Life or Work
二階に眺めの良いプールがある。そこが気に入ってそのホテルを選んだ甲斐もあり、常夏のビジネス街、しかも平日を借景に愉しみながら、程よく空間の空いたプールで浮力を感じていた。
河を挟んで対岸にはオレンジ屋根のバーやレストランが夜の準備に忙しい。
肩にしがみつく一歳になる我が息子さえいなければ、優雅といってさえ良いシチュエーションに洋三は、暫くここに居ても良いかなとさえ感じていた。
最近出来たてっぺんに蓋を乗せた三本ドミノの様なホテルが大人気で、しかもてっぺんの蓋の部分はプールになっているらしく、更にしかも宿泊者のみが使用できるとなれば、気になってないと言えば嘘になるのだが、折角マレー半島の先端まで来て、市民プールのような混雑に会いたくないという理由でこのホテルを選んだのだった。
妻の真帆はそのドミノホテルに泊まれない事に当初不満があったようだが、毎晩、数度にわたり繰り広げられるドミノホテルのレーザーショウが、実は対岸のこのホテルからが絶景なんだと説明すると、富士山の美しさは富士山に登ってしまうと解らないもんねと、自分なりに納得して矛を収めてくれたようだった。
今はホテルのスパにこもって修行中である。必然的に息子の世界の世話係は洋三にふられる事になったのだ。
あばばとしか言わなかった世界も、最近でははっきりと意味のある言葉を話し始めているので、実は退屈しないのだが、同時に歩行も達者になりつつあるので、本当に眼が離せない。
取材旅行という名目で子育ての緊張から開放される筈が、逆に家族サービスにウエイトが傾きつつある事に、被虐的な悦びを感じていた時、ふと気付いた事があった。
今日はウィークデイのど真ん中である。暦の上でも特に特徴の無い日時にあたる。
しかし注意してみると日本人の姿が多く見られるのである。ここは金融や貿易で生計を立てる都市国家だから、その事自身は不思議ではない、寧ろ極ふつうの事である。
その大半が家族連れでさえなければ……。
グローバル化、円高、国を挙げての観光事業の強化。それも理解できる。でもそれにしてもここまで日本人が休暇を採れるようになったんだなと感慨深いものが湧き上がってくる。
人生か?仕事か?そんなチョイスが無意味であると、洋三のような自由業なら臆面も無く言える。でも二昔前、ワーカホリックと揶揄された日本人が、決して景気も良く無いのに、こうやって余暇を家族と過ごせる。なんなら休まないと会社から怒られる。
自分の感覚が、組織に所属している人達とギャップがある事に、一種の後ろめたい愉悦を感じていた筈なのに、恥ずかしくも自分は取材旅行と言い訳までして家族のご機嫌を伺っている。
プールで泳いでいた洋三は、ここが世界の全てだと信じ込まされている、生涯金魚鉢を出ることが無い金魚と、この自分自身と、一体どちらが自由なんだろうと考えてしまった。
世界はそんな洋三を見透かした様に父の肩をポンポンと叩くのだった。
〈掲載…2012年 掲載物確認中…!〉