぐらいで会社勤めてが出来ない人間だと自覚し、他の道を模索し始めているので、いわゆる社会不適合者の気持ちを多少は想像することができる。

一般的に音楽で生計を立てようとしたら、食えるようになるまでアルバイトなり何なりでお金を稼ぐ必要があるというのは想像がつくと思う。

世間の人はこういう人に対して「夢を追ってる」と言うのだが、社会不適合者視点で言うと「そのアルバイトができないから音楽をやってるんだよ」という風になって、夢という言葉で括られるのが腹立たしく思うようなことがある。

もちろん皆んなが皆んなそうではないと思うけど、少なくとも僕はずっとそう思っていた。

さっき社会不適合者のふりをする人と書いたのは、例えば働くことはできるけどダルいからやらないみたいな人で、世間的にはクズとかヒモとかそんな感じで呼ばれている。

社会不適合者はクズではなく、今の世の中の仕組みと合わない、合わせられない人のことだから、やれるのにやらないとか、弱い立場の人を利用するような、人としてどうなのよって奴がクズなのだ。

今回、普段扱わないようなテーマを書いてるのは、自分自身が社会不適合者なのか、クズなのか分からなくなったからなのだ。

根本の部分として、フルタイムで週5日働く生活を何年も続けるというのは、僕からしたら常人とは思えない精神力を持ってると感じるので、いわゆる社会不適合者の思考や感覚に近いとは思う。

ただ、どこの職場に行っても仕事が出来る側に入れたり、人間関係やコミュニケーションも問題なく対応できている点が、社会不適合者の特徴と合致しない。

恐らく、学生時代に虐待やイジメを経験していて、「自分がしっかりしないと生き延びられない」という危機感を持って過ごしてきたことが影響して、生き延びる能力が育ったと考えられる。

それに加えて、保育園の頃からお遊戯会で主役に選ばれたり、学級委員に推薦されたり、なぜか真ん中に立たさせて来たというバックボーンも持ってい
る。

18歳から1人暮らしをして、自分が中心で現場を仕切る立場になったから、誰かの下について働くというフェーズをほぼ経験したことがないのだ。

その上、18年間虐待を受けて、我慢や気遣いを散々やってる反動もあるから、これからの人生でもそれを繰り返すのが馬鹿らしいと思ってしまっている節がある。

つまり、自分が中心に立ってきた経験と、今の社会の仕組みに合わない性質が相まって、クズになってるのではないかと感じている。

高校生の頃に自己分析した結果、「自分はどこにでも合わせられて、どこにも馴染めない奴だ」というのがわかった。

僕が楽しく毎日を過ごすには、第一に馴染める場所が必要で、それが常々言ってるパートナーや気を許せる存在に繋がる。

その過程で解決しないといけないのが、合わせようと思えば合わせられるのに合わせない自分だ。

いわゆる普通の人みたいに働くことに何度も挑戦してみたが、会社組織というものがどうしても虐待やいじめを受けてた頃に似ていてしんどくなる。

愚痴や悪口、噂話も大嫌いだから精神的に参る。

そして、何より自分の最大の能力が適応力や順応力なので、誰でもできるような仕事はすぐに飽きてしまうから長続きしない。

当然飽きてきたらその仕事の中で面白がれる場所を探して深掘りするんだけど、延命しても基本は半年から1年で離職してしまう。

自分は気を許せる存在を求めていて、お金を稼ぐことに興味がないから、生活のために働くという最後の砦であるはずの感覚すら発動しない。

毎回半年ほど休職して引きこもると、活動的になってくるので仕事を再開しようと思えるのだが、正直もう興味がある職種でやってないものがなくなってきているから、中々仕事が決められないでいる。

こうして文章を書くことが没頭できることな気がして、毎日書いているけど、これが仕事になる未来はあまり見えていない。

それに、そもそもお金のことを考え出すと雑念で思考が変な方向に向かうから、今はなるべくそういうのを排除するようにしている。

今はただ、自分が普通の人になれないことと、特別な人じゃないことだけを手がかりに過ごすだけだ。

僕は小学生の頃から信じてることがあって、「虐待もいじめも、笑い話出来た瞬間それは武器になる」ということ。

虐待とかいじめって、現代の日本では比較的多く起こってはいるけど、それでもやられる側がやる側より増えることはないはずだから、武器にしてしまえば貴重な体験をした人材になれる。

ここまで話してきただけでも僕にはたくさんの武器があって、むしろありすぎるが故につかみどころのない人間になってしまっている感すらある。

でも武器にしようと研いでいたから、矛盾する部分がたくさんある性質も、ある種の一貫性を持って説明することが出来ている。

僕は自分の主張を聞いて欲しくて投稿してる訳じゃなく、もっと上手く自分を乗りこなして、楽しく暮らしたいだけなのだ。

この記事が誰にも見られなかろうが、仕事やお金を生まなかろうが、社会不適合者だろうが、クズだろうが、俺は俺でいるしか出来ない。

俺がずっと周りに助けてもらえてたのは、どこに馴染めない分、ずっと中立でい続けたからなのかもしれない。

これからはどこにも馴染めないことさえも、武器にしてみようと思う。

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