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私が思う調和は"みんな仲良し"ではない

多様性という言葉が使われて久しい昨今ですが、僕は絶妙に都合のいい解釈で使用してる方も多くいるように感じます。

居場所や心の拠り所というのは誰もが求めてるものであると同時にそれを手にしてる実感が非常に得ずらいものです。

その反面、喪失感や疎外感というのは敏感に気付いてしまう人が多いため、多様性や調和という言葉を使って自分を肯定しない存在や社会へ半ば攻撃的な自己防衛として使われているような気がします。

それを私は寂しく思います。

一般的な多様性や協調性はみんな仲良しという解釈に近い気がしていて、人類みな兄弟的な感覚を持てるのはある種常軌を逸した経験がないと難しいと感じます。

私はもっとカジュアルな感覚で多様性を捉えていて、例えるなら学校の教室のようなものです。

休み時間の教室には複数のグループが出来ていて、それぞれが盛り上がっていたと思います。みんなで一緒じゃなくてもその空間にいる人がそれぞれで楽しければトータルでハッピーというのが心地よい調和ではないでしょうか。

インターネットが発達した今はとてもこれに近い状況にあると思いますが、この調和を実現するにはひとつ大きな障壁があります。

それは別の盛り上がってるグループを攻撃する人の存在です。

休み時間の教室でBグループが盛り上がってて、それを気に食わないAグループがもし攻撃し出したらその瞬間教室全体に緊張感が走ります。

隣の芝はなんとやらとも言いますが、大きく見れば国もそうです。隣の国が気に食わないからと攻撃し出したら世界全体の均衡が崩れます。

調和や多様性と言っていきなり受け入れるとか認めるなんて難しいことをしようとせずに、まずは攻撃しないことから始めるべきです。

与えるのが難しいなら奪わないこと。プラスじゃなくてマイナスを減らすことから始めるんです。

それは自分自身にも言えることだと思います。

心の不足分を数えるとずっと満ち足りない感じがするので、他人と比べたり自分探ししたりするのはやめましょう。きっとそれが自分から幸せを奪ってます。

私は1年前から子供の頃より子供らしくを意識して生活してますが、これまでと比較にならないほどワクワク感があって楽しいです。

もちろん取り巻く環境は何も変わってません。

ただないものを数えずに小さくてもワクワクするものを選ぶようにしてるだけです。

だから私の世界は平和なんです。

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