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昨日の捨て方|時間は有限である
組織で仕事をしていると単発の会議だけでは結論が出ず、その会議を定例に設定して議論を毎週続けることがあります。
この会議を予定管理ツールでルーティーンの登録をすれば、忘れることなく参加することができ、次第に参加者もその会議への参加が習慣化することになります。
定例会議によって参加者たちは毎週行うべき仕事の相談や確認ができるようになり、安心して仕事に取り組むこともできて、尚且つアイディアが生まれ生産性が高まるかもしれません。
しかし、こうようにして会議を設定していくと、やがて会議の数は増え続け、次第に社員の労働時間が圧迫されるようになってしまいます。
そうなってしまった時には、もうその会議が本来の役割を果たしていないことが大半です。多くの人件費がその会議に浪費されることになってしまいます。
そのため、組織で働くうえでは、時には「昨日を捨てる」決断をする必要が出てきます。新しいことを始めることは大切ですが、それと同時に過去に実施していたことを意識的に辞めなければいけません。時間は有限なのです。
それにより組織の新陳代謝は高まり、手にした時間を使って創造的で生産性の高い仕事ができるようになります。新しいことを生み出すのと同じくらい昨日を捨てることは大事なことなのです。
これは仕事において常に意識していたことではありますが、よくよく考えてみると個人の生活においても「昨日を捨てる」ことは必要だったことに気づきました。
僕は最近になって、こうしてパソコンを使って文章を書く機会が増えたのですが、その分10年以上前から続けていた手書きの日記を書く習慣が時々途絶えてしまうようになってしまったのです。デジタルとアナログの二刀流は難しいものなのです。
しかし何年も続けてきた手書きの日記を辞めるわけにはいかないので、その他に続けている別の何かを辞めることにしています。
今まで毎朝必ず豆を挽いて淹れていたコーヒーを辞め、紅茶に変えてみることにしました。ポットに茶葉を入れてケトルで沸かしたお湯を注ぐだけで済むので作業量が格段に減りました。
また、ジョギングや筋トレもやっていたのですが、これも寒い冬のうちは思い切って辞めています。この浮いた時間があればじっくりと文章を書くことが可能になります。
コーヒーは外出先でたまに飲めば良いし、ジョギングや筋トレも季節が暖かくなったら自然と体を動かしたくなるはずです。その時にはまた別の何かを辞めればよいのです。
たくさんのことをできるようになろうと必死になるだけではなく、「昨日を捨てる」ことで自分にとって本当に必要なことを選べば、それだけで案外満足のいく暮らしができるようになるものだと思います。