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人生右肩上がり

僕は自分の人生が、緩やかではあるが確実に右肩上がりに進んでいると思っている。

幼少期はいわゆる普通の家庭で育った父と、家族として機能してない家庭で育った母の元に生まれ、少し寂しかった記憶はあるものの基本的には可もなく不可もない生活だった。

小学校入学前に両親が離婚したことをきっかけに母子家庭となり、家庭環境も学校生活も基本的には変わらず可もなく不可もなく過ぎていった。

ただ、放課後学童で他の子が友達や家族と楽しそうにしてる姿を見る機会が増える一方で、僕は友達もいないし、年に一度父親との面会日で家族が揃う空間も息苦しすぎることに困惑していた。

小学校4年生で学童をやめてからようやく友達と遊びに行くようになった頃、母親は僕の行動を制限したり暴力を振るうようになった。

同時期にミニバスをやってた男女を中心に軽いいじめのようなものを受け始め、学校でも浮いた存在みたいになっていった。

それでも自分が外の世界を知らなかったことを知れた時期でもあるし、先生方からは演劇の主役や学級委員に推薦されるようなこともあったから上がってると思えるのだ。

中学生になると治安の悪い隣の小学校の人達の影響もあっていじめは加速し、母親の暴力やネグレクトも加速した。

中学2年のときに初めて死にたいと思うほどの絶望をしたけど、それが逆に自分がどんな人になりたいとか、何を大切にしたいかに気づくきっかけになってるのでまた少し上がってる。

高校では奥さんにしたいと思う人と出会って、一瞬ではあったが王道の青春を過ごすことができたし、ずっと親の顔色を見て過ごしてたから初めて自分の気持ちと向き合うことも出来てよかったと思う。

高校2年生の夏休みに家出をしたことをきっかけに僕が引き下がらなくなったので、家庭環境は悪化して高校生活はバッドエンドを迎えたから、大事な学びを得たと思うしかやりきれないという側面もあるのだが、それでも自分の人生の明確な指針になってる原体験みたいな部分がある。

ちなみに自分は、「今ネガティブな要素も将来笑い話したら武器になる貴重な体験なんだ」と、中学生のときたくさんの音楽や芸人さんの姿を見て思うことができただけであって、根っからのポジティブ人間ではない。

ここは現在発信してる理由に直結してる部分なので、最後まで読まない人もいるだろうからこのタイミングで伝えておく。

高校卒業後は担任の紹介で地元から飛行機と新幹線を乗り継いでような場所の専門学校に進学した。

住み込みで働きながらの学生生活はシンプルにしんどかったし、奥さんにしたかった人との別れで傷心してるところに関わりたくない親からの執拗な連絡が来て、とにかくずっとイライラしていた。

でもほとんど不登校で仕事だけしてたので、自分の将来について真剣に考える時間としてある意味モラトリアム的に使えたのでよかったと思う。

それこそ先輩がご飯に連れてってくれたり、同期や後輩と遊びに行ったり、たぶん人生で1番多くの人と関わってた時期で、人と繋がる喜びとか自分の存在に少し自信を持てるようになったりとか、変な言い方だけどこの期間のお陰で人間に近づけたとすら思う。

そのあと専門学校を一年で中退して、半年間お金を貯めて上京しました。

当時、高校のとき奥さんにしたかった人に、「水上はどうしたいの?水上がどうしたいかでしょ」って言われたのがずっと頭にあって、その人に対しては本意とは違う行動をとって後悔してたから、もう間違えたくないないなって思ったんです。

この頃から【自分にも他人にも誠実であること】ってルールを設けてて、気持ちに素直に動くようにしてたらホントに少しずつですが徐々に行動力がついていきました。

20歳〜24歳は東京で学生やフリーターとして生活して、色々な出会いや別れ、自分の未熟さみたいなことのツケが回ってきた感じがありました。

このまま情けない生活を堂々巡りしてるのが嫌だなって思って、常々言われてきた人に甘えるとか頼ることを覚えようと意識し始めて、母方の祖父母の家に居候させてもらうことにしたんです。

そのタイミングで地元に戻ったんですけど、やっぱり地元は10代の頃の記憶があるんで全然楽しくないし、自身のやりたいことを実現するために発信力が必要なことはわかるけど外の世界と関わらないことで身を守ってきた人間だからSNSもどうやっていいか分からず苦戦しました。

地元に戻るとやっぱり奥さんにしたかった人に会いたくなるんですよね。

なので返事なんて来ないと思いつつお手紙を書いて送ったら、その子のお母さんから連絡が来て、それだけで凄く気持ちが楽になった感覚がありました。

自分ではもう解決した問題だと思っていても意外と引っかかってることもあったみたいで、この後から何事に対しても挑戦してみようという気持ちが強くなったんです。

ちょうどその頃に右目が見えなくなって手術を受けたんですが、そのときにお世話になってた看護師さんがホントにいい人で、高校の頃に奥さんにしたいなと思った感覚と同じのが来て、こういう気持ちにまたなれるんだって言うのも嬉しくて、未来に期待と言うと変ですが、ワクワクする感覚を初めて知りました。

そこからは通院しながら発信に対する試行錯誤の期間に入るんですが、その間に働かないから生活保護を受けることになったり色々ありました。

そんなこんなで今は、自分の理想の環境を整えていくような感覚で発信活動をやっております。

正直毎日楽しい満ち足りた生活ではないけど、未来に全く期待できなかった頃や、他人も自分も信用してなかった頃、生きてる意味ないしなって抜け殻みたいな生活だった頃を経て考えると右肩上がりだなと思うんです。

今のゴールは真駒内アイスアリーナでLIVEをすることですが、これは右肩上がりのわかりやすい指標なだけで、別にこれがない人生でも右肩上がりだと僕自身は思えます。

大切に思える人とのんびり暮らせたら僕は幸せなので、ある意味死に物狂いじゃないから応援する気にならないかもしれません。

でも20代後半になってエンジンにできるほどの劣等感なんて持ち合わせてないし、どんな手段を使っても叶えたい夢もない。

30代になる前に実績というか、具体的な生活基盤を作りたいって思いはあるけど、自分自身のトリセツに死ぬ気で頑張れなんて書いてないし、それでもここまで右肩上がりでこれてるって思っちゃってるんですよね。

もちろんそんな自分が本気出したらどうなるのかに興味はあるけど、本気を出せる環境、例えばサポートしてくれる仲間とか応援してくれる人達がいないとやりたいことのアイデアに手数が追いつかないので難しいと思ってます。

なのでこれからもゆっくり右肩上がりで終わっていけたらいいなと思います。

もしもどこかで何かビッグバン的なことが起こってもそれはそれで楽しくなりそうだなと思うので、自分のフォームを崩さないように継続して行くことだけできてれば大丈夫かなって感じです。

とりあえず今は1年間note投稿してみるの最中なので、1年後に生活が全く変わってない可能性は全然あるけど、継続することができたらそれだけ成長ということで僕はこれからも気ままに頑張ります。

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