(平穏+ワクワク)×人=幸せ
ふと浮かんだ公式は平穏×ワクワク=幸せだった
私にとって平穏は1番求めてるもの。誰にも脅かされない。侵されない。心穏やかな時間が欲しい。子供の頃からずっと変わっていない大事なこと。
放課後家に帰ると誰もいなくて、親が仕事から帰ってくるまでの2時間だけが楽しかったのを今でも鮮明に覚えている。
1人暮らしを始めてある程度自分の時間、自分の空間を確保出来るようになるとそれが退屈になってきた。ワクワクを求め出したのだ。
枯渇していた平穏が満たされたことで、+αの欲求が生まれんだと思う。
これは有名なマズローの理論の図で、最下層は生理的欲求として食事や睡眠、排泄と言ったものが並んでいる。それらを満たすと次いで安全の欲求として家やお金が例として上がっている。
私は入院した際、生理的欲求を満たす行動が自由に取れない状況のイライラがどれほどのものかを肌で感じた。そして当たり前への感謝を強く持つことができた。
先進国と呼ばれた日本においては生まれた時点でこの2つが満たされてるので、子供が持つ悩みが3段目の所属や愛の欲求である場合が多いと仮説が立つ。
満たされた要素を省みることはなく、満たされてない要素のその先は求めないし問題意識も湧かない。
マズローの理論の階段を見ると、夢を見たり何かに憧れられる人はそれだけで充分恵まれていると感じる。
マズローの理論は承認欲求の種類の話が面白いので知らない人は調べてみて欲しい。
今回は私が安全を脅かされることに恐れていて、上位の欲求を目指せないことに触れるために出しただけなのでこの話はここで終わりにする。
ワクワクとは
平穏が何かを書いてきた上でワクワクの話がしたい。
最近ふと、夢や憧れという言葉をバカバカしい、恥ずかしいと思わなくなったと感じるときがある。
「夢や希望を与えたいなんてお気楽でいいよな〜」と拗ねてた子供の頃の自分はさぞ驚くだろう。
10年前の私に伝えたいのは、相変わらず熱中や情熱の類には納得してないことだ。
安全の欲求が満たされたとき、君は幸せだと感じたはずだ。しかし君は幸福のMAX値を一瞬だけ経験していたせいでそれをゼロと認識した。
ゼロを10・20と増やすにはリスクがあり、マイナスに落ちる危険性もある。だからずっとゼロを保つための言い訳をして逃げた。
それは賢い判断でもあり、愚かな判断でもある。
生理的欲求と安全の欲求が満たされていればゼロだとすると、挑戦をして何か失っても君はずっとゼロのままだ。
つまりゼロに+αの楽しいことを上乗せするのがワクワクということ。
平穏にワクワクが加われば充分に楽しい人生になる。しかしそれではあの日体験したMAX値を叩き出すことはできない。だから逃げてたんだろう。
けど、0か100かじゃなくていい。10でも80でも0より楽しい人生になる。だからワクワクに手を伸ばしてみてくれ。そしたら幸福のMAX値に届く日が来る。
あの日君は好きな人同じ空間を共有して、彼女とだからMAX値を出せたと勘違いしているはずだ。
しかしそうではない。
アレは人と人との連なりで起こる現象。ワクワクが伝播して生まれる空間。君はその一端を見たことがあるだろう?
音楽のライブを初めて生で観たとき。1万人の観客が楽しそうにしていた光景。あれはワクワクが伝播して生まれた調和の空間。
間違いなく全員が赤の他人だったはずで、それでも皆んな楽しそうに見えたから、こんな風に笑顔を作れる人になりたいと思ったんだろ?
だから改めて伝えたいことは、君が楽しい人生を生きるなら平穏+ワクワク、君が幸せな人生を生きるなら(平穏+ワクワク)×人なんだ。
さぁ、君はどう生きる?
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